第23話 淑音対チサト

 

「じゃあ、元気でやれよ」


 そう言ったのはミツキである。

 街の入口の所で、ミツキがお別れを言った。

 淑音しとね、ミリィ、レオ、それにロウドやチサトも彼女を見送りに出てきていた。ミツキはライジュウの故郷に残る家族に、彼の死を伝えるべく旅立つ事になったのである。

 そう決めたのは昨日の深夜の出来事で、ミツキはそうすることで自分の気持ちに決着をつけるつもりらしかった。

 淑音もその方がいいと思えた。気持ちの整理をつけるには時間の経過と、目的の達成に夢中になるしかない。淑音も、そうやって祖父の死と向き合ってきた。


「お前の無事を見守っていたいと言っておきながら、悪かったな」

「気にしないで。わたし、ミツキより強いから」

「言ったな! お前!」


 ミツキは淑音を片腕で引き寄せながら、じゃれながら怒ってみせた。

 互いに死線をくぐり抜けたふたりは、奇妙な結び付きを感じている。友人とも家族ともつかない不思議な関係だ。

 きっと何も無い日々の中で出会ったなら、こうはならなかっただろうと淑音は思った。

 実際日本では、こんな風にふざけ合える友人はいなかった。だから、こんな風に自分をからかって楽しそうにしている人を見るのは不思議な気持ちになる。

 淑音はそれを感慨深く感じた。

 淑音にとってミツキとのお別れは悲しかったが、強がる元気はあった。だから、ミツキを笑って見送ろうとも決めていた。

 ミツキは淑音を見つめながら、


「終わったら、またお前に会いに来るよ。それまで……ロウドに手篭めにされないようにな」


 と、微妙に笑えない冗談を言った。


「それ……笑えない」

「笑えないのが最高に笑えるだろ?」


 楽しそうに笑いながら、ミツキはロウドに近づいた。


「その、ロウド様……。あんたに仕えると言ったり、急に自由にしてくれと言ったり、振り回してしまって本当に悪かった……」


 朝になってから、ミツキに自由にしてくれと言われて、ロウドもロウドで手続きのため、慌ただしい午前中を過ごすことになったのだ。


「いや、構わん。俺も──」

「昨日のことは忘れてくれ」


 ロウドが何か言いかけて、ミツキがその前にずいと手でロウドの口を押さえた。


「……」

「……な?」


 ロウドとの会話はそれきりだ。

 最後にミツキはミリィと抱擁をして、旅立って行った。

 小さくなっていく背中を見送りながら、


「仲間がいなくなるのは、寂しいもんだよな」


 と、レオが寂しげに言ったのが、やけに淑音の耳に残った。

 出会いと別れ。こんな異世界に来て淑音は初めてそんな経験を繰り返している。


「また、会えるよね」


 淑音は誰にともなく呟いた。ミツキの姿は小さく小さくなっていき、そして見えなくなった。


 ******


 午後から淑音はチサトを伴って、街の掲示板なるものを見に行くことになっていた。

 掲示板と言っても、勿論日本にあるようなネットワーク上にある掲示板ではなく、旅人が伝言板として活用する街の北側に設置されてある実際の板だ。

 そこには、旅人達が自分達の連れと合流するためのメッセージや、はぐれてしまった家族を見つけるための言付けなどが貼り巡らされている。

 淑音はここに自分を呼んだ誰かが、自分に分かるように何か伝言を残してくれているのではないかと期待したのだが、空振りに終わった。

 膨大な量のメッセージを、目を皿にして眺めたが、それらしきものは見当たらなかったのだ。


「呼んでおいて、なんなの……」

「呼んだからには、何か目的があるはずですしね」

「呼んでおいて、砂漠に置き去りだよ。おかしくない?」


 殺すのが目的なら、それでもおかしくは無いが手が混みすぎている。

 一体誰がなんのために呼んだのか。

 それが悪意ある存在である可能性も否定できない。

 事は慎重に進めなければならない。

 淑音はため息を一息ついてから、


「じゃあ、行こうか」


 と、チサトに呼びかけた。


 ******


 街から少し離れたところに森林地帯がある。アパタイトの西側は砂漠が占めるのに対して、東側は木々の密生した森であった。

