メルヴィル

「――」


 朝と言い切るには薄暗がりの中、目を覚ましたカナメの視界に飛び込んで来たのは一つだけの瞳を閉じて眠る樹雨の姿だった。

 剥き出しの金属で覆われた左目の眼窩に鋼鉄クロームの眼球は無く、左の腕もまた同様。

 歪とも言える欠けた人型。だがそれこそ彼女が手に入れた男の無防備な姿だった。

 起こさない様にそっと身体を寄せると肌と肌が触れあう。他人の熱は心地が良い。カナメがそう思った様に、樹雨もそう思ったのだろう。そして眠りの中にいる樹雨は何時もよりも本能的に忠実で少しだけ素直だ。軽い呻き声と共に、心地よさを求めて仔犬の様にカナメへと擦り寄ってくる。

 隻眼、隻腕。

 戦闘の為に特化された機械の身体を外した男は赤子の様にカナメの胸の中ですぅすぅと柔らかい寝息を立てていた。


「……」


 そ、とカナメは金属部分に指を這わせる。温度の変わらない金属、火蜥蜴サラマンドラの表皮は、人の体温に合わせられ、冷たいとは思わない。それでもそのまま背中に手を回し、肩甲骨を撫でてみる骨の硬さと、金属とは比べ物にならないほどの人の熱が返って来た。芯が疼くのに任せ、額に口づけをする。


「『良い』とは言ったが――」


 ――この姿を僕以外の女が知っていると言うのは、少し気分が良くないな。

 髪に口づけをする様に呟いてみれば、くすぐったかのだろう。胸の中の樹雨が軽く呻き声をあげた。







 空を行く蒸気仕掛けの機械島、アンヌーンは特定の航路を周回し、貿易をすることで稼いでいる。

 皇国本土最北端の北壁ほくへきもそんなアンヌーンが定期的に立ち寄る港の一つだ。

 北で一番大きい港であることから三日程は係留をすることになっている。

 それでも時間を惜しむ様にアンヌーンから北壁へ、北壁からアンヌーンへと商家の商船が、或いは大型の騎竜が飛び交っていた。

 時は金也。

 商人たちは軒先に金が埋まっていないことを知っている様に、時間と言うモノが金を生むことを良く知っている。

 そんな訳で、明日の北壁到着を前にアンヌーン外縁部に造られた1番から3番の港は働き始めていた。

 アーダルベルト・バルクホルンの率いるヒュブリーデ傭兵団もその例外では無い。

 街まで一日と迫ったこの時期が一番航行距離が長く、ソレを狙った空賊や亜人型の《竜》が動く時間帯であるからだ。

 無論、各商船で護衛を用意するのが当然だ。

 それでも貿易で利を得ているアンヌーンとしては港の安全を、そこから手を伸ばして周囲の船を守るのもまた当然であった。

 メルヴィル。白く、大きな、空を行く鯨。

 世に五体しか存在しないとされる百目大鯨とどめたいげいの老成体である万目大鯨よろずめたいげいである彼の背を利用して造られた空母に樹雨は乗り込んでいた。

 北壁~アンヌーン間を漂い、警備をする為だ。当然、戦闘の危険がある。


「ごうてんさんだ!」


 そんな戦場とも言える白鯨の背で幼子の声が響き渡る。

 わぁぃ、と歓声。頭に不知火を乗せた小雨は見慣れた金翅鳥ガルーダを見つけると仔犬の様に走り出した。

 自身の竜騎兵である鳶丸と何やら打ち合わせらしきことをしていた『ごうてんさん』こと轟天丸は走り寄ってくる小雨を見つけると、嬉しそうに、ぱか、と嘴を開いて身を屈めた。

 矢の様に駆け寄った小雨はそのまま体当たりの様に轟天丸に突っ込む。そんな小雨の勢い殺さずに轟天丸は抱き上げ、その勢いを逃がす様に、ぐるりと一回転。その乱暴な扱いに幼子と仔竜ははしゃぐような声を上げた。


「……打ち合わせ中にわりぃな」


 よぅ、と軽く挨拶をしながら樹雨。


「いや、大したことは話してないから気にしないでくれ」


 ぴっ、と揃えた人差し指と中指で敬礼を返しながら鳶丸。


「それ、どうかしたのかよ?」


 その鳶丸の頭には包帯が巻かれていた。

 樹雨の言葉に「モテる男には色々あるんだよ」と片目を瞑りながら鳶丸。慣れたもので樹雨はそれを見て「あァ、そうかい」と返すだけで会話を打ち切った。

 だいたいしょうもない理由だからだ。


「少将には?」

「乗る前に会った」

「……コールサイン」

「ハイブリッド2」

「っーことは――」

「見慣れた尻を眺めることになりそうだぜ、ハイブリット1」


 よろしく頼むぜ、相棒。と突き出された拳。そちらを見ずに樹雨は新しい木煙草を咥えて拳を突き出し、ぶつけ合った。

 慣れたモノだ。出撃前に何度も、何度も、惰性の様に繰り返したやり取りだった。







 何故か幼子は手に入れた宝物を掲げて見せる習性がある。


「あにうえ、ごうてんさんにもらった!」


 そんな訳で、どこにだしても恥ずかしくない幼子である小雨もその例に漏れることなく、貰ったばかりの宝物を掲げて駆け寄って来た。


「そうかよ。よかったな。……礼は?」

「いった! アメはちゃんとありがとうをいった!」


 みて! みて! と言ってくる小雨の手にはベーゴマがあった。新品だ。わざわざ小雨の為に用意したらしい。面倒見が良いと言うか、何と言うか……


「昨日のカエル、轟天丸にくれたんだってな」


 そのお礼らしいぞ、と鳶丸。


「……いや、アレ、処理に困って押し付けただけだぜ?」

「チビの相手をするのが楽しいんだよ。受け取ってやってくれ」

「……今更取り上げるのはしんでぇからそう言ってくれると助かるぜ」


 そんな会話をしていると轟天丸が寄って来て、何かを樹雨と鳶丸に手渡してくる。見ればベーゴマだった。「……」。何だ? そんな視線を向けてみれば、ぱかっ、と嘴が開いた。遠慮はいらない。そんなことを言われた様な気がした。生憎と金翅鳥ガルーダの言葉が分からない樹雨にはさっぱりだった。

 助けを求める様に、同じくベーゴマを渡された鳶丸を見る。


「一人だけに玩具買うと喧嘩になるだろ?」

「……」

「……チビの相手をするのが楽しいんだよ。受け取ってやってくれ」

「あぁ、そうかぃ」


 小雨は五歳で、樹雨は十八。その差十三は長生きな金翅鳥ガルーダから見れば大した差が無いらしかった。






あとがき

・(前回書きわすれた)小ネタ

踏鞴打ちの――

一番は斬竜刃・太郎左

二番は貫竜槍・次郎丸

六番は墜竜強弓・六郎坊

九番は絞竜布・九郎彦

で、それぞれの樹雨の同年代の担い手は『ある貴族の令嬢が伝説の剣引っこ抜いて魔王を倒すまでの日記』で読めるぞ!(宣伝)

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