第24話 指の価値
宿屋の一室に沈黙が落ちる。
時折、カサカサという筆の音が耳心地良く鳴った。レオがこれまでに見せたことのない真剣な表情で、板に貼り付けた白い紙に向き合って筆を走らせていた。
レオの前には、すましたチサトの姿。
レオは今、チサトをモデルに『スイレンちゃん』を描き出そうとしていた。
不存在のものを紙の上に存在させる行為。筆ひとつでフィクションを現世に顕現させる行為。
レオは流石絵描きの端くれだけあって、完成度の高い絵を描きあげる。
淑音は彼の邪魔をしないように言葉は発さず、その創作に目を止めていた。
白い紙に今まさに、『スイレンちゃん』が造り上げられていく。
──凄い。本当にスイレンちゃんだ。
タッチはアニメのものとは違うが、淑音が伝えたイメージ通りにレオは絵を完成へと近づけていた。
最高のモデルが目の前にいるのだ。クオリティの高いものが完成する下地は、整っている。
レオの横顔は本当に真剣でいて、それでいてたまらなく楽しそうだ。
──これはもしかして、……売れるくらいクオリティが高いのでは?
今の今までそんなことは微塵も思わなかったのだが、絵の現物を目の当たりにするとそんな気持ちがムクムクと湧き上がってくる。
ロウドにも、稼ぐように言われていたし、今回の絵を描くための材料を揃えるにも出費していた。
それに、崇高な『スイレンちゃん』の存在をこの異世界にも伝えるべきでは無いのか。それが自分の責務なのではないか、という気持ちになった。
それに関してはまったく淑音の勘違いなのだが、人とは勘違いの生き物なのである。
「──淑音。聞いてもいいか?」
「え? あ、……うん」
思考を妨げるようにレオの問いかけ。
「彼女にどんな服を着せればいい?」
「ああ……、スイレンちゃんの衣装ね」
淑音は、頭を巡らしてスイレンちゃんが一体どんな服装をしていたかを思い出す。
彼女は魔法少女だ。すごく、ふりふりの可愛い衣装を着ていたのだが、それをどう表現していいか分からなかった。
メイド服がそのイメージに近い。
「メイド服……みたいなのなんだけど、分かる?」
「ん……。済まない。分からないな」
伝わらなかったので、淑音は少し嘆息する。頭の中にイメージ映像はバッチリ描かれているのに、それを誰かに伝える難しさ。
異世界においてはじめて、創作の難しさに直面する。創作というのはかくも難しい。
そんな事を考えていると
「今、絵の中のわたしはどういう状態なのですか……?」
とチサトが恐る恐る尋ねた。
絵の中のチサトは下書きなようなもので、身体の線が強調された言わば、ラフであり裸婦であった。
「い、いや! 大丈夫!」
淑音は慌てて言う。スイレンちゃんを顕現させることに脳の大部分のリソースを使っていたものだから、今まで全く気にならなかったが、これはチサトにとって良くない状態であることに気がついた。
何しろ絵の中のチサトは裸だ。
「どうして裸なの?!」
淑音は声をチサトに聞こえないように潜めて、レオに詰め寄った。
「淑音。芸術はこういうものだよ。そこにいやらしい気持ちなどなく、ただあるがままを描くものだ」
そう自信たっぷりに言われてしまえば、もう淑音に語れることなど何も無い。
「チトセは気にする事はないよ……」
「淑音お姉様がそう仰るなら、そうなのかもしれませんが……」
チトセは不承不承という感じで答える。
「裸って……レオ、あなた裸なんて見たことあるの!?」
「……」
レオを問い詰めるように聞いた事を、レオが気まずそうに目をそらすので、淑音はあることに気がついた。そして声が、マリアナ海溝より低く深くなる。
「……もしあの時の、わたしのを……。見て描いたなら、許さないから……」
「ま、まさか、そんな!」
レオの返答は曖昧で、淑音は大層気を乱されることになった。
******
所変わって、ここは荒くれ者達ご御用達のある酒場。『
アパタイトの犯罪者達のたまり場であるのだから、それも無理はない。
自分の力を正しく測りきれなかった犯罪者が、熟練の犯罪者に手酷い目にあわされるか、もしくは殺される事も少なくなかった。
それでもいつでもこの店が賑わっているのは、この荒々しい雰囲気を心から望んでいる者達がどこからか集まってくるからだ。
それにここの経営者は裏社会において名ある人物で、アパタイトの治安維持も力が及ばない。その事もアパタイト中の犯罪者が、『宵闇』に好んで集う理由になっていた。
今日も今日とて、飲み騒ぎ、殴り、殺す。これがこの店のいつもの光景だった。
その店の奥に特に特別な犯罪者だけが入れる一室がある。
虐殺レベルの犯罪や、国が傾くほどの盗み、それにこの店の経営に関わっている親族だけが入室を許された。
殺風景で殺伐とした特別な部屋。
その中に三人の人間がテーブルを囲い、何やら話している。
「で、カーミラ。その生意気なクソ女は殺せずじまいというわけか」
「……ああ」
酒が入っているのか、元々の肌の色なのか、赤ら顔の男がしわがれた声で言った。その声には重みがあり、この部屋における最高権力者である。
声には不機嫌さを隠しもせず、この眼光は鋭いことからご機嫌という訳では無いようだ。