 アパタイトを挟んで全く気候の違う不可思議な環境である。

 立ち会いを行うのは、そこがいいとチサトは提言した。

 さて、チサトが淑音に立ち会いを申し込んだのは、ロウドから指示されたせいもある。ロウドは淑音の実力の程に強い関心を向けていた。それに、チサト自身も興味があった。

 とは言っても、コロシアムでの淑音の奮戦ぶりを見ればその実力は分かりきっていたが、身をもって知っておきたいというのがチトセの本音である。

 チサトの祖父はチトセの故郷──カクシザトにその人ありと歌われた武人で、西のコガネという二つ名で呼び称えられている。

 数十年前に起きた戦争で西を防衛を引き受けた英雄コガネ。その武功は今ではもはや伝説として語られていた。今より幼かったチサトは眠る前のお伽噺として、目を輝かせて聞いていたものだった。

 そんな訳で祖父に弟子入りしてこれまで腕を磨いて来たのだが、未だ到達しえない武術の高みへ向かうため日々研鑽を積んでいた。

 淑音に頼み込んで、立ち会う機会を貰えたのは幸運だった。

 そんな訳で、ふたりは森で適当な木の棒を手にした。振りかぶって重さを確かめる。


「淑音。いいですか?」

「ええ、いつでも」


 ふたりは向かい合って、お互いの動作を油断なく観察した。距離を保ちつつ、相手の一挙手一投足を見澄ます。

 一瞬の沈黙。ふたりとも微動だにしなかった。ややあって、弾けるようにふたりが動いた。

 淑音が右脚を踏み込んで、一気に距離を詰める。先に仕掛けたのは淑音だった。身体のバランスを保ちつつ上段から下段に得物を叩き込む。

 チサトは身体をバネのように弾かせて、空中で反転し淑音の打撃をぎりぎりのところでかわした。身軽さを十分に生かしたチサトの回避術である。そのまま、淑音のほうに武器を突き上げた。

 左側を掠めるよう走ったチサトの刺突。淑音は身体を捩って最小の動きで躱す。数ミリの誤差でチサトの棒は虚しく空を刺した。


「やりますね!」


 チサトが感嘆する。これ程の動きは祖父と立ち会った以来見た事がない。突き上げた反動で身体がつんのめった。

 淑音はバランスを崩したチサトの隙を見逃さない。猛スピードで追撃する。一打。二打。三打。無論チサトは木剣で受ける。

 続く剣戟。

 淑音の軽やかな猛攻に、堪らずチサトは後ろに押し込まれそうになるのを必死で踏み止まる。が、一歩、また一歩と力で押し負けている。

 棒切れ同士のぶつかり合う乾いた音が林の中に響き渡った。両腕に走る衝撃は決して軽いものでは無い。握っている手がびりびりと痺れてきた。打ち負けるのは時間の問題だ。

 このままでは。とチサトは思う。やはり年齢と経験の差は淑音に軍配をあげている。それでも。

 チサトには秘策が残っていた。これなら淑音に一杯食わせることができる。その瞬間が来るのをひたすらに耐える。

 やがて淑音のこれまでで一番重い一撃がチサトの木剣に炸裂した。これ以上は抑えきれない。

 しかし、この時を待っていた。チサトの両足が地面から浮いた。

 チサトは大きく後ろにはね飛ばされるのを感じながら、それと同時に大きく息を吸い込んだ。身体が地面と水平になるほどに敢えて倒れ込む。そのせいで一瞬淑音の視界からチサトが姿を消した。

 子供ゆえの小さな体格を利用した騙し技。対峙した相手には一瞬消えたように見えるだろう。だが、その一瞬さえあればいい。チサトは再度淑音に木剣を突き立てる。

 一瞬の迷いが勝敗を分ける。淑音の目は既にチサトの剣先を捉えきれてはいなかった。


 ──勝った。


 チサトは確信する。

 ところが。ところがである。チサトの突き出した先に淑音はいなかった。


「どこに!?」


 思わず言葉が漏れる。淑音の姿を探ろうと目を見開いた時には首筋に冷たい木の感触がしていた。淑音の木剣が首元に向けられている。淑音は僅かなステップで身体をチサトの真横に移動していた。淑音は目だけに頼ってはいなかった。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚からなる五感が淑音の意識より先に身体を反応させていた。

