竜舎

 場所が変われば朝が変わる。

 皇国の朝は空が見える。少しだけ薄くなった雲を透かす様にしたぼやけた朝だが。

 アンヌーンはそうではない。

 山城の山よりも確実に高い場所にあるのだが、何と言っても蒸気機関仕掛けの浮島だ。工場が休み、夜の間に雲が薄くなることは無く、昼夜を問わずに煙を空に溶かしている。

 日の光が見えることは無く、それでも太陽の光が力づくで朝を告げる。

 アンヌーンの朝はそう言った種類のものだった。

 そんな朝の空気の中、樹雨は欠伸を一つ。

 排煙の匂いを余り感じなかったのは上手い具合に煙を逃がせているからなのか、それとも単純に鼻が慣れたのか、その辺りは良く分からなかった。


 ――一番空が綺麗で、空気が上手かったのが戦場ってのは笑えねぇな。


 そんなことを思う。火を焚くことが許されず、左腕と左目の接続部の金属が冷え切り、凍傷の痒みに悶えた白い戦場。それでもその夜に見た空は、地上から見たものとは思えない程に美しかったことを覚えている。

 騎竜に乗らずに空を見る為には戦場に、或いは《竜》の領域に行かねばならぬと言うのは何かが間違っている様な気がする。灰色の空を造り出した人と、本来の空を守っている《竜》。どちらが間違えた道を歩いているか。その答えは既に出ている様な気がした。

 初めて歩くアンヌーンの朝の中、らしくもない考えを巡らせる樹雨の裾が引かれた。見れば眠そうな小雨の姿。小雨は無言で樹雨に向けて両手を広げた。だっこ。そんな要望だろう。


「……駄目だ。歩け」

「……」


 両手は引っ込まない。無言で広げられたままだ。


「寝てても良いっったのに、付いて来るって言ったのはテメェだろうがよ。歩け」

「……」


 両手は下げられたが、代わりに両頬が膨らんだ。眼帯で隠された結果、一つだけになった樹雨と同じ色をした左目が、じと、と不満と湿度を持って見上げてくる。


「――」


 その視線を受け、ガリガリと頭を掻き、樹雨は胸元のポケットから木煙草を取り出した。噛む。苦みが奔る。竜騎兵が高高度の高速戦闘に吹き飛ぶ意識を繋ぎ止める為の気付けだ。強い苦みは微妙に癖になる。そして戦時中に噛み続けていた樹雨は立派な中毒者だ。

 木煙草を噛んで、軽く息を吐く。

 正直、樹雨は小雨をどの程度甘やかして良いかが分からない。小さい子供だから――。そう言う理由もある。だがそれ以上に単純に接した時間が少ない。

 樹雨が小雨と会ったのは終戦後、山城に帰ってからだ。

 箔付けの為であろう。樹雨が山城家当主、山城総雨衛門そうえもんに空軍幼年学校に放り込まれたのと同じ年度に小雨は産まれた……らしい。見送りの際、母の腹が膨らんでいた記憶は無いので、樹雨が家を出た後にでも仕込まれたのだろう。

 休みに里帰りでもすれば会うことも有っただろうが、本家と折り合いの悪い樹雨は空幼が全寮制であることをこれ幸い、と一度も帰ることが無かった。

 そして時期悪く樹雨が卒業を控えた第三学年の頃、三国戦争が始まる。

 皇国にて『空の守り』と呼ばれる山城に連なる者であり、それに違わず騎竜の扱いに長けていた樹雨だ。卒業は愚か、予科が終わった後の隊付きの段階で二等飛曹として戦場の空へと放たれてしまった。

 そうしたら家になど帰れるはずも無い。

 詰まる所、弟とは言っても終戦まで会うことも無く、小雨を詳しく知っていたであろう母も戦時中に鬼籍に入り、放浪癖を持って居る父とも連絡が付かなかったので、樹雨は小雨のことを殆ど知らなかった。


「――小雨」


 名前を呼んだ。それだけだ。それだけで幼子と言うのはそこに含まれた甘さを感じ取るのだから大したものだ。無言で再び両手を広げる小雨。抱き上げてやれば匂いを付ける様に肩に頭が擦り付けられた。







 竜騎兵の困った習性の一つに騎竜を褒められたり、大事にされると無条件でその相手を好きに成ってしまうと言うものがある。

 流石は現場からの叩き上げと言うべきだろうか? アーダルベルト・バルクホルンはその辺りをしっかりと心得ていた。

 彼が起こしたヒュブリーデ傭兵団の竜舎は大きく、しっかりとした造りになっていた。

 正直に言ってしまえば樹雨に与えられたアパルトメントの一室よりも物が良い。

 それで返って気分が良くなるのだから困ったものだ。

 山城樹雨はとことん竜騎兵だった。


「おはよう、レフティ。それにしても、ふむ……少し、甘やかしすぎじゃないかね?」

「おはよう。……やっぱそうか?」


 とことん竜騎兵なので、地上の作法には疎い。

 ブラシ掛けが終わったので、一休み。四足二翼に鷲の頭と獅子の身体を持った白い体毛の鷲獅子グリフォンの横で煙草を吹かしていたアデルの呆れを含んだ言葉に樹雨は、む、と眉間に皺を寄せて小雨を降ろそうとし、降ろそうと、降ろそう――。


