義姉
「爪が蓋みてぇになった……」
寝間着の左腕と、左目を空っぽにしたまま、包帯を巻かれた左足の親指をぴこぴこさせながら
「……想像の三倍ほどの重症を負うのは止めてくれないかな?」
向かい側に座ったカナメが携帯医療キットのポーチを仕舞いながら応じる。
「爪が伸びてたのかもな……」
左目の眼窩。金属ソケットと肌の境目を掻きながら言い訳の様に樹雨。それを、じとっ、とした目で見るカナメ。樹雨は何となく居心地が悪くなり、ゆっくりと視線を逸らした。
「あにうえ!」
「あ?」
「せんじょうならしんどったよ!」
くわっ、と小雨。その頭の上で、かぅ! と翼を広げて不知火。
「……おぉ、そうだな」
「きをつけてよね!」
「……あぁ、そうする」
ずきずきとした足の痛みに比例する様に下の弟達は楽しそうだった。
「ふぅん? 戦場なら、ね。小雨は難しい言葉を知っているんだな」
「あにうえがいってた!」
そんなこと言ってたの? とカナメが見てくるので、樹雨は首を横にふりふり。そんな面白いことを言った覚えは無い。大体なんだ。『戦場なら死んでた』って。どんな時に使う言葉だ。
「あにうえがな、ねながらいっとった」
そうなの? とカナメが見てくるが、やはり樹雨は首を横にふりふり。当たり前だが、寝ている時のことなので全く覚えがない。
そんな樹雨を見て、にっこり笑うカナメ。これはアレだ。典型的な竜騎兵だ。空では格好いいけど陸に下ろすと駄目になるタイプだ。少し、残念だった。だがそれ以上に安心した。弱みがあった方が、多分、好きに成れる。
「……」
ちょっと空と陸のギャップが激しい気もするけれど。
「それで? 予定では役所が開いて朝の一番に行くはずだったが――」
「今は歩きたくねぇな」
「だろうな。どうする? 今日中には出しておきたいので、どっちにしろ無理はして貰うが――」
「……後回しで」
返って来たのはそんな言葉。因みに、夕方まで先延ばしにしても爪は生えてこない。
カナメが聞いた話では左目を失って直ぐに戦場の空を駆けていたと言うことだったが、陸では足の爪が剥がれると駄目らしい。
まぁ、結構な重傷だ。呑気に欠伸をしている樹雨は十分に痛みに強い部類だろう。
「分かった。では僕の学校の終わりに合わせて迎えに来てくれるかい?」
「応。朝早くに来て貰っといてわりぃな」
「良いさ。制服デートと思えば悪くない」
ふふ、と笑いながらカナメ。
そんなカナメと小雨の一つだけの目が合った。
「あにうえ、あにうえ、このひとはだれ?」
空っぽの袖をくいくいとやりながら小雨。
「あー……兄上の結婚相手だ」
「ふぅん?」
「……」
間。
樹雨とカナメが小雨の次の言葉を待った結果、変な空白が生まれた。
「あ、ザリガニ! あにうえ、アメはザリガニをとってきた! ばんごはんにしよう!」
「……泥抜きしねぇと駄目だから晩飯にはなんねぇよ」
「そうかー」
ざんねんだなぁー、と小雨。
――あ、コイツ、あんま興味ねぇな?