 勝負ありである。チサトは事態を把握するのに一呼吸の時を要した。体力の消耗ゆえに呼吸で激しく胸が上下している。全力を尽くしたのに手も足も出なかった。

 とはいえ年上の熟練者に善戦したほうである。経験の差がどうしても埋められなかった。仕方ない。チサトは思った。


「うう……!」


 そう思って納得したはずだったが、地面に仰向けに倒れながら両目から涙が溢れてくるのを感じた。


 ──いけない。泣く。


 そう思ったが時すでに遅く、つんとしたものが鼻に込み上げて、啼泣していた。10歳の少女らしい反応だった。

 普段大人びた反応をしているチサトも悔しいものは悔しい。日々の鍛錬が本日は実を結ばなかったのだ。悔しくて泣きたくなるのは当然である。


 ******


 淑音はチサトの能力に正直舌を巻いていた。

 これほどの実力だったとは。と心の中で考える。けれど、目の前ですすり泣いている彼女を見て、まだやはり彼女は子供なのだという気持ちになって、表情を崩した。


「チトセ、強かったよ」

「はい。……でも、及びませんでした」

「だって、わたしの方が年上だもん。もしそれでチトセに手も足も出なかったら、わたしの方が泣く羽目になってるよ」


 淑音の冗談に、ようやくチトセは涙目のまま笑顔を返した。淑音もそんなチトセに微笑み返す。


「誰から学んだの?」

「祖父です。コガネという名の知れた武人でした。今はすっかり引退してしまいましたが」

「そうなんだ。わたしもおじい様に。……チトセも相当な訓練を積んだんだね。辛くはなかった?」

「いえ。わたしは祖父への強い憧れがありましたから、辛いと思ったことは一度もありません……、と言うと嘘になりますが、辛くてもやめたいと思ったことはありません」

「そう。凄いね、チサト」


 そう言いながら、淑音はわたしとは違うと思った。

 望んだ訳では無い。ただ武術のセンスがあり、家族がそれを望み、淑音も何となくやめる気になれなかったからここまできたのだ。

 それが、今淑音をこの世界で生かしているのが随分な皮肉に思える。運命とはそういうものだ。


「さて、と──」


 淑音はチトセの手を引いて彼女を起き上がらせると、


「これで、レオに絵を描いてもらってもいいってことだね」


 と満面の笑みを浮かべた。


「そういえば、そうでしたね……」


 逆にチトセはゲンナリとした顔をする。


「絵を描いてもいいですが、もうひとつ条件を出してもいいですか?」

「ん? 後付けで条件? 武士に二言はないんじゃないの?」


 淑音は言ってみて、この世界には『武士』はいないかと思い直した。チサトもきょとんとしていたからだ。


「まあ、いいよ。何?」

「はい。時間がある時でいいので、わたしの先生になってくれませんか?」

「先生?」


 チトセの顔は真剣そのものだ。

 ちょっと淑音は困ってしまう。

 淑音は蒼月家の道場で指導はしていたものの、本格的な弟子をとったことはない。ちょっとしたアドバイスくらいならしたことがある程度だ。


「──先生と呼ばれるのはちょっと恥ずかしいような……」

「では、うーんと」


 チトセが少し考え込むようにうつむき加減になる。どうしたのだろうと、淑音が覗き込むと、


「お、……お姉様……は……どうですか?」


 と恥じらいながら言った。

 淑音は一瞬クラっとした。

『お姉様』という甘美な響きにたまらない魅力を感じたからだ。

 それもそんなうつむき加減に、見つめられながら言われると……。


 ──あのスイレンちゃんに……、もとい、チサトにお姉様と呼ばれる……。う……、……いい!


「お姉様……なら、いいよ」

「はい! ありがとうございます! ……淑音お姉様」


 チサトが邪気のないキラキラした目を淑音に向けて、淑音は満更でも無い気持ちになっていた。いや、嘘だ。最高に気持ちが昂っていた。

 淑音は思う。


 ──わたしはこの為に異世界に来たのかもしれない。

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