禽眼ドラグナー

ポチ吉

山城

 一度の羽ばたき。その際に発生する返しの風を轟音と共に撃ち抜き、飛び立つと同時に速度を一気に跳ね上げる皇国竜騎兵の基本にして深奥と言われる技法――初風(はつかぜ)撃ち。

 それは皇国の竜騎兵が最初に《竜》と共に学び、納める技で有りながら、生涯を賭しても極める事は不可能とされる技法だ。


 ――だが、この方ならばその深奥に届くのでは?


 齢五十を超えて尚壮健。故に未だ空に居る事を選んだ炭鉱種(ドワーフ)の竜騎兵、山本(やまもと)兵衛(ひょうえ)は感嘆の呻きを飲み込む代わりに、心中でそんな言葉を呟いた。

 贔屓目が入っているのは確かに認める。だが、それを差し引いて尚、数刻前に眼前で為され、自身を含む三騎の飛竜を一瞬で置き去りにして見せた初風撃ちは見事で、ソレをやって見せた竜騎兵はそう思わせる程に若かった。


 暗褐色の髪と、同じ色の一つだけの眼、そして鋼の左腕を持つ若い男だ。

 皇国、王国、帝国、人の国である三国で争った三国戦争出兵の際に、左腕を蒸気機関式の物に挿げ替え、戦場にて左目を失った隻腕隻眼の若い竜騎兵。

 黒髪黒目が多い皇国の人間種には珍しい色の髪と瞳は、兵衛が仕える家に連なる者に多く見られる特徴だ。

 皇国竜騎兵の祖にして、最先端。山城竜騎兵隊(やまぎりゅうきへいたい)。

 見上げる空に蒸気機関の恩恵受けた飛空艇や、エーテル気球が浮かぶ前も、後も、皇国の空を《竜》から守っているのは山城竜騎兵隊だ。


 人の天敵である《竜》が縄張りとする険しい山に囲まれた土地、山城。

 山が外敵の侵入を拒む天然の要塞と成り得る事から山の城、即ち山城。

 だが、数多の恵みを内包する山を《竜》に奪われた貧しい土地、山城。


 木の実に、キノコに、獣肉、そして木材。恵み豊かな山々の恩恵を受けたくとも受けられず、山を拓いて田畑にしようにも出来なかった山城の住人達は逆にその脅威を利用することにしたのだ。

 木の実も、キノコも、肉も、木材も、先ずは諦め《竜》を飼うことにした。《竜》を飼い、それを御することにした。そして御した《竜》にて山に住む《竜》を狩ることにした。

 山城の人々は《竜》と暮らすことを選んだのだ。

 幸いにも山城の山に住む《竜》が人の隣に立てる種であったこともあり、山城の男子は生まれると同年齢の《竜》の仔を与えられる。

 友として。それ以上に戦友として。

 今、兵衛の眼前に在るのはその山城の血の結晶だった。

 夜に成り、工場が眠り、少しだけ薄くなった灰色雲を破って降り注ぐ月光。ソレを全身で浴びる様にしながら月を目指す一騎の竜騎兵の名は、山城|樹雨(きさめ)。

 名から分かる通り、山城を納める一族に連なる彼は、今、兵衛を含む山城竜騎兵の精鋭三騎を相手に逃亡劇を演じていた。


「――ッ」


 ぎりっ。思わず強く結んだ口の奥で、兵衛の歯が鳴る。


 ――ここまでか。ここまで来るのか、この方は、山城樹雨はッ!


 追いつけない。

 才がある事は分かっていた。三年の戦場生活でその才が磨かれていた事も理解していた。だが……これ程か。山城の若鷹は、最早この老骨に背中を眺める事すら許してくれぬのか!

 炭鉱種である兵衛は小柄な背丈とは裏腹にその骨は太く、頑強で、筋肉も大量についている。それ故、騎竜に選んだのは、速度で戦うモノでは無く、力強さと頑強さを武器とする百目大鯨(とどめたいげい)。空を泳ぐ百の瞳を持つ鯨の飛翔は力強くは有るが、鈍重だ。

 対し、彼方前方で踊る竜騎兵、樹雨が駆るは飛竜の代名詞。空戦の花形。両の足にて地面を蹴り、両の翼腕にて風を撃つ二足二翼の速度に優れた《竜》、翼竜、ワイバーン。

 騎竜に速度差はある。確かにある。だが、騎竜の速度差を差し引いて尚、コレは異常だ。


 どうすればあれほど《竜》を速く飛ばせる?