樹雨はうっすらとソレを察した。
自分の生活に変化がないとでも思って居るのだろう。既に興味は取って来たザリガニに移っている。
どう説明したもんかね? ガリガリと頭を掻く樹雨。当然だが、別に良い案は浮かんでこない。そんな樹雨の注意を引く様にテーブルが軽く音を立てた。見れば、人差し指でテーブルをノックをするカナメがいた。。まぁ、任せておけ、とでも言う様に軽く胸を叩く。
「小雨、僕はね、君の新しいお姉ちゃんだ」
そうしてから小雨にも分かり易い様に自分の立場を説明した。
それをみて『やっちまった』と言わんばかりに、あー……、と樹雨が重低音を吐き出す。「?」。何か拙かっただろうか? とカナメが小雨を見てみれば――
むへ、と。心底嫌そうな顔をした小雨が樹雨の影からこっちを見ていた。頭の上の不知火は小さな牙を剥いている始末だ。
蹴られるし、ご飯を抜きにされるし、牢屋に入れてくる。不知火も虐めるので最悪だ。
《竜》の呪い。黒い雨。それに打たれても竜眼病に罹患しないモノも居る。抗体持ち。そう呼ばれる者達だ。
《竜》と殺し合う者の殆どがコレだ。
樹雨は抗体を持って居る。この先、どれだけ黒い雨に濡れようと、その眼が《竜》のモノへと変異することは無い。
小雨は抗体を持って居なかった。だから右目が《竜》のモノへと変異した。
分家の末端とは言え、山城の血の中に抗体を持たないモノが生まれたことを山城本家は疎んだ。特に本家でありながら才の無さから、名に『雨』の一文字を貰えなかった樹雨の同年代の兄妹は殊更だ。
だからだろう。
樹雨の許嫁とされていた本家の姫は小雨を『死んでもいい』と言う扱い方をした。
だから小雨は若い女性が余り好きではない。
「少将んとこの母ちゃんくらい年いってりゃ逆に懐くんだがな」
「そうか。――所で、今の言葉をロッテさんに伝えても良いかな?」
「……やめてくれ」
咥えていた木煙草を齧って短くしながら樹雨は溜息を吐き出した。
カナメの登校に痛む足を引き摺って付き合い、わざわざ事情を説明したのに恐ろしい返しをされるのだから中々に理不尽だ。
「君、少しデリカシーを持ちなさい」
「荷物があっちゃ飛ぶ時に邪魔だ」
「……大きさも重さも大したことないから持ちなさい」
それに樹雨は「努力はする」と曖昧な返事を返して誤魔化しておいた。
「それで? どうする? 折角出て来たのだからこのまま役所に行くかい?」
「……朝飯、未だなんだわ」
「了解した。予定通り放課後にしよう。所で、僕はそこのパン屋で昼食を買うのだが――」
君もどうだい? とカナメ。
指差す先にはカナメと同じ制服を着た女学生が集まっていた。何故だかやたらと視線が集まるもがきになるが、それを抜きにしても樹雨一人ならば絶対に入らない種類の店だ。
「僕といっしょなら良いだろ?」
心を読んだかのように、カナメがそんなことを言う。「……」。樹雨は返事の代わりに一歩、進んで見せた。カナメと比べると大きな一歩。それに駆け気味にカナメが追い付き、樹雨の生身の右腕を取る。
暖かくて、柔らかい。
「……おい」
「こうした方が僕と君がセットだと分かって良いだろ?」
悪戯っぽく、こちらをからかう様に言いながら、身体を寄せてくるカナメ。その瞬間、パン屋からこちらを窺っていた女学生が、きゃー、と黄色い声をあげた。「?」。何だ? そんな疑問。樹雨がソレを浮かべたが、カナメは特に気にした様子もなさそう。きゃぃきゃぃ騒ぐ少女達に「おはよう」と挨拶をしながら樹雨を引き摺る様にして店内に入って行く。
「さぁ、パンを選ぼうか――と言いたいが、ふむ。君、右手が使えないな」
「……手ぇ掴まれてっからな」
「仕方がない。僕がトングを使う。君はプレートを持ってくれ」
「……手ぇ離しゃ済む話だけどな」
「……」
樹雨の抗議をカナメはトングをかちかちならして聞き流した。「……」。言っても仕方がねぇ。そんな言葉が浮かんだので、樹雨も無言で盆を手に取る。
「小雨にお土産を買ってあげようと思うのだが――」
「甘いモンやっときゃ懐くぞ」
「……犬猫みたいな扱いだな?」
「チビの扱いなんざ、そんなもんで良いだろ?」
「成程。では、大きくなるとどう言うのが好きに成るんだい?」
「量」
「……僕のオススメを選んでおこう」
密着状態。まるで恋人の様に振る舞いながら樹雨とカナメはパンを選んで行く。中々に邪魔だ。だが他人の恋愛を楽しめるお嬢さんがたには中々公表らしい。視線を向けられながらも、咎める様な声が掛けられることなく、樹雨の持つプレートにパンが乗せられて行く。
そんな中、全員に見送られる様にして一人の少女がおずおずと進み出る。
「あの、会長……もしかして?」
「うん? あぁ、そうだ。僕の――
何でも無い様に。
それでも捕らえた獲物を見せつける様に。
カナメが樹雨を抱き寄せながらそんなことを言ってみれば、樹雨の耳はその場に居た少女達の、きゃぁ~! と言う叫びに蹂躙された。
あとがき
連休中に五年九か月ぶりにスマホを換えた。
浦島太郎の気持ちがちょっと分かった。
かがくのちからってすげー。
それはそうと、宣伝の為に更新する作者ってどう思います?
自分は余り好きでは――Doggyの情報が解禁になったので、割烹に書いときました。興味がある方はご覧くださいませー。
……。
…………。
はい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます