ローゼマリー・フォン・ノーザンバルド

 空の支配者。

 飛竜の代名詞にして花形。

 そんな翼竜ワイバーンには二度の成長期がある。

 まだ一度もソレを迎えていない不知火しらぬいは仔犬程の大きさしかない。

 ――だからザリガニは結構良い遊び相手だ。

 両手を掲げるザリガニを中心に、仔竜が公転する様に足を運ぶ。二足二翼。その強靭な二本の脚は空の支配者に、陸でも強者であること許していた。

 右へのフェイクを一回、地に付いた右足を深く沈ませ、思い切り左に飛ぶ不知火。だがザリガニはソレを読んでいた。

 ……読んでいたと言うか、右のフェイントを普通に見逃し、左だけに反応をした。

 描かれる半円。向き合ったままの両者。

 策士策に溺れる。

 仔竜の立てた作戦は根本から崩れ去り、失敗に――は終わらない。

 血。皇国空軍の撃墜王の相棒を務めた兄、陽炎かげろうと同じ母系の遺伝子がもう一歩の跳躍を不知火に許す。

 反動のGを足で殺して、再度の――右。

 振り切った。不知火は敵の背後を見る。尻追い戦ドッグ。騎竜である彼が今後、多く見るのと同じ姿をザリガニは晒していた。

 壁の様にこちらの攻撃を防いでみせた姿はそこには無い。

 高く、掲げられた二本の鋏は最早滑稽ですらある。

 故に、不知火は跳ぶ。

 二足が地を蹴り、模すは鷹。

 帝国式航空機動、ファルケヤークト。


 ――ここに、再演。


 と、ザリガニがエビの様に後ろに跳ねた。

 陽炎の爪に甲殻を削らせながらのバックステップは弾竜はずみりゅうの軌跡にも似て居て“彼”が不知火の視界から消えることを許す。先とは形を変えた尻追い戦ドッグ。そのまま“彼”は隙だらけの不知火の尾を鋏で掴んだ。

 きゅぃ、という高く、情けない鳴き声があがる。そのまま不知火はパニックになって尻尾を振り回す様にその場で回り出した。


「……陽炎。テメェの弟、ザリガニに負けてんぞ」


 鳴きながら走り回る仔竜を見ながら樹雨きさめ

 言われた陽炎は、軽くそちらを見たあと、直ぐに興味を失くして足元で自分を威嚇するザリガニを咥えた。即座にばりばりと言う音。

 泥抜きが面倒だったので、樹雨の手によりザリガニは翼竜兄弟のおやつにされている。そしてそんなおやつに負ける様な弟には興味が無いらしい。

 食べ物で遊んではいけないとはよく言ったモノだ。遊んだ結果が今の不知火だった。


「小雨、不知火助けてやれや」

「アメはいまいそがしいからあにうえがやって!」

「……何してんだ?」

「カエル! アメはカエルをつかまえる! つかまえてあたらしいあねうえにあげる! あまいパンをくれたからそのおれい!」

「……何でカエル?」


 嫌がらせかな? 元気は返事に樹雨はそんなことを思った。


「あにうえ、しらんの? カエルはあそんでたのしいし、おいしいよ?」

「……」


 本気できょとんとされた。

 どうやら嫌がらせではないらしい。それは分かった。分かったが、結果として多分、嫌がらせになる。


「あにうえのぶんもアメがとったげようか?」

「要らん」

「そんじゃあねうえのぶんだけにする!」

「あー……」


 どういったもんかね? 考える様な仕草をしながら木煙草を取り出し、噛む。強い苦みが舌に奔ればそれだけで樹雨の集中力は一段跳ね上がる。戦場の空気と味を結び付けた結果出来上がったルーチンだ。


