言ったほうは忘れる。言われたほうはいつまでも覚えている。
よく「いじめ問題」で引きあわせに出される言葉ですが、本作『彼女は嘘をつくのがとても上手だった』と出会ったことによりこの概念が一転。
『放たれた言の葉』がいい意味で相手の人生に影響を与えることもあるのですね。
大学時代、涼が何気なく放ったその言葉を恋人小夜はとても嬉しく受け取りました。蒔かれた種は美しい華を咲かせ、結実を見せていく。
ところが。
彼女は一体どんな『上手な嘘』をついたのでしょう?
私も涼と同じ。「全てが本当だと思っていたい」
学生時代の恋仲が自然消滅、社会人になってから再会した二人。
心と心の絆は、離れてもなお繋がっていた。
淡く切ない恋物語、心の底でじんわり楽しませていただきました。
素敵な作品との出会いに感謝。
ひとはかならず、死にます。それは誰でも。有名になろうと、そうでなかろうと。早い遅いの違いはあれども、最期だけは決まっています。
そうしてひとは二度死ぬといいます。活動が止まったときと、忘れられたとき……
女優にして「僕」の元恋人は、若くして余命宣告を受け、「忘れられない女優」になりたい、と望みます。そうして物書きである「僕」に依頼するのです。
「私の最期の時間を、書いてほしい」と。
最後まで読み終え、いま、あぁ……と感嘆の息を洩らしています。ひとつの映画を観終えたような充足感と、喪失感がずうんと胸のなかに響いてきて、なんともいえないきもちです。
確かにひとが最後に望むのはこんなふうに細やかな、けれどもこの上なく重い願いかもしれません。
とても、素晴らしい小説でした。巡り逢えたことに感謝です。
描写が美しい。と言えば簡単ですが、どのように美しいのか、と訊かれれば悩んでしまうのですが。
率直に申し上げると、世界の切り取り方が美しいのです。例えば、“街にしっかり溶け込んだ建物の外観”という描写であったり、“心地よい風が僕たちの輪郭をなぞっていく”、という切り取り方であったり。
世界の奥行を文脈の中で写真のスナップショットのように写し取っています。
真実の中に一粒の嘘を混ぜるとありましたが、とても印象に残る言葉でした。人は時に嘘を吐いて生きていく。これは、誰しも経験のあることだと思います。しかし、それがかけがえのない真っ直ぐな想いの嘘であることは中々ないでしょう。それが、この作品の感動するポイントでもあります。
ゆっくりと立ち上る湯気のような時の流れと、落ち着いた会話の中に魅せる生死感。読み手の思考の中に染みこむような行間は、圧倒的でした。
巡る季節と生と死。香しく咲く草木としっとりと積もる薄雪。時の巡る活字の中の優しくも悲しい世界が奏でる物語に、胸がキュッとなりました。
良作を読めて光栄です。
フリーライターにかつての恋人から届く。
『私が死ぬまでを書いてほしいの』
と言う手紙。
文字通り、彼女の願いを叶えるべく、共に過ごして話を聞いていく中で、かつては知り得なかった性質を知り、かつて通りだった彼女の良さをまた思い出していく。
それが楽しくて、嬉しくて、切なくて、怖くて……でも縋らないで、きれいにきれいに過去を新しくしていく。刹那を永久保存版に変えていく。
ブラッシュアップし尽された滑らかな文章は、一切のストレスを与えることなく読者の脳に流れ込んでいく。
本当に1万文字の中の出来事なのかと言うほど濃厚でいて、本当に1万文字もあったのかと言うほどあっさり読める。
そして読後には、得も言われぬ感情と感動が残る。
多分これは切なさ。どうしようもなく愛おしい切なさ。
最後に私はこう思った。
切なさを、ありがとう。
タイトルの「彼女は嘘をつくのがとても上手だった」という一文が、読後じんわりと胸のなかに広がっていくような心地がしました。
大学時代の元恋人の小夜に呼び出された涼が、彼女からとある依頼を受けるところから始まる物語。小夜は「病でもうすぐ死ぬ」とさらりと言って、不安や苦痛というものを一切感じさせません。手の施しようのない病であれば闘病生活は過酷であろうと想像できますが、この物語にはそういった描写がほとんどないと言っていいです。それもまた、小夜の上手い嘘のひとつなのかもしれないと思いましたし、涼の前では穏やかな顔の自分でありたいと思ったのかもしれません。涼が見た小夜こそがこの小説のすべてなのだろうし、小夜が望んだことのようにも思えます。