 どうすればあれほど《竜》を自在に飛ばせる?

 どうすればあれほど風を、空を読む事が出来る?

 どうすれば、どうすれば、どうすれば……。


 騎竜を、百目大鯨を、親より与えられ五十余年。十の頃には山城竜騎兵に見習いとして入って居た。経験がある。だが、眼前には、その経験を越えるモノがある。

 兵衛と共に追撃部隊として飛び立った三騎の内、一騎は翼竜で、更にそこに乗っているのは体重の軽い猫人種(マオ)。彼も精鋭だ。そして山城竜騎兵隊の中で『最速は誰か?』と言う議題が上がれば、名前が上がる男だ。

 だが、距離は開く。相手方の翼竜の騎手はそれなりに重い人間種。更にあちらは逃げている原因を考えれば、子供一人を抱えているはずだが――距離は開く。


「――宮原のッ!」


 轟々と鳴く風の中、腹の底から叫ぶ様にして猫人種の名を呼ぶ。振り返った彼が見せたのは肩を竦める様な動作と、苦笑い。即ち、彼でも追い付けないと言う回答。


 ――諦めようぜぇ、山の字ィ?


 そして、その動作だけで猫人種のおちょくった様な声が兵衛の脳裏に響く。


「――っの! これだから速度狂いと言う奴はっ!」


 競争に負けたのだから退くべき。

 それはある意味で真理かもしれないが、この状況ではとても歓迎できない。逃げているのは山城樹雨なのだ。山城が産んだ最高傑作とも言える竜騎兵なのだ。幾ら敗者に有るまじき見苦しさを見せても、幾ら逃げている理由に共感できても――連れ戻さなければならないのだ。

 だが、変な所で潔(いさぎよ)い同僚は手綱を緩め、高度を下げる。そうして灰色雲の中に溶ける様に消えて行った。この時点で、追手は――二騎。

 更に、離脱したのは最も速度に勝る一騎だ。兵衛は正直、帰って酒が飲みたくなった。だが、そうは言っていられない。山城に所属する者の一人として、目の前を飛ぶ竜騎兵を逃がすことはできない。本家の馬鹿息子共であれば、こうまで追わない。彼等は血が薄い。本家ではあるのだが、山城としての、竜騎兵としての血が薄い。だからこうまで追わない。だが、防風眼鏡越しに見えるのは皇国空軍の飛行服(フライト・ジャケット)を纏った暗褐色の髪を持つ竜騎兵、分家の樹雨だった。当代随一、いや歴代の集大成とでも言うべき血の濃さ。竜騎兵の見本であり、理想とまで称された彼こそは本家の姫君に婿入りして山城を継ぐ事を望まれている次期当主候補だった。


「山本ぉっ! 若をっ! 落とすぞぉぉぉぉおぉっ!」


 最早悠長に構えている余裕は無いと判断したのだろう。血管はち切れそうな勢いで叫ぶ細身の精霊種(エルフ)の竜騎兵。

 精霊種故、未だ若者に見える彼、藤田。彼が口にしたのは、事前に決めた取り決めた策の一つ。落として、捕える。当然ながら危険を伴うそれは本当に最終手段だ。樹雨なら傷を負った翼竜であろうと着陸位はやってのけると言う確信はあるが、兵衛には決断出来なかった手段だ。


「――、――、―――――――」


 額に《竜》の瞳を持つ天馬を駆る彼はこの三騎の中で一番神経質だ。もう色々限界なのだろう。ブツブツと呟いているのは唱印(しょういん)術の詠唱か、樹雨への小言かは分からない。分からないが。


