陽炎

 アデルへの質問を増やした樹雨きさめが竜房を覗いてみれば下に降りたのか、それともアンヌーンに自生していたモノでどうにかしたのか、鳥の巣の様に枝を編んだ翼竜の寝床が造られていた。

 だがそこに相棒の姿は無い。巣に駆け寄って行った小雨が巣の中で眠っていた不知火を抱きかかえて戻ってくる。寝ている所を無理矢理起こされた仔竜は迷惑そうに、かぅ、と一度だけ鳴いて小雨の頭の上で丸くなった。


「シラヌイはおねぼうさんだね、アメはもうおきてるのに!」


 何故か勝ち誇ったように小雨。


「……」


 色々と言ってやりたいことが有ったので樹雨はそのでこにデコピンを叩き込んでおいた。割と良い音がして小雨が蹲って唸り出す。


「不知火、テメェの兄ちゃん何処行った?」


 その頭の上で丸くなったまま器用にバランスをとる仔竜に聞いてみれば、瞼を持ち上げはしたが、鳴き声すら返さずに直ぐに閉じられた。多分、不知火が寝ている間に外に出たのだろう。

 それならここに居ても仕方がない。そう判断して樹雨は竜舎の外に出る。ちょうど短くなった煙草を灰皿に押し当てているアデルがそれを出迎える。


「おや、随分と早いじゃないか、レフティ……と言いたい所だが――」

「お察しの通り、中身がいねぇ」


 それを真似たわけでは無いが、噛んでいた木煙草を齧って折り、新しい部分に歯型を付けながら、何か知らねぇか? と樹雨が問う。

 捨てられた木片に不知火が興味を示し、小雨の頭から降りて匂いを嗅ぎだしたので拾いあげる。これは多分、小雨の教育にも良くない。何と言うか、子供を育てると言うのは色々と面倒だ。良くもまぁ、二人も造ったもんだと両親に感心した。


「つい、さっきだ」


 木片をポケットに入れる樹雨を見ながら、ふぃ、とアデルが空を指す。

 見上げれば、一匹の翼竜が灰色雲の下を飛んでいた。新しい縄張りの確認と言うよりは単純に朝の運動か何かだろう。先程まで居なかったことを考えると何処かで獲物を狩って食べて来たのかもしれない。

 それを見て、すっ、と樹雨は生身の右手の小指を口に宛がう。竜笛。国を問わずに翼竜等を騎竜とする竜騎兵の基本技能の一つだ。一キロほどの範囲であればこれで騎竜を呼ぶ――と言うか、音を届けることが出来る。

 この状況ならば頭上の飛竜に音を届かせ、こちらに注意を引かせることができるだろう。そんな訳で樹雨が指笛を――


「あにうえ、あにうえ」


 吹こうとした所で、足をぺしぺしと叩かれた。

 デコが少し赤くなった小雨が居た。


「りゅうぶえ、ふくの?」

「……おぅ」

「アメがふいてあげようか?」

「……」


 別に良い。それが樹雨の本音だ。


「アメがふいてあげるよ!」

「……」


 吹きたいらしい。赤くなったデコが樹雨の罪悪感を刺激したので、樹雨は「頼む」という言葉を選んだ。受けて満面の笑みを浮かべる小雨。

 そのまま右手の人差し指と親指で輪を造り、口に突っ込む。ピーと、高く、音が響き渡った。

 さて。

 不知火は小雨と同じ年なので、生まれて五年。一回目の成長期を二年後に控えた小さな翼竜ワイバーンはまだまだ飛ぶよりも、走る方が得意らしく、飛ぶ蜻蛉を全力で追いかけ回して遊んでいた。

 そこに小雨の指笛が響く。

 不知火は蜻蛉を追う足を止め、音の出所を確認して――そのまま遊び続けることにした。

 竜笛の基本は無音であることだ。人には聞こえず、《竜》には聞こえる。そう言う音域を狙う。

 そして仔竜の頃から音の鳴った竜笛には反応しない様に教えられる。不知火もそれは教えられているので、自身の相棒とは言え、鳴った竜笛には寄って行かない。


「……」

「……」


 何とも言えない沈黙が兄弟の間に落ち、元帝国空軍少将はその微笑ましさに笑いが漏れそうになるのを必死に堪えていた。

 ちら、と小雨が振り返る。視線を逸らす樹雨。


「あー……」と唸った後「……なぁ、少将。見覚えのある金翅鳥ガルーダが見えたんだがよ、俺の勘違いかぃ?」


 話に夢中になって居たので聞いて居ませんよ。


「お察しの通りだよ、レフティ。君のもう一人のバディ、ファプだ」


 ありがたいことに、新しい煙草に火を点けながらアデルもそれに乗ってくれた。


「……鉄腕隊が二人かよ。何だ? クーデターでも計画してんのか?」

「そう思っているならば少将呼びは止めてくれたまえ、レフティ。計画が台無しだ」

「そうさせて貰うぜ、クーガー」


 黒い冗談交えながらのアデルの要望に従い、樹雨も彼のTACネームで呼びかける。

 そんな二人の様子をみて『大人が難しい話をしている』『バレていない』と判断した小雨はもう一回。指を咥えて――やはり高い音。

 無言で空を見上げる小雨に釣られて同じ様に樹雨が空を見上げてみれば、くるくる回る飛竜の姿。蜻蛉と遊んでいる不知火も、今度は反応すらしない。視線を降ろせば、小雨と樹雨の目があった。


