第10話 積み上げてきたもの
翌日。
それは試合の前日。
選ばれた20名は宿舎の訓練場に集められていた。ここで明日に向けて準備するらしい。
残念ながら赤霧は商品価値の高い、つまり、強い奴隷たちは手元に置いて置きたいらしく、ここにいるのはどうにも頼りない奴隷たちばかりだった。
──捨て
立ち振る舞いをみれば、どれくらいの能力があるかはある程度判別できる。
道場で鍛えた淑音だからこそ身に着けた
淑音の視点から見れば、赤霧のお眼鏡にかなわなかったが、何人かは武芸に秀でたものがいた。
まずは、表情がうつろで何を考えているかよくわからない男、クロウ。
痩せこけた容姿は死神のようにも見える。
一見弱弱しく見える姿だが、その立ち振る舞いに隙はない。
そして、すらりと長身の男、ライジュウ。
ただ、柔和そうな表情からは、いまいち頼りない印象を受ける。
最後に、
身のこなしが軽く、運動能力も優れているようだった。
その瞳はギラギラしていて、隠しきれない闘志のようなものがうかがい知れる。
注目できるのはこの辺だろうか。
「具体的に、明日の試合について誰か知ってる?」
誰も口を開かないので、淑音がみんなに話しかけることにした。
何人かが顔を見合わせて知らないということを話していたが、クロウがぼそりと答える。
「あ、明日戦うのは……。ひ、人じゃないらしい……」
奴隷たちがどよめいた。
戦うのは人ではない。
ではなんだ。
その疑問は直ぐに解決される。
「そういえば、昨日から何かの獣の吠え声を聞いた」
ライジュウがそれに続く。
動揺が波のように広がっていく。
獣。
「あなた達はわたしよりここが長いでしょ。獣についてほかに心当たりはないの?」
「馬鹿言うな! そんなのを経験した奴はみんな死んじまったさ!」
喚きが聞こえた。
続けて聞こえてくるどよめきも、その獣に関してのことというよりは、自分の運命を呪うようなぼやきに近いものだった。
ここにいる誰も知らないということなのだろう。
正体の分からない獣。
20名の人間を相手にできる獣。それは一体なんだろうか。
まさかこの世界には、ドラゴンのような生物が存在しているのか。
そもそもそんなファンタジーな世界なら、魔法をつかう人間がいてもおかしくないのだが、ここまでそんな場面を見かけたことはない。
ここはきわめて現実の法則に
とりとめなくなっていた奴隷たちの声を押しとどめるように、淑音は返答への礼を言う。
「わたしは淑音。ここにいる中で誰が一番強いの?」
「殺した数ならここにいる誰よりも多い」
ライジュウが、ミツキの方を
ミツキは不機嫌そうに顔をしかめている。
話題にあげられたくないらしい。
「よろしくミツキ」
淑音が握手に差し出した手を、ミツキはとらなかった。
虚しく
ミツキの表情は険しい。
だが、明日を乗り切るためにはここにいるメンバーをまとめなければならない。
ならば多少の無理を通すしかない。
「ミツキがここで一番強いとしたら、きっとわたしの方がもっと強い」
挑発してみることにした。
ミツキの表情にさらに険悪さが強まった。
自分の強さに少なからずプライドを持っていたらしい。
ミツキは吐き捨てるように言う。
「……あんたが、強いって?」
「そう、今までは自分の強さに誇りを持っていたようだけど、今日からは違う」
淑音は、こんな挑発など生まれて初めてだったので、内心は穏やかではなかったが、努めて挑戦的な目を向けておく。
ここにいる20名をまとめるためには、強さが何よりも説得力になる。
それは
弱い師範についてくる門下生などいない。
淑音はそんな世界で今まで生きてきた。
だから、これは淑音のフィールドだ。
自分のフィールドでは誰にも負けない。
「言ってくれるじゃないか。昨日今日ここに堕ちてきたあんたに、本当の強さの何がわかるっていうんだい」
ミツキの額の傷も、ここで生き抜いてきた証なのかもしれない。
何人もの人間の
肉体的にも精神的にも、まともな人間ではいられない。
視線の鋭さがその強さを物語っていた。
果たして自分の武術が、どの程度通用するかもわからないのだ。
とはいえ。
淑音だって血のにじむような修練を積んできた。
家族にも学友にも誰にも理解されなかった。
義父には疎まれ、母には愛されなかった。
だが、何もかもが不確かだった日々の中。
この武術だけが、わたしの真実だった。
ここか現実であろうと、異世界であろうと、関係ない。
それだけは真実なのだ。
──だから負けない……!!
