第2話 奴隷たちの反撃
少女は必死に動揺を抑えようと、深呼吸を繰り返した。
男が取り落とした水筒を拾い上げ、口元であおる。幾らかの水分を補給し、ようやく気を落ち着けたようだった。
倒れた男を油断なく見やり、意識が戻る気配がないことを確認する。
首の頸動脈に激しい衝撃を与えると、人は声を出すことなく気絶すると教わっていたが、実際にやるのは初めてだった。教えてくれたのは祖父である。
だから少女は、男が首を無防備に晒す瞬間をずっと待っていた。
──おじい様の言う通りなら、意識を取り戻すまで2、3分……。
少女は手直にあった布で男の口、手足を縛り付ける。これで、男が意識を取り戻しても、動くことも声を出すことも叶わないだろう。
しかし、外にはまだ3人いる。奴隷を監視する男2人に、それらをまとめている1人。
──荷車の揺れが収まっている……。今は休憩中……かな。外には3人。やれるかな……。それともここで身を隠しているべき?
少女は必死に思考を巡らせた。
いますぐ荷車から飛び出すか。いいや、と少女はかぶりを振る。それはあまりに博打だ。荒事になれた盗賊まがいの商人だ。どれほどの腕前かもわからない。
ならばどうする。
──この人が戻らないことに、ほかの人が気づくかも……。もしそうなら……。
少女は倒れている男の身体を、自分に覆いかぶさるように引き寄せた。上手くいくかどうかわからない賭けに、少女の心臓の鼓動が早鐘のように鳴った。
幸運にも事態は少女の望み通りに運んだ。
別の男が、いつまでたっても戻ってこない男の様子を見に荷車に乗り込んできたのだ。
「いつまでやってる?」
そこで男ははっと息をのんだ。なにしろ男の目には先ほどの男が、少女にのしかかって少女を犯しているように見えた。
「て、てめえ! 商品に手を出すなって言ったろ!」
男が慌てたのも無理はない。別に処女でなくても奴隷として売ることは出来るが、処女を専門に買い取る変態貴族が得意先にいるのだ。だから『商品』に傷をつけさせるわけにはいかなかった。
男は慌てて引きはがそうと、手を伸ばした。
かくんと引っ張った体が、男の方にいとも簡単に倒れこむ。思いのほかなんの抵抗もないことを不思議そうに眺めている間に、すべては手遅れになった。
少女は、その瞬間に自分にのしかかっている男ごと渾身の力で蹴り飛ばす。ドンと蹴りの衝撃が走り、男はそのまま後ろにはじき出されて、荷車から足を踏み外した。
重力に引き寄せられるままに、男は荷車から地面に転落する。
下が砂場であることでそれほどの落下の衝撃はなかったが、間髪入れずに少女が膝から地面に飛び降り、ついでに男の顔面に着地してとどめをさした。
どこかの骨が砕けただろうか。何とも不思議な男の顔の『めきゃ』とひしゃげる音がした。
「あが……っ!」
男の悲鳴。それきりすぐまた静かになる。
少女は気絶した男の腰から長い刀を引き抜き、構えながら一気に飛び出す。
ざわっ、と奴隷たちの中から声が漏れた。荷車から突然男と少女が飛び出して来たのだ。一体何事かと思うのは無理からぬことだ。
とはいえ、少女には説明している余裕も猶予もない。
外の強い日差しに一瞬眩しそうに目を顰めたが、すぐにもう一人の男を探す。
少女の目が男を捉えた。
男はすでに自分の武器を構えている。
「こ、この餓鬼! ぶっ殺してやる!」
男はすでに頭に血が上っているようだ。
先ほどの音ですぐ異常事態だと気づいたらしい。きっとこんな荒事にも慣れているのだろう。
この場合、少女からすれば、間髪入れずに男の間合いに飛び込んで先制したいところだが、なにしろここは砂漠。
砂に足をとられてしまい、駆けても速度はたかが知れている。
そうなると力で勝る男が圧倒的に有利だ。男はそれを理解しているのか、じりじりと歩み寄って距離を詰めてくる。まともに打ちあえば分が悪い。
だが、まともに打ちあえば、の場合だ。
「砂! お願い!」
少女は叫んだ。呼びかけたのはそこにいる奴隷たちにである。奴隷たちは一瞬唖然としていたが、ややあってその意図に気づいた。
少女は男に砂を浴びせろと、言っていたのである。奴隷たちはすぐに行動した。いきなり現れたこの救世主に、いくらかでも助太刀すべく、ぼろぼろの身体に鞭打って砂を掴んで、男のほうに一斉に投げつけた。
突然の砂嵐に男は視界を奪われる。目にも砂が入ったらしく、開けていられない。よろめきながら後ずさる。
「くそ! なんてことしやがる!」
男は吠えていたが、なにが変わるわけでもない。
少女は近づいて、長刀を振り下ろす。太刀筋は男の片腕に綺麗な一本線を描いた。刀の道筋上に裂傷が走る。
それは致命傷ではないが、男を行動不能にするほどのものだった。
そこを少女の肘が一撃。それが男の顎を打ち砕いた。男はたまらず意識を飛ばされ、砂の上にどたりと倒れ伏す。
まさかこんな場所で少女に手痛い一撃を受けることになるとは、思いもよらなかっただろう。
一瞬の沈黙。沈黙を破ったのは奴隷たちの歓声だった。声は少女を褒め称える。
「すげえ! あんたやるな!」
「自分より大きな男を倒しちまった!」
少女は歓声への反応もほどほどに男の傍に跪くようにして、腰につけていた鎖のカギを引き抜いた。それを掴んで、奴隷たちの方に放り投げる。
それは奴隷たちの動きを拘束していた鎖のカギだ。
奴隷たちはカギに飛びついて、自分たちを長らく拘束していた器具を打ち捨てた。
再び歓声が上がる。
それでも少女はまだ表情を引き締めたままだ。
「あとは前」
少女の言う通り奴隷商を率いるリーダーの姿をまだ見つけていない。
万が一でも取り逃してしまえば、右も左もわからぬ砂漠に置き去りにされることになる。それは死を意味している。
だからこそ少女は隊の先頭に足を急がせる。
案の定、リーダーと思わしき人物は、背後の様子を見て逃げようとしていた。
「逃がさない!」
逃げ出すより早く、少女のほうがさきに前に立ちふさがった。
そして、首筋に長刀を突きつける。リーダーは腰が抜けたらしく、へたりと座り込んだ。
「ま、待て! 殺さないで!」
その声は思ったより甲高かった。
少女は長刀で、その人物を覆っていたターバンをゆっくりとめくる。
商隊を率いていたリーダーの姿が露になった。
驚いたことにそのリーダーは、褐色の肌をした女。ガタガタと震えていることから、無抵抗なのは演技ではないらしい。
「なんでもする! だから、殺すな!」
命乞いする褐色の女だったが、追いついてきた奴隷たちに取り囲まれてますます青ざめた。
「散々いたぶってくれやがって! 殺してしまおう。こんなやつ!」
奴隷たちのなかにはそう叫ぶものまでいる。とはいえ、少女は出来るだけ冷静に言った。
「殺してしまったら、砂漠を抜けられますか? この人に案内してもらわないと」
奴隷たちはそう言われて押し黙った。周りを宥なだめると、少女は褐色の女に向き合って言う。
「街まで案内してくれたら、命は助けます。ただし逃げようとしたら、気は進みませんが、どんな方法を使ってでも、あなたに街の方角を吐かせることになります。どうですか?」
褐色の女はぶんぶんと首を上下に振った。
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