「待てッ! 落ち着けぃ、藤田っ! それは――」

「燃えて、爆ぜて、撃ち抜けやぁ! ――砲千火(ほうせんか)ッ!」


 悪手だ! そう叫ぶ兵衛の言葉に被せる様にして響く力ある言葉。

 掲げた杖の先端から生み出される極大の火球。それは花が咲く様に、裂けて、爆ぜて、無数の小さな火球となって樹雨を撃ちぬ――かない。


「っ? 消え――」

「上だ、藤田ぁ!」


 ――皇国式航空機動が一つ、弾竜(はずみりゅう)。


 持ち上げられた翼竜の翼が風を受け、僅かな減速と共に浮き上がる。そしてそのまま為される風撃ちにより空へと昇るソレは、王国式航空機動コブラを元に生み出された技法だ。

 その航空機動は竜騎兵の技量によっては敵の視界から消えることを許す。

 速度を殺した樹雨は一瞬で兵衛達の後方上空に位置を移していた。

 そして、虚しく空を舞う無数の火球を嘲笑う様に樹雨が為すのは火球を追う様な急降下。

 跳ねあがる様にして得た高さを、再度速さに切り替える。

 グン。風が鳴いたような錯覚。

 くん。ぶれる樹雨の姿。

 翼から音が轟くに合わせ、急降下する翼竜の背にて樹雨の機械の左目と左腕が僅かな月光を受けて怪しく光る。

 高高度からの急降下。掛る力に身体を軋ませながら、擦れ違いざまに為されるのは、蒸気機械の力を借りた精密射撃。鋼鉄の左手一つで構えられた単発式の皇国製村多銃が火を噴き、ぱき、と何かが割れる音。見れば藤田の掲げた杖の先端の宝玉が撃ち抜かれて居た。


「~~~~~~~~~~~――――――っ」


 当てると言うのか!

 この速度で。その体勢で。この的に。この方は。――当てると言うのかッ!


「お戻りをッ! 若ッ! お戻り下されッ!」


 紛れも無く、絶技。

 見せられたソレの興奮から来る身震いを抑え、如何にか叫ぶ兵衛。速度に優れた宮原は既に離脱した。最終手段である撃墜による確保を為そうとした藤田は惚けた様に杖の先端を見つめている。


「当主様をっ! 儂も説得いたします! ですから! どうか! どうかお戻りをっ!」


 だから兵衛は叫ぶ。必死で叫ぶ。炭鉱種の野太い声で叫ぶ。

 だが樹雨は止まらない。振り返らない。速度を上げ、兵衛との距離を開けて行く。


「――若ぁっ!」


 思わず、涙交じりの声が出る。それに樹雨は少しだけ振り向く様な仕草を見せ、胸に庇ったモノに何かを呟いた。

 そうすると樹雨の影から小さな影がひょっこり顔を出して、兵衛に向かって手を振った。


「ふぐっ!」


 一気に涙が溢れる。視界がぼやけ、とてもじゃないが飛んでいられなくなる。

 自分にされた仕打ちも良く分かっていないのだろう。それでも嫌な事をされたと言う事は分かっているはずだ。それでもきっと何時もの無邪気な笑顔で手を振っているのだろう。


 ――ひょーぇはおひげもじゃもじゃな?

 ――炭鉱種ですからな

 ――さわってもよい?


 幼い頃の樹雨によく似た、それでも幾分可愛らしい顔立ち。樹雨と同じ色の髪と瞳。自分の髭をやたらと触りたがる小さな男の子。樹雨が本家に逆らってまで守ろうとしている子。

 自分だって本当はあそこに居たい。あの子を守る立場を取りたい。

 だが、年老いた自分には色々なしがらみがあり、それは出来ない。今、こうして樹雨を連れ戻す為に空を飛んでいる様に。

 だが、もう良い。もう無理だ。これ以上自分を騙すのは無理だ。


「若ッ! 弟君を! 小雨(こさめ)様を! どうか! どうか――」


 ――頼みます。


 その最後の言葉が涙に掠れて夜空に溶ける。


 ――オォォォォォォオオオオオォ!


 それでも返った翼竜の力強い咆哮が兵衛の顔に笑みを浮かべさせるのだった。







あとがき

そいや! と新作をば。

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