パンケーキ
食べっぷりの良い若者と言うのは何故か万国共通で歓迎されるものだ。
頬をパンパンに膨らませた弟の姿を眺めていれば、その理由が分かるかとも思い、じっ、と見つめてみた樹雨だったが、数秒でその作業を放棄し、自分の口に食べ物を詰める作業を再開した。山城の山を出て五日。その間に十分な食事はとれなかったので、樹雨も餓えているのだ。栗鼠の様な弟は見て居て面白いが、幾ら眺めても腹は膨れない。
バルクホルン家の朝食はパンケーキだった。白魚の様な手でパンケーキをひっくり返す精霊種(エルフ)の麗人は、焼いても焼いても消えて行くパンケーキに目を丸くしながらも、どこか嬉しそう。
「ねぇ、アデル? ドライフルーツの蜂蜜漬けが食べごろだったとおもうのだけれど、貴方のお友達は甘い物は平気かしら?」
そわそわと『世話を焼くのが楽しくて仕方が無い』と言わんばかりにバルクホルン夫人。夫妻に娘は居るが、息子は居ない。だから吸い込まれる様に消えて行くパンケーキが新鮮に映るのだろう。
「安心しろ。コイツは何でも食べる。何でもだぞ? 木の根だって食べる」
だが、男所帯の竜騎兵隊に所属していたアーダルベルトには珍しい光景でも無い。寧ろ一時期とは言え、戦場でこちらの命を射抜く様にして見ていた猛禽の瞳が、今は自分の皿のパンケーキを見ていると言う現状に溜め息が出るだけだ。
「――」
樹雨が何か抗議をする様に口を動かすが、口に物が詰まった状況では言葉は出てこない。
ふごふごと何か言いたげな皇国の撃墜王の姿に、アーダルベルトはますます微妙な表情になりながら、ミルクを差し出してやった。と、そこで思い出す。皇国には獣の乳を飲む文化が無かった事に。水差しを差し出そうと、コップを引くと奪われた。ためらいなく飲まれる。
「ンだよ、コレ?」
コップを傾け、不思議そうに牛乳を見て樹雨が言う。
「乳だ。おっとウチのかあちゃんのじゃないぞ? 牛のだ」
「へぇ……変わった味だな。でも悪かねぇ。小雨、飲むか?」
「ん!」
下世話な冗談を言って張り倒される元帝国空軍少将を横目に樹雨が弟に薦めてみれば、にゅっ、と手が伸びて来た。渡してやる。こく、と一回飲み、少し間をおいて、こくこくと飲み出す。それなりにお気に召したらしい。ドライフルーツの蜂蜜漬けとやらも出されて、しばらく大人しくしてくれそうだ。
その様子に軽く口角を持ち上げ、樹雨は服の袖で口の周りを乱雑に拭う。拭えばそこに年相応の青さは見られず、三国戦争の空を駆けた軍人の面影が見て取れた。
――あぁ、本題か
アーダルベルトはそれを正確に受け止め、紙煙草に火をつけて先を促す。
「聞こうか、レフティ。私に何の用だ?」
ソレを受けて樹雨は大きく深呼吸。覚悟のこもった重い声音で――
「住む場所と、仕事をくれ」
「良いぞ」
ずばっと樹雨が切り込んだのに、ばしっ、とアーダルベルトが一言返してやれば――中々に面白いモノが見えた。王国と帝国の空軍は勿論、《竜》にすら恐れられた皇国の撃墜王、レフティと称される隻腕隻眼の竜騎兵が瞬きもせずに固まっていた。
――カメラを物置から持ってくるべきか?
アーダルベルトはそんな事を考えた。退役した軍人の集まりにこの『絵』を持ち込めばヒーロー間違いなしだろう。その夜は驕って貰える。
それは楽しそうだ。だが、止めておこう。固まった兄の様子を弟君が心配そうに眺めているから。
「レフティ、今日から君は私の傭兵団の一因だ。コサメも居るから家族向けの部屋をやろう」
言って、妻に船内の見取り図を持ってくるように頼みながらアーダルベルトは椅子に体重を預ける。
「……良いのかよ?」
「? 何がだ? 君も私が傭兵団を始めたことを知ってしていたから頼みに来たのだろう? 部屋の一つや二つくらい好きに出来るし、ここアンヌーンの主戦場は当たり前だが空だ。竜騎兵は歓迎する。まして君なら大歓迎だ。君にはそれだけの価値があるよ、レフティ」
「いや」
そうではなく、と樹雨。
「言いたかねぇがよ。俺達は……あー……訳ありだ」
つーか、密入国者だ。と、樹雨。
「そうか。ではこちらで良い様にしよう。手段は選ばんが良いな?」
「……それだけじゃねぇ」
「そうだろうな。コサメは竜眼病(りゅうがんびょう)か?」
重苦しく、秘密を明かすような樹雨に、それがどうしたとアーダルベルト。
竜眼病。それはこの蒸気時代に新たに生み出された病の名だ。
姿かたちがバラバラで、とてもではないが同じ生態系に括る事が出来ない《竜》と呼ばれる人の天敵が、唯一の共通点として例外なく持つ架空元素(エーテル)の結晶にして力の源、竜眼。
蒸気文明の礎として日夜工場で燃やされる《竜》の瞳は、燃えて、灰と成り、煙に溶け、空に昇って尚、人の敵である事を選んだ。
灰色の空に昇った《竜》の瞳は黒い雨となり、人に害を為す。
それが、竜害病。
それに罹患した際に起こるのは小さな変化だ。だが、人の群れから外れるには十分な変化だ。
竜害病に罹った者の瞳を《竜》のソレへと変じさせる。故に竜眼病に罹った者の多くは、眼帯等で竜眼へと変じた目を眼帯等で覆っていた。
そう、ちょうど小雨の右目を眼帯が覆う様に。
「その程度だろう?」
だが、言い切る。
アーダルベルト・バルクホルンは『その程度』と言い切る。
「ならば受け入れよう。何、心配することは無い。仕事場はロクデナシに、荒くれゴロツキ糞ったれが勢ぞろいの傭兵団だ。竜眼病患者やその家族など、さして珍しくも無い」
何故ならば――
「それで君への借りが少しでも返せるのなら安いものだ、友よ」
貰ったものは返さなければならない。それが出来ないのは恥ずかしい事なのだから。
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