「……おぅ、降りろや」


 木煙草をことさらガジガジと齧りながら樹雨。


「……」


 小雨は無言。それでも掴む力は強くなり、足まで使ってしがみつき出した。「……」。脇腹を、がしっ、と掴む。あばらの感触。左手での加減が難しいので右手だけでくすぐってやれば、笑い出して拘束が緩んだ。その隙を突いて樹雨はくっつき虫を引きはがして、ぺぃ、と地面に転がす。

 箸が転がるだけで面白い年頃という言葉がある。


「あにうえ、もういっかい!」


 小雨は自分が転がされると面白い年頃らしい。

 起き上がり、駆け寄って来たかと思えば、両手を広げて『もう一回』。一つだけの暗褐色の瞳からは眠気は抜けていたが、代わりに遊んでくれと書いてあった。


「先に挨拶」

「おはようございます、しょうしょうさん! あにうえ、もういっかい!」


 取り敢えず言われたからやりましたと言う様な雑な挨拶。その非礼を詫びる様にアデルに目礼をすれば何処か楽しそうな目線を返された。


「何。気にすることは無い、レフティ。私は――我々はこういう光景の為に戦って来たんだ」


 そうだろ? と視線で問われる。


「あぁ、成程。ちげぇねぇ。所で――その光景の中には重要なことを説明しねぇで俺を驚かせるってのも入ってんのか?」


 狭霧カナメ。今日、書類を出せば山城カナメとなる少女のことを思い出しながら樹雨。


「――」


 アデルは誤魔化す様に煙を吐き出すだけで答えなかった。







 もう一回! を三回ほど繰り返した後、樹雨は自身の相棒とその弟に割り振られた竜房に向かうことにした。転がされた小雨はそれで完全に眼が覚めたのか自分の足で歩いてくれていた。有り難い。「……」。いや、有り難くはない。普通のことだ。

 竜房の数は六。屋根を大き目に造ることで騎竜の出入り口を外側に向けた効率よりも快適さを優先させた造りになっている。片側に三つ並んだ部屋が背中合わせに二列になっていた。

 その内の一列に入る。二足二腕二翼の人に近い形をした金翅鳥ガルーダが、割り振られた竜房でくつろいでいるのが見えた。胡坐をかいて酒を飲んでいた。


 ――珍しいな。


 手酌で酒を飲む金翅鳥ガルーダを見て樹雨はそんなことを思った。

 金翅鳥ガルーダは騎竜に向かない。

 翼竜を始めとする騎竜が背中に『乗る』のに対し、人に近い金翅鳥ガルーダへの騎乗は背中に『立つ』と言う形をとるからだ。

 熟練者であれば金翅鳥ガルーダ自身の持つ武器と合わさり、かなりの戦果を叩き出すのだが未熟な内は話にならない。つまりは戦後と言う今の時期においては凄腕しか生きていない。そう言う種類の騎竜だった。


「……」


 戦時中に合った何人かの金翅鳥ガルーダ乗りを思い出す。死んだ奴を脳内から消すと、何人かが残った。そうすると、くつろぐ金翅鳥ガルーダの羽の色に見覚えがある様な気がしてくるのだから不思議なものだ。

 少し見ていると件の金翅鳥ガルーダと眼があった。ぐなぁー、と濁った声。彼は樹雨に向けて盃を掲げて来た。まるで『久しぶりだな!』とでも言っているようだった。「……」。そしてそう言う態度を取られると樹雨の方も脳が働いて、あー、となる。大方女絡みで逃げて来たんだろうなぁ、と同僚の正体にも予想が付いてしまった。

 しょうも無い理由での再会に成りそうだが、それでも頼りになる相手と言うのは有り難い。

 戦場で隣に居た伊達男を思い出しながら軽く手を振り返す樹雨の横で、何故か小雨が「ぐぁー」と返事をしていた。








あとがき

・小ネタ

木煙草は煙草と言われてるが別に煙は出ない。本来は程よい長さに切って口の中に入れてGで飛びそうな意識を味覚からも繋ぐ為に使われる竜騎兵の装備の一つ。

苦くてとても不評だが、何故か一部に中毒者がいる。そう言った人が陸でカットせずに咥えていたのが煙草を吸っている様に見えたから『木煙草』と呼ばれるようになった。

なので皇国語ではそうなってるが、王国語と帝国語だと煙草とは関係ない名前が付いているかもしれない。知らんけど。


未成年のくせに樹雨がアデルに煙草を渡せたのはコレのせい。

木煙草が切れたので補充を申請する樹雨 → 何故か送られてくる普通の煙草 → (。´・ω・)?

そんなトラブル。




あ、あと金翅鳥が今後出てきた場合にガルーダと読めない人は手を挙げて下さい。

センセイは読めないのでルビを振ります(忘れなければ)。


あとガルーダくんだけ狡いと思う人も手を挙げて下さい。

我が校にいじめは無いことになってるのでセンセイちゃんと翼竜ワイバーン鷲獅子グリフォンってします(忘れなければ)。


そんなプチアンケート。

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