「……」


 だが残念。

 尖った意識は特にいい解決案を出すことなく、仔竜の鳴き声が気持ち近くなっただけだった。


「……不知火」


 兄に見捨てられ、相棒に見捨てられた哀れな仔竜の名前を読んでやれば、かうかぅ鳴きながら駆け寄って来た。

 仔竜とは言え、翼竜の力で振り回せば鋏が捥げていてもおかしくなさそうだが、ザリガニは未だに不知火の尻尾を挟んでいる。

 黒い雨で変異したのは人だけではない。野生の動物も影響を受けている。蒸気時代の産声と共に新種の《竜》が生まれているのはそう言う理由だ。

 《竜》に抗う為に造られたはずの蒸気機関。

 それが新たな《竜》を、人類の天敵を生んでいると言うのだから中々に皮肉が効いている。それを理解して尚、人は蒸気機関の利を捨てられないのだから猶更だ。







 空を行く蒸気仕掛けの機械島。

 そんなアンヌーンの主要産業は貿易だ。

 飛空艇や超大型の《竜》よりも遥かに大量の荷物を運べる――否、それ所かその飛空艇や超大型の《竜》を係留して運ぶことが出来る以上、どうしたってそうなる。

 武器は使わなければならない。

 大量生産、大量消費は経済を回す。戦後と言う国が疲弊した今こそ経済と言う名の血液を回さなければならない。その血液を送り出す器官こそが心臓であり、それは貿易だった。

 つまり、戦後と言う時期にも関わらず、アンヌーンと言う国からは金の匂いがしていた。そうなってしまえばカラスが寄ってくる。

 にも拘わらず、土地に根付くことなく、移動する空の島はその特性から過剰な戦力を持つことを禁止されていた。当たり前だ。誰だって見上げる空に銃口が浮かぶ姿は想像したくない。

 王国、皇国は勿論のこと、帝国ですらアンヌーンに強さは求めていないのだ。

 それでも抜け道はある。

 蒸気機関の発達により、平均的に人と言う種が強くなったからだろう。人員と言う人の数でアンヌーンの戦力は制限される。

 ならば軍人に数えられない予備役を増やせば良い。

 或いは軍人一人の質を高めれば良い。

 そうして抜け道を歩くことでアンヌーンは戦力を確保――出来なかった。

 予備役の方はある程度巧く機能させることが出来た。だが兵の質。こちらはダメだ。


 ――一対一で《竜》を屠ってこそ。


 蒸気の排煙が空を覆い、銃火器が戦場の主役に名乗りを上げて尚、戦場で歌われるのはそんな言葉だ。そして、そんな名残が未だに残るが故、血と業は深く、深く秘匿される。

 数多の国からの亡命者を礎に造られたアンヌーンには歴史は有っても伝統は無い。

 狂った様に重ねられた血と業を持つことが出来なかったのだ。

 だから議会の長であったローゼマリー・フォン・ノーザンバルドの曽祖父は一つの手法を使った。色による他国の英雄の獲得である。

 印刷技術の発達により安価な本が手に入る様になったからだろう。甘い少女小説が世に広まったことを使って自由恋愛の素晴らしさを広め、他国から血の誘致を行おうとした。

 その為の手段が目の前の同級生だ。


「おめでとう……で良いかな?」


 ソファーに寝ころんだまま、そんな同級生にローミーが言う。

 ボリュームのある金色の髪は手入れが行き届き、その輝きは。純正の金を思わせる耀きを放っていた。そして髪が純金なら瞳は宝石だ。失われた空を思わせる薄い青い瞳はそれでも彼女の気質を表す様に何処か強い色を帯びていた。


「? ありがとう?」


 そんなローミーの言葉の向かう先で小首を傾げるのもまた、美しい少女だった。

 狭霧さぎりカナメ。

 小首を傾げるのに合わせ、さらりと流れる癖のない黒髪。ローミーを太陽の美しさだとするならば、カナメは月の美しさだろう。共通点としてはこの蒸気時代、どちらも一般人には手の届かない美しいモノだと言うことだ。

