『政治』で『取り敢えず』

 やかましい猫人種マオのオペレーターの案内に従い、騎竜の離発着場に降りる。

 何処からでも飛び立ち、何処にでも降りられる樹雨と陽炎とは違い、十分な加速や、減速の為の滑走路が無いと飛べない奴等も居る。


 ――下手糞どもの為の施設だと思ってたんだがなぁ。


 意外に、具合が良い。

 思わず、苦笑いが浮かんだ。

 特に今回の様な夜間飛行の場合、確実に安全な空間に降りると言うのはそれだけで随分と楽だった。便利だが、使い過ぎると弱くなりそうな気がする。

 そんなことを思った。

 陸に降り立ち、フェイスガードを引っ張る様にして引き下げる。

 はぁ、と白い吐息を零した樹雨きさめに残された自前の右目は少しだけぼやけて、そして凶暴さを孕んでいた。

 空腹。

 それは空を飛んだ後の竜騎兵が例外なく抱える問題だ。

 速度と高さの為に騎竜に食われる以上、これは避けようがない。

 普通ならば携帯食を持たされるのだが、今回は緊急発進スクランブル。慌てて取りこぼしたらしい。


 ――弛んでんな。


 口に出さずに心中だけで樹雨はそんな言葉を転がした。

 戦中であれば有り得ないことだった。死が身近な分、あの頃は命と言うモノがとても大切に思えたのだろう。生きる為の努力や準備と言ったモノに手を抜く余裕はなかった。

 それが良いことか悪いことかは樹雨には分からない。

 それでも死ぬ気が無いのならば手を抜くべきではないのだろう。

 空は《竜》の領域だ。

 人の身で有りながら《竜》の力を借りて空に行く竜騎兵。それは常に死の隣にいるのと変わらない。戦場と何も変わらない。

 それならば余裕を見せ、生きる努力と準備を怠った者から死んでいくのが道理だ。


「――」


 頭を掻こうとする。左腕が動かない。燃料切れだろう。これも準備不足の一つだ。戦闘機動に付き合わされた鋼鉄クロームは今やただの重さと化していた。

 ふらつく足が落ち着くまで、と陽炎にもたれ掛かる。空戦で熱された相棒の内側は燃えており、その暑さが灰色の鱗越しに感じられた。正直、不快だ。樹雨も体温が上がっているので、生物の血の暖かさよりも排煙臭くても冷めた夜風の方が今は心地良い。

 だが、足に力が入らない。

 ハングリーノックアウト。或いはハンガーノック。

 その一歩手前。

 空っぽの胃がエネルギーを求めて、くぅ、と鳴き声を上げる。

 それでもいつまでも情けなくしては居られない。誰が見ているわけでは無いが、相棒

が見ている。

 竜騎兵の恥とは人よりも、騎竜に対しての方が重くなる。

 腹に力を入れ、足に力を入れ、気合いを入れる。

 身体を離せば、相棒の喉がくるる、と優しく鳴いた。

 大きな《竜》の目、竜眼。琥珀色のソレの中に自分が映っているのを見て、樹雨は陽炎の首の横を軽く叩いてやる。何でもねぇ。そんな口にしなかった言葉を翼竜ワイバーンは広い、右手に頭を擦り付けて来た。


メシ、貰ってくる」


 だから待ってろ。

 樹雨が腹に力を入れて言ってやれば、その強がりに甘えてくれる陽炎はそれ以上は何をするでもなく、とと、と駆ける様にして滑走路から離れて付属の竜舎に向かって行った。

 それを見届け、重いだけになった左腕の結合部を弄り、外す。重い音と共に地面に落ちた。皇国碩学達の知の結晶にして血の結晶も現場だとこんなものだ。足で軽く蹴り上げる様にして拾い上げれば、


「君、その扱いは褒められない」


 声を掛けられた。

 人も所詮は獣だ。理性を保つ余裕が無ければそれは如実に現れる。つまり空腹で余裕のない樹雨は無言でその声の主を睨みつけた。

 カナメが居た。

 見慣れた上着は樹雨と同じ皇国空軍の飛行服フライト・ジャケットだった。民間に出回っているとは聞いて居たがこうして実際に戦場に関係の無い少女が着ているのを見ると、本当に戦争が終わったのだと言う実感が湧いて来た。

