“七郎兵衛”
おぅい、おぅい、と言う枯れた声に呼ばれて人間の少年、
《竜》の馴らしを終えてそのまま力尽きていたのだろう。竜舎の傍らに置かれた木製のベンチから身を起こした長柄丸をその騎竜である
変異し、牙を、空を駆ける翼を得て尚、馬は馬だ。
口元の惨状から目を逸らしてみれば黒い瞳には、疲れ果てて眠っていた長柄丸を案じる優し気な光が宿っていた。
大丈夫だよ、とでも言う様に長柄丸が手を振る。天馬はソレで自身の食欲を満たす作業に戻って行った。
その間にも、おぅい、おぅい、と枯れた声は響いている。声は少しずつ長柄丸に――正確には竜舎に近づいて居た。
程無く。邸宅と繋がる道の先から声の
枯れた声の持ち主は、その声に違うことなく枯れ枝の様な老人だった。
頭から気が抜けてもう既に数年がたっている。言葉からは年々――いや日々の単位で脈絡と言うものが零れ落ちて行く様な老人だ。
だがその足取りは確としたものだった。
皇国武者。一対一で《竜》を屠ってこそとされる益荒男。その一角に名を連ね――否。その頂点に近い場所に立ったが故だろう。
時の流れの中でも崩れることの無かった肉の芯がその老人の背中を真っ直ぐに伸ばすことを許していた。
一時代の英雄とは思えぬ気楽な装いのまま、その装いとは酷く不釣り合いな緋色の金属で造られた銃器を担いでその老人は現れた。
「おぅ、
とろ、と溶けた瞳に理の色は薄い。口から出るのも長柄丸の名ではなく、十も年上の兄の名だ。恐らく今。この老人は過去にいるのだろう。
「……おじい様。私は長柄丸でございます」
「? 長柄丸? 長柄丸は未だ――あぁ、そうか……」
ち、と理性の火が瞳の奥に揺らぐ。揺らいで広がる。老人は何かに納得する様に頷いていた。それを見て長柄丸は小さく息を吐き出す。
――今日はご機嫌が宜しいらしい。
「そうです。長柄丸は大きくなりました。なので樹雨もここにはおりません」
「それはおかしい。おかしいぞ、長柄丸。樹雨がここに居らぬのなら
「――樹雨は死にました。戦場で――」
「呆けたと嬲るか、長柄っ! あれは死なぬ。あれは殺せぬ。あれは
気声。一吼え。
裂帛と称するに相応しい、それでも枯れ枝の様な老人からのその一声で若木のはずの長柄丸の身体は竦み、傍ら天馬は馬らしい臆病さを発揮して逃げ出してしまう。
「――申し訳ありません」
「……それで、樹雨は?」
「……お国を捨てるとのことで、返還に参られました」
「行き先は?」
「……」
「生き先は、と言っておるのだ」
「――捨てた相手に再び宛がわれるのは七郎兵衛としても業腹かと――」
「黙れぇっ!」
「しかしっ!」
「馬鹿が、黙れと言うたのだ! 儂が七郎兵衛を手にしての五十年。その間、誰も手に出来なかった七郎兵衛をあいつが、あいつだけが手に出来たのだ! お前とは違うのだ!」
「……――」
突き付けられる緋色の銃。その先にのる老人の怒気に押される様に長柄丸は頭を下げた。下げて、ぎ、と歯を食いしばった。
全てが全くの事実だったからだ。
自分はあの男、樹雨とも、目の前の老人、祖父とも違う。彼等には才があり、自分には無い。――いや、伊佐の家も煮詰める様にして血を造って来た家だ。そこの直系である自分が無才だとは誰も言うまい。だが、それでも、長柄丸には才が無かった。
御伽噺をしよう。或いは寓話だ。それでもそれは確かな世界の真実だ。
人を《竜》から守る為に戦った存在がある。彼等、旧きモノは敗北して尚、世界に溶けて人を見守っている。
その内の一人であり、皇国を造った者こそが錬鉄皇であり、彼が造り出した意志持つ鋼こそが、ヒヒイロカネであり、それは世界に溶けた錬鉄皇が“竜殺し”を打つことが出来る鍛冶師の前に現れ授けると言う鋼だ。
そうして今までの間に造られた“竜殺し”は十。
その内の一つが七郎兵衛だ。
設計者全員の名前に『村』が付いたことから誰が呼んだか村多銃。その初期の開発者の一人に錬鉄皇はヒヒイロカネを託した。
そうして打たれたのが村多銃・真打であり、七郎兵衛だった。
意志ある鋼で打たれたその銃は自我を持ち、使い手を選ぶ。
長柄丸には才が無かった。祖父が手にしたその銃を引き継ぎ、手にするだけの才が無かった。皇国踏鞴打ち。緋の七番。即ち、
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