 ローミーとカナメは十九歳。本来ならば学舎を卒業している年齢だが、戦争の余波で一年間余分に籍を置いて居た。

 生徒会会長と副会長。それが少しだけ伸びた青春のモラトリアム期間を過ごす彼女達の肩書だった。


「……お礼を言っておいて何だが、僕の誕生日は今日ではないよ?」

「知っているさ」


 粛々と仕事を進める会長の前で仕事をする気の無い副会長であるところのローミーが寝ころんだまま、思い切り伸びをする。

 淑女にあるまじき行為だが、二人だけの生徒会室にソレを咎める者はいない。


「……どんな男だ?」

「あぁ、何だ。そのことについてだったのか。良い人そうだよ。少なくとも家庭内暴力で辛い思いをする、とかは無さそうだ」

「知っているさ。……私も候補だったんだぞ?」

「……成程。『そのこと』で『そっち』か」


 か、と硬い音。仰向けのまま、更に仰け反る様にしてローミーが音の方に視線を向ければ、ペンを置いたカナメが居た。「そう言えば――」そんな風に動く口元に、ローミーの表情が少し硬くなる。ソレを隠す様に、それでも慌てていることがバレない様に、ゆっくりと起き上がる。


「君、彼のファンだっけ?」


 言葉の弾丸が背中に刺さった。

 幼馴染の少女は容赦をしてくれる気は無いらしい。


「敵国の軍人と姫君の恋と言うのはロマンチックだとは思うが、思うだけだ」

「そうか。君のカバンに入っている擦り切れた文庫本もそう言う内容だったと僕は記憶しているが?」

「……そこまで知っているなら意地の悪いことを言わないでくれ。相手がお前の夫と言うのは申し訳ないが――」


 これでも失恋したての乙女だぞ? とローミー。


「やけ食いくらいには付き合うよ?」

「ありがとう。……ついでに言うと、私の使い道も決まった」

「……この流れで『おめでとう』は背中から刺されそうだな。相手は?」

「お前の今書いて居た書類の内容を言ってみてくれ」

「? 議会への嘆願書だ。君も知っているだろ? 招き入れておいて何だが、アレは流石に酷すぎる。片っ端から女生徒に声をかけられて、実害も出ている。……いや、彼女達が望んでそう言う関係になった以上、害とも言えないのだが、そこがまた――」


 カナメの語尾が溶ける様に消えていく。

 温度を失くしたローミーの目を見てしまったからだ。冷たい目のまま、ローミーが指でっぽうを撃つ。ばぁ~ん、と音を出さずに口の動きだけでやって見せられると、付き合いの長いカナメは彼女の言いたいことが分かってしまった。


「……妻も親友同士、夫も親友同士。うん。何と言うか、大人向けの小説になりそうな題材じゃないか」


 不倫でドロドロの奴、とカナメ。


「親友の夫が憧れの人で、自分は政略結婚。私を主役にすればハイティーン向けの悲恋からの逆転劇だ」


 そっちの方が未だ売れそうだ、とローミー。


「……逆転されると僕は困るな」

「売上の為だ。犠牲になってくれ」


 と、ドアがノックされる。

 時計を見たローミーが美貌を歪める。それを見ながらカナメが「どうぞ」と鈴の様な声で応じた。扉が開かれる。庶務を任せている二年生の男子生徒がいた。


「いつものかな?」


 書いたばかりの嘆願書を見ながらカナメ。

 ここ最近のカナメの頭痛の種、学舎の女生徒をナンパする竜騎兵が今日も時間通りに現れたのだろう。そう思ったのだ。


「いえ、その――」


 だが、どうも庶務の歯切れが悪い。


「違うのかい?」

「そうなんですが、あー……なんと言いますか……一人? かな? 増えました。それが、その、周りの女生徒の反応からすると、会長の婚約者らしく――」

「……分かった。直ぐに僕が行こう」


 ナンパ……ではないだろう。無いと思いたい。だが、カナメの婚約者は、樹雨はあのアレとエレメントを組んでいたのだ。


「……」


 大丈夫だと思いつつ、言い聞かせつつ、カナメの足は速くなった。

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