「もうあにうえがじぶんでやって!」


 と、不貞腐れながら小雨。中々に我儘で自分勝手だ。確かに甘やかし過ぎたかもしれねぇ。軽く苦笑いを浮かべ、生身の右の小指の背で舌を押し込みながら、樹雨が指笛を吹く。

 無音が響く。頭上を回る飛竜は旋回軌道を崩して降りる体制を造り、蜻蛉を追いかけ回して遊んでいた仔竜もやって来る。おまけに聞こえたのか金翅鳥ガルーダも盃片手に、ひょい、と竜房から顔を覗かせてこちらを窺う始末だ。

 その様子を見た小雨は裏切者である不知火の尻尾を掴んで引っ張った。

 かぅ! と抗議の鳴き声。流石にこれは理不尽が過ぎる。本日二発目のデコピン。痛みに両手でデコを抑える小雨と、その魔の手から逃れ、樹雨の胸に飛び込んでくる不知火。


「いたい!」

「今のはテメェが悪ぃだろーがよ、不知火いじめんな」


 ゆらゆらと咥えた木煙草を揺らしながら樹雨。

 小雨は頬を膨らませて不満そう。その頬を潰す。ぷ、と空気が抜けた。


「あにうえはアメよりもシラヌイのほうがすきなんだっ!」

「そら不知火の方が良い子だからな」


 言いながら腕の中の仔竜の頭を掻いてやれば、気持ちよさそうに眼を細める。そしてその後、わざわざ身を乗り出した仔竜は小雨を見下ろしたあと、樹雨の腕の中でひっくり返って、くるるー、と甘えるように喉を鳴らして腹を見せた。


「! おりて! シラヌイ、おりて!」


 挑発された小雨が樹雨の腕にぶら下がり、昇ろうとしてくる。不知火の方も降りる気は無いらしく、尻尾も使って抵抗をする。


「おやおや、モテモテじゃないか」

「……うるせぇ」


 笑うアデルに、不機嫌そうに応じる。

 昇り遊具として大人気の樹雨だが、弟達を見て色々と心配になっていた。兄弟として、戦友として、そうして共に育つことで騎竜との間に強い絆を造る山城騎兵隊として、これで良いのかと思えてくる。

 俺がこいつ等くらいの時は……。


 ――釣った魚取り合って本気の喧嘩したりしてたなぁ。


「……」


 思わず空を見上げる。高度を落としている相棒が見えた。遠い目になる。

 記憶の中の樹雨は灰色の仔竜の尻尾を掴むと、ぶん回した後、浅いとは言え、川に向かって放り投げていた。

 もしくは脛や腹に重い一撃を喰らった後、悶える自分の目の前で魚を食べられ、顔に向かって尻尾を吐き捨てられていた。


「……」


 左程違いは無かった。寧ろ自分達の方が酷かった。

 と、そんなセピア色の思い出を吹き飛ばす様に地面が揺れた。途中から丁寧に高度を落とすのが面倒になったのだろう。地面を揺らして相棒が降り立っていた。

 強引な着地の名残か、力んで腹腔で火が練られたのか、グ、と喉を鳴らす“彼”の口元がゆらりと揺らめく。


 陽炎かげろう


 その現象であり、琥珀色の瞳と灰色の鱗を持つ彼の名だ。

 陽炎は昨日ぶりの再会を喜ぶ様に、二、三回地面を掻いて、樹雨の腕の中で兄の帰還に、かうっ! と羽を広げて喜ぶ不知火を見た。

 そんな不知火に、そっ、と首を伸ばして鼻面を近づける陽炎。それに、かうかう! とはしゃぐ不知火。翼竜の兄弟の再会だ。そして次の瞬間――

 陽炎は不知火を咥えると、ぽい、と投げ捨てた。


「シラヌイ!」


 突然の凶行に、にゃー! と小雨。

 先程までは喧嘩をしていた彼もこれには驚いたらしく、樹雨への登頂を放棄して相棒に駆け寄って行く。涎塗れになった不知火は暫く、ぽかんとしていたが、現状を理解したあと抗議をする様に鳴き出した。

 そんな下の弟達の騒ぎなど何処知らず。

 陽炎は樹雨の腕に額を擦り付けていた。


「……お前ね」


 大人気ねぇな。そんな樹雨の言葉に、円らな瞳をぱちぱち。デカい図体で陽炎は、え? と、惚けて見せた。

 同じ母親の卵から孵った兄弟とは言え、彼にとって樹雨に別の《竜》の匂いが付くことは許せないらしい。

 匂いの上書きの様に樹雨の腕が舐められる。

 朝食に何処かで獣でも食って来たのだろう。血の匂いが擦り付けられた。





あとがき

ルビは取り敢えず、その話の一回目にふる様にしてみます。

樹雨もたまに樹雨きさめってしときます。一発変換できない以上、不安でしかないからね!

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