カナメ

 排煙を空に溶かし。

 地上に影を落とし。

 巨なるものが空を行く。

 ――アンヌーン。

 王国の祖である蒸気王が流浪の民から姫君を貰うにあたり造り出した移動する蒸気機関仕掛けの浮遊島にはたった一つのルールがある。


 ――空を行く我々は助けを求める者に手を差し伸べる。


 それは心優しい姫君の最後の願いだったからとも、安住の地を求め続けた流浪の民の誇り故とも言われている。

 兎も角。

 空を行く島は余程の悪人でない限り助けを求める者に手を差し出す。


「失礼、君が山城樹雨で間違いないかな?」


 アデルに団員寮だと案内されたレンガ造りのアパルトメント。

 その一室にて樹雨が買って来た食器などをしまっていたら、ドアがノックされた。開けてみれば一人の少女がいた。

 黒い髪、黒い瞳の人間種の少女だった。

 艶やかな黒髪と、右目の下の泣き黒子が印象に残る。そして見た目は皇国人そのものなのに短いスカートを穿いて足を出しているので樹雨は少し目のやり場に困った。

 高度が高いアンヌーンは当たり前だが気温が低い。なので彼女も暖かそうなセーターを着ている。それにも関わらず足を出しているのだから不思議なものだ。


「? すまない。答えてくれると有り難いのだが?」


 樹雨の不躾な視線を受けながらも、何でも無い様に少女は言う。

 ただでさえ女性をじっと見るのはあまり褒められたことではない。それに堂々と返されるととんでもない悪事を働いている様な気がしてしまう。その動揺が少し、声に出た


「……あぁ、俺が樹雨だが……」

「そうか。君、僕のことをバルクホルン氏から聞いてはいるだろうか?」


 胸元に手を当てて『僕』と彼女。

 聞いているかと訊かれれば、樹雨は何も聞いていない。だから素直に首を横に振った。彼女の黒真珠の様な瞳が悪戯を思いつた仔猫の様と同じ光を宿すのが見えた。


「そうか。それは良い。こう言うのは、ふふっ、僕好みの演出だ」


 鈴の様な、愉しげな声。


「先ずは名乗ろう。僕はカナメ・サギリ。皇国風に言うのならば狭霧カナメ、君の一つ上。十九歳の乙女で――君の為に用意された花嫁だ」

「……」


 樹雨は彼女の言っていることが良く分からなかった。

 良く分からなかったので、固まった。そうして止まった肉体とは別に、機械の左目がピントを合わせる、キィ、と言う音が響いた。








 詳細を聞く為に一応、と茶菓子などを用意してテーブルに並べてみれば、匂いを嗅ぎつけたのか、相棒である小雨から離れて翼竜の幼体がやって来た。

 不知火しらぬい。灰色の鱗と琥珀色の瞳を持った小さな“彼”は個別包装された菓子の匂いを嗅ぐと樹雨に向かって、かうかう、と鳴き出した。

 多分、開けろと言っているのだろう。

 だが開けてやる気も無ければ、話の邪魔になりそうな気しかしなかったので樹雨は不知火を確保した。途端、放せぇー! と言わんばかりに鳴き声を上げて暴れ出す仔竜。動きは兎も角、鳴き声がうるさい。とても話が進められそうに無かったので、せんべいの袋を破って、砕いてちまちまと与えることに。


「……」


 何となく、自身の相棒がこれ位の大きさだった頃を思い出して樹雨は薄い笑みを造る。

 ふと、視線に気が付く。見れば何やら嬉しそうなカナメが見えた。


「いや何。気にしないでくれ。政略結婚とは言え僕はこれを良縁としたいからね。夫となる相手の好ましい姿を見るのは望むところなんだ」


 だからどうぞ続けて? とカナメ。そう促されると何とも微妙な気分になる。

 それを表に出す代わりに樹雨は状況を整理した。政略結婚。そしてアーダルベルトの言った「良い様にする」と言う言葉。


 ――溜息が出た。


 空を行く島は余程の悪人でない限り助けを求める者に手を差し出す。

 それは例えば元皇国空軍特務部隊所属の隊員相手でもだ。

 だが流石に普通に手を差し出した程度では特務部隊の隊員拾えないらしい。踏まなければならない手順の内の一つが“彼女”なのだろう。


「……幾つか、聞かせちゃくれねぇか?」

「どうぞ」


 鈴の様な声。


「俺がそっちの家に入るのか?」

「いや、それは止めて欲しい。僕はこういうこと……有力な訳アリをアンヌーンに引き入れる時の言い訳に用意された女子だからね。実家に残っても良いことは無いんだ」

「……アンタが選ばれた理由は?」

「君、皇国語しか話せないだろ? ――と言うの冗談で、分かっていると思うけど、僕の家は皇国からの亡命組だ。そして碩学の徒であり、今も皇国とパイプがある。ここまで言えば分かるかな? ――左腕と左目に機密を抱えた元鉄腕隊の山城二等飛曹?」


 部隊名を言われる。階級を言われる。手放せない機密の種類を言われる。君のことは知っているよ、とカナメは言う。

 樹雨が触れた機密程度なら彼女は、彼女の家は知っている。そして碩学の徒を自称するくらいなら腕と目の内情も多少は知っている。戦時中では皇国最先端であった機械の腕と目だが、碩学達の歩みは止まらない。不用意に漏らさなければ――と、言った所だろう。


「俺みたいのを引き入れるってのは?」


 膝の上でせんべいを食べ終わった不知火がべろんべろんと右手を舐めている。味が残っているのか何だか良く分からないが止めて欲しい。灰色の身体で拭ってやったら遊んで貰えると思ったのか、じゃれついて来た。


「アンヌーンにいるのは君然り、バルクホルン氏然り、そして僕の一族然り、国を捨てたか、国に捨てられた様な連中だ。そんな連中が帝国の属領とは言え自治権を有する為の工夫の一つだよ。それに外から血を入れないと弱くなるからね」


 指を甘噛みされながら樹雨は軽く頷いた。


「――よろしく頼む」

「おや、あっさり。僕としては嬉しいが、良いのかい? 故郷に残してきた愛しい人とかは?」

「……」


 その言葉にふと、同じ髪の色をした親戚の少女を思い出す。

 思い出したが、許嫁と言うだけで愛しくもなんともなかった。率先して小雨を排除しようとしていた鬼の様な姿も思い出したので、どちらかと言うと嫌いな相手だ。


「いねぇな」

「それは一安心。では――」


 ――願わくば僕等のつくる家庭が幸せなものでありますように。


 祈りの様にそんな言葉が紡がれた。








あとがき

この作品を書き出した理由の一つ:僕っ子ヒロイン(理屈っぽい口調)が書きたかった。


何作かポチ吉作品を読んでくれた方へ

今回はルート分岐しないよ!

……人間×人間のカップル初めて書いたかもしんない。

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