第3話 蒼月淑音

 褐色肌の女は、カーミラというらしい。

 カーミラの話によると、夜通し歩けば明日の朝までには街に到着するという。

 夜の砂漠は冷える。それに蛇に出くわすこともある。出来るだけ音をたてて歩いても、蛇の気分次第では危険がともなう。それでも、一行は街に向けて前進することにした。


 2人くらいであれば荷車に乗ることができたので、交代で休みつつ進む。少女は、カーミラを油断なく見張りつつも肌寒くなってきた身体を、自身で抱きしめた。星を見れば方角が分かるという。旅人は北極星を目指して旅をするというが、少女にはここの星空はわからなかった。


──ここにはわたしの知っている星座はないみたい。


 ほんの少し物思いにふける。


 少女の名前は蒼月淑音あおつきしとね。つい少し前まで、日本に住んでいた少女だった。淑音がどうしてここにいるのか。淑音は振り返った。


 ******


 伝統ある蒼月家の屋敷は街の中央に居を構えている。


 高層ビルが立ち並ぶオフィス街を抜けて、南西の方角の長い橋を渡ると閑静な住宅街が見えてくる。その住宅街の中ほどに異様なまでの存在感を示す大きな建物があるが、それが蒼月家の屋敷だった。重々しい屋敷は蒼月家が歴史ある武門の名家であることを伝えていた。


 屋敷には外部からの訪問者が極端に少ない。巨大な木造の門構えは、そこを訪れる者に無言の圧力をあたえており、この門をくぐるということは、覚悟を決めて蒼月家の門下生になるか、もしくは屋敷の家族へ特別な用事があった者だけだった。


 近所の住民からも畏敬の対象でもあった屋敷。その住人は、さしたるニュースもないこの街の好奇心をそそる存在である。


 蒼月家9代目跡取り、蒼月淑音といえばこの街ではちょっとした有名人だった。若干15才にして蒼月の道場を継ぎ、文武両道、眉目秀麗とうわさになっている。蒼月家8代目、蒼月正成は70才でこの世を去り、孫にあたる淑音に道場を託した。


 くだんのうわさだが、全てが淑音を誉めるものではなかった。中には


「実力が伴わない癖に、祖父に溺愛されていただけだ」とか

「『ただの人形』の癖に」


 と称するものもあったが、真偽のほどは定かではない。


 この淑音自身もひたすらに剣術に明け暮れていたので、クラスメイトとほとんど交友する暇もなかった。それに、自分に向けられる好機の目にうんざりしていたのか、自ら交友を避けているようでもあった。


 学校の図書室。

 静かな図書室は利用者も少なく、時折読書や勉強のために活用するのに適した場所だ。

 かくゆう淑音も図書室をよく利用していたのだが、主な理由は読書や勉強のためではなかった。

 お嬢様というのはとにかくストレスが溜まる。特に淑音は、蒼月家の道場の看板を背負っているので、いつも気を張っていなければならなかった。学校ではクラスメイトに。家では義父である直哉に。

 道場を継いでからは直哉からの風当たりは強い。本来自分が継ぐはずだと思っていた道場を、自分の義理の娘に奪われた形になったから、無理もないのかもしれない。最初は密かに行われていた嫌がらせも、最近ではあからさまなものになっていた。


 どこかで自分を解放しなければ、どんな人間だって壊れてしまう。

 実はこの図書室は淑音にとって、自分を解放できる場所だった。

 読書を装って、本で見えないようにしながらスマホを立ち上げる。スマホのトップ画面に映し出されているのは、青色の髪の魔法少女然としたアニメのキャラクターだ。名前を『スイレンちゃん』という。


 淑音は家が厳しいこともあって、普段テレビを見ることはなかったが、日曜の朝だけは別だった。

 鍛錬を終えた門下生たちと朝食を囲みながら、誰が見ている訳でもないが、耳慰めについているテレビが魔法少女を映しているのを盗み見していた。

 表情は決して崩さず、食事に集中している振りをしながら、一週間の楽しみを満喫する。

 青色の髪の子、『スイレンちゃん』が特に好きだ。悩みをひとりで抱え込んでしまうところが淑音に似ている。ポーズや詠唱を真似てみたこともあったが、他人に見られたら愧死きしする自信があった。


 淑音はいつもどおり、インターネットに接続し、自分が贔屓にしている掲示板を開いた。

 最近インターネット界隈では、お昼過ぎに立ち上がるスレッドのクオリティーが、とんでもなく高いと話題になっていた。

 キャラクターへの愛や造形の深さ、作品への理解がほとんどもう、崇拝の域に達しているともっぱらの噂だった。

 お昼過ぎに立ち上がることから学生か会社員が昼休みに書き込んでいるのではないかと推察されたが、そのスレッドは淑音によるものであることは誰も知らない。


「昨日のスイレンちゃんまじ可愛すぎ・・・・・・っと」


 普段なら決して淑音から出てこなそうな言葉も、この掲示板で鍛えたものだ。


「スイレンあれちょっとうざくね。俺、ニンフェア派」


 この神聖なるスイレンちゃんスレに、迷い込む別の派閥があった。

 実はこのアニメの人気順でいうとスイレンちゃんは2番手に甘んじていた。人気投票でいつも一人勝ちしているのはお嬢様キャラの『ニンフェア』だった。

 しかしそもそも、スイレンちゃんスレなのだから、ニンフェア派が幅を利かせようとするのが無粋極まりないことなのだが、淑音は女神のような慈愛に満ちた表情を浮かべた。


愚昧ぐまいな輩にスイセンちゃんの尊さを説くのも、わたしの役目」


 もはや教祖のように、スイレンちゃんへの圧倒的な愛で異教徒を改宗させる。とりつかれたように打ち込まれる高速のレス。反論も丁寧に論破し、悔い改めを促した。


「俺、心を入れ替えました。今日からスイレンちゃん派になります」


 大抵は篭絡され、新たなスイレンちゃん信者が誕生することになるのがこのスレのお約束となっていた。


 ふう、と一息ついて、立ち並ぶ他のスレッドにもひととおり目を通す。ほとんどがスイレンちゃんとは関係のないものばかりだったが、ひとつ淑音の目にとまるものがあった。


「最近異世界転生多すぎwww」


 スレッド自体は開かなかったが、そういえばそうだと淑音は納得した。アニメでもそういうものが増えている。


「わたしも行けるなら行きたいよ」


 淑音はふと現実に戻って、溜息をついた。

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