 また、戦場と比べている。その事実に樹雨の心が少しだけ騒いだ。

 十七年の内の三年は濃い。しかも直近の三年だ。

 何れは月日で希釈されるとしても、どうしたって今の樹雨の人生で大きな割合を占めるのは戦火の空だった。


「……おぅ」


 それは兎も角。

 流石に自分の妻となる相手だとそのまま睨み続ける気分にはならない。樹雨は罰の悪さを誤魔化す様に外した左腕を掲げて挨拶をしてみる。


「負傷は無さそうだが、余裕も無さそうだ。何かトラブルでも?」


 とん、と軽くステップを踏んで近づき、下から覗き込む様にカナメ。癖のない黒髪がサラリと流れるのを樹雨は何となく目で追いかけた。


「……腹が減ってんだよ」

「携帯食は?」

「急ぎだったんでな」


 持ってけなかった、と樹雨が言えば、「では」とカナメは飛行服のポケットから何かを取り出し、それを樹雨の口に入れて来た。飴で固められた木の実だった。殴りつける様な甘味が舌から伝わり、脳をじわりと癒す。


「――」

「ふふ」


 親鳥と小鳥の様に。カナメが軽く人差し指で押し込んでくる携帯食を、樹雨は少し俯く様にしながら口を動かし、胃に入れて行く。

 と、押し込むカナメの人差し指が樹雨の唇に触れる。「おや?」と悪戯っぽく小首を傾げながらカナメ。そうしてから、ちろ、と赤い舌を見せてその指に付いた飴を舐めとる。


「……」

「ふむ? 脳が働く様になったからか、何か言いたそうだね?」

「……恥じらいってモンを持ってくれた方が好みだ」

「覚えておこう。だが、この行為は政治だ。諦めてくれ」


 政治? と今度は樹雨が小首を傾げる。


「そう、政治だ」


 言いながら、カナメが樹雨を支える様に抱き着く。「……」。まだ体を動かすほどのエネルギーは補充されていないので、樹雨はされるがままだ。


「君と揃いの飛行服で、君を出迎え、君との仲の良さを王国側と帝国側に見せる。そう言う仕事だ。悪いが今は付き合ってくれ。……な?」

「……」


 言葉尻と共に抱きしめる力が強くなった。何となく樹雨もそれに従い、カナメの背に手を回す。細い。腰の辺りに手を回したら何だかぞわぞわした。


「ありがとう。それと、誤解しないで欲しいのだが……僕だって、恥ずかしい……」


 消え入りそうな声。見下ろしてみれば、耳まで真っ赤なカナメの姿。

 樹雨はそんな彼女の姿を周囲の目から隠す様に、引き寄せた。

 強く、カナメが抱き着いてくる。身体を下に引かれ、樹雨が自然、下を向く。顔が。近くなる。はぁ。吐息。甘い吐息。さっきの飴の匂い。「……」。見上げるカナメ。「……」。見下ろす樹雨。右目が。樹雨の身の右目が形の良い唇に吸い寄せられる。ぁ、と小さく唇が小さく開かれ――


「君、さてはハニートラップに耐性が無いな?」


 何とも言えない表情になる樹雨。


「まぁ、良いさ。これから僕で耐性を付けて行けば良い」

「……あぁ、そうかい」

「取り敢えずキスでもしておこうか?」

「……取り敢えずですんのかよ」

「僕だって取り敢えずでしたくは無いが……」


 カナメの視線の動きを目以外の五感で折ってみれば人の気配。居る。それが樹雨にも分かった。見られているのだろう。そこまで自分の動向が気に成るものなのだろうか? そんな疑問が浮かぶ。浮いた駒とでも思われているのだろう。それならば――


「『政治』で『取り敢えず』だ」


 言いながら樹雨はカナメを抱き寄せ、顔を近づける。


「なるほど。『政治』で『取り敢えず』だな」


 応じる様にカナメが顔を上げる。

 影が、重なった。


「『政治』で『取り敢えず』だからこんなもんでいいだろ?」

「……本当にされる気でいたんだが?」


 影は重なったが、唇は重ねなかった。

 それでもあの角度であれば『そう』見えただろう。


「っか、テメェが自分で言ったんだろうがよ」

「?」

「『僕だって恥ずかしい』ってな」









あとがき

……非佐死ひさし鰤種ぶりだね


戦いの中で戦いを忘れた。

――ランバ・ラル


図書館の魔女読んだら自分の文体を忘れた。

――ポチ吉

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