対するカーミラは萎縮したように頷く。
「んで、逆に殺されそうだから俺に匿ってくれと、そういうことか」
「そ、そうは言ってない。ただ、あたしにつけてくれる用心棒を雇いたい」
「その、女はそんなに強いのか……?」
「それは、もう自分より遥かにでかい獣をぶち殺してちまうくらいには……。部下も何人も殺された」
「あのな。カーミラ、俺はお前にこれまでも目をかけてきた。お前の力を見込んでのことだ。何しろ、お前は金に匂いに鼻が利く。けどな──」
そこでしわがれ声の男は言葉をきって、やや間を開けた。
「テメェのケツは自分で持てっていつもいっていたよなぁぁぁ──ッ!?」
店中に響き渡るのでないかという怒声。カーミラは堪らず椅子から転げ落ち、カチカチと恐怖で奥歯を鳴らした。
「分かってる! 分かっているんだ!」
床に頭を擦りつけんばかりにして、カーミラは叫んだ。
「どうか聞いてくれ! 別に身の安全が欲しいだけじゃないんだ! 金になる……そう、金になるんだ!」
「金……だと?」
しわがれ声が思案するように言葉を止めた。
「どう金になる? 内容によっては、てめぇを生かしておく価値も見つけ出せるってもんだ。慎重に話せ」
男の声にカーミラは身を震わせた。もしかしたらここで殺されていたかもしれない、そう思ったのかもしれない。
「そ、その女を捕まえて、また闘技場に落とせば、金になる。そ、そいつは民衆の心を掴むのが上手い……。きっと誰もが夢中になってそいつの試合を見に行くことになる。そうしたら、あたしたちは丸儲けだ」
「その女を使って見世物をやるってことか? はっ! それ程の価値のある女なのか、そいつは」
男の声には嘲笑の色が浮かんでいた。話半分。もしくはほとんど信じていないような口ぶりだ。
「それに民衆の心を掴む女闘士なら、もういるじゃねえか。最近のコロシアムはそいつの名前でもちきりだぜ。確か名前は──」
「メアリーです」
男の声を隣の男が補足する。
「ああ、そうだ。メアリーだ。確か何処かの金持ちのお嬢様で、殺しが趣味だかなんだかで、自ら試合に出ては人殺しを楽しんでいるっていうイカれた奴だったよなあ」
「はい。その通りです」
補足した男は静かに答えた。暗い室内ではカーミラの方からは男の姿は見えないが、痩せ型のおおよそこんな荒々しい場所には似合わない体型に見える。
「そのメアリーってやつより淑音はやばい! それは断言する!」
カーミラは叫んだ。生命がかかっている交渉だ。必死にならざるおえない。
「まあ、いいだろう。お前の鼻をもう一度だけ信じてやる。ただし、捕まえたらここに連れてこい。俺の眼鏡にかなうか見てやる」
「あ、ありがたい……!」
カーミラはようやく安堵の表情を浮かべる。
「で? 俺に何を頼みたい」
「金を借りたい。実はコロシアムから顔見知りの奴隷をひとり連れ出したい。前からの知り合いで、淑音の戦い方をここ最近まで観察していた男だ。そいつが居れば、あの女を捕らえるのも容易い」
「ほう。で、幾らだ」
「アパタイト硬貨50枚程あれば……」
アパタイト硬貨は主にアパタイトで流通している硬貨で、50枚ともなればおいそれと出せる者は少ない。部屋に一瞬の沈黙が落ち、ややあってしわがれた声がカーミラに語り掛けた。
「コロシアムから奴隷を買い受けるとなれば、それくらいは確かに必要だな」
「そう、そうなんだ! 分かってくれるか」
「ああ。分かる。だがただというわけにいかない」
「おう! 勿論だ。利子でも何でも──」
カーミラの言葉を遮るようにひと振りのナイフが机に乱暴に突き立てられる。ザクッと木の机の上に垂直に突き刺さったナイフが不気味に主張して、カーミラは思わず言葉を失う。
「指一本でアパタイト硬貨10枚だ」
カーミラは口を開けたまま、完全に自分が何を言おうとしていたか忘れてしまったようだった。
指を一本切り落とす事に金を出すと言われたところで、直ぐに「そうですか」と返答できるものなどいない。
カーミラは青ざめた顔をしながら、その場を動けなくなった。
痺れをきらしたのか男は言う。
「自分で出来ないと言うなら、なあ?」
男が優男の方を見やった。
「お手伝いしましょう」
目線を受けて男がすくりと立ち上がり、ナイフに手を伸ばす。
ここまできてはじめて、カーミラはこれが脅しではないことに気がついたようだった。
ナイフが突き刺さった分、少しの抵抗をみせながら上に引き抜かれた。
良く研いである良い刃物。
「や、やめてくれ……。おい……」
カーミラは全身を震わせて、自分の両手を背中の方に隠した。男達の目は残酷に光っている。
ここは荒くれ者たちのたまり場『宵闇』。弱いものは食い物にされ、その悲鳴が酒場の演奏代わりに流れている。それはいつもの事で、今更その事を不思議がるものなどいない。
「ほう。男の悲鳴より女の悲鳴の方がそそるな」
酒場の客のひとりが呟いた。
今宵は、カーミラの絶叫が店全体にBGMのように鳴り響き渡る。
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