闘志が静かに、でも誰よりも強く燃える。
「試してみたら?」
淑音が自身の迷いを払拭するように言った。
一瞬の沈黙の後。
ミツキがギラつく目を淑音に向けた。
それが開始の合図。
ミツキは、その場から瞬時に淑音の目の前へと身体を躍らせた。
型もなにもない。
獣が獲物に襲いかかるような挙動。
素人そのものの動きだったが、早さだけは本物だった。
実際、淑音はミツキの姿をコンマ数秒見失いかけていた。
突然腹に衝撃が走った。
ミツキの先手の一撃が、腹部に突き刺さっていた。
「……ッ!!」
淑音は息を飲む。
それでも、本能的に後ろに身体を下げていたお陰で、衝撃を上手く逃せたのが幸運だった。
かわし切れなかったのは想定外だったが、問題無い。
2、3歩後ろにステップして距離をとる。
次はもう当たらない。
「かわした!?」
確実に勝利を確信していたミツキにとって、淑音の動きは想定外だったらしい。
とはいえ、このコロシアムを生き残ってきただけの猛者である。
すぐに拳を握って、次の一撃を構える。
──が。
正面にいたはずの淑音が、ミツキの真横に急に移動してきたのには、反応できなかったらしい。
淑音のフェイントを交えた奇妙な移動法である。
ミツキは拳の向きをそれに合わせようとしたが、間に合わなかった。
淑音が払うように突き出した足に、ミツキの足がとられる。
足払い。
バランスを大きくとられて、後ろ向きに転がり込んだ。
倒れこむ瞬間に、淑音の手がミツキの肩に体重をかけるように押し付けられる。
ミツキは受け身も取れないまま、淑音の重さにのしかかられるように地面に打ち付けられた。
ドンと地面に打ち付けられた衝撃を物語るように、重い音が響く。
淑音に、子供をあしらうようにミツキは転がされていた。
ミツキの視界が、脳への衝撃のせいか真っ白になる。
それでも、
それはここで身につけた生きるための術。
一瞬でさえも、諦めも弱さを晒したままにしない。
そうでなければ、ミツキは生き残ることなど出来てはいない。
「あんた……。もう容赦しない! 死んでも後悔するなよ!」
食らわされた一撃にミツキの頭に血が上った。
この気性の荒さで数々の殺し合いを制してきた。
人間最後の最後は気持ちが勝る方が勝つ。
ミツキはそのことをよく理解していたから、あえて感情を制御したりしなかった。
そのため、一旦火が付くと文字通りどちらかが死ぬまで終わらなかった。
それとは正反対に淑音は心を静めていた。
乱されることは度々あるとはいえ、冷静さを欠くことは蒼月家の作法に背く行為だった。
祖父からそれこそ聞き飽きるほどそう忠告されていた。
そして、冷静な判断こそが勝利を引き寄せる。
対象的なふたりが向かい合う。
「ほら、二人とも使え!」
ライジュウが、淑音とミツキに壁にかかっていた
武器が中を舞う。
両者の手がそれを掴むべく、伸ばされて。
二人とも同時にそれを手に収めて、間髪置かずに斬りかかった。
それは、たった一呼吸の間だ。
あまりに早い動きに周りの奴隷達がざわめく。
ミツキは激しく刀を振り回す。
肉弾戦よりも武器の使用をミツキは好んでいた。
風を切り、唸る凶器は何度も淑音の髪をかすめた。
だが、どういう訳か淑音の身体を捉えることが出来ない。
前もって決まった動作を打ち合わせしていて、その通りに身体を動かしている演劇のアクションシーンを見せられているかのよう。
でもそうでは無い。
淑音は、ミツキの振り下ろす得物の軌道を完全に見切っていた。
最小限の動きだけで、すれすれのところを交わしていく。
ミツキは、苛立ちと焦りを同時に感じ、舌を鳴らした。
淑音は、耳の近くを通り過ぎる風切り
淑音の最も得意とする間合いがある。
相手との10センチに満たない近距離だ。
ともすれば、相手の動き全体を見渡すのが難しいこの距離が、自分の絶対領域と自負していた。
その至近距離ではもはや視覚ではなく、第六感とも言える何かによって、相手の全ての動きを感知できた。
その距離に入ってしまえば、誰であろうと数秒で相手を叩きのめせる自信がある。
難しいのはそこまで距離を詰めること。
警戒心の強い相手ほど、それは困難を極めた。
しかし、ミツキはいとも簡単に淑音の接近を許してしまっている。
無計画な攻撃が完全に裏目にでた。
ミツキは突如、四方全てから降りかかる
「か、かわせない!」
ミツキの短い悲鳴。
ミツキの模擬刀は弾き飛ばされ、身体の数か所を淑音の高速の
コロシアムで戦果をあげてきたミツキが、膝から崩れ落ちる。
前のめりに倒れこみながら、自分と淑音との格の違いを思い知らされることになった。
ミツキにはまだ戦意が残ってはいたが、しばらくは動けそうにない。
それを油断なく淑音は見遣りながら
「続けて、誰かやってみる?」
と尋ねる。
淑音は呼吸を乱すことなく、周りの奴隷たちに目を向けた。
ミツキの敗北だけで納得する連中ではないだろう。
なにしろ、ここは命のやり取りを日々続ける戦場なのだから。
──何度だって、誰だって相手をしてやろう。わたしはわたしが積み上げてきたものがある。
結局他幾人かが淑音に挑んだが、誰一人有効な一打すら与えることはできなかった。
奴隷達は淑音を認めざるおえなかった。
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