第15話 ロウドとチサト
コロシアムの誰もが興奮に「わあわあ」と沸いていた。
有り得ないと思えた番狂わせ。それを引き起こしたのはひとりの少女だった。
群衆お
「素晴らしい! まるで戦場の女神のようだ」
「それに気高い。見ろあのキレイな黒髪を!」
口々に身勝手に賞賛の言葉を向ける。
そんな中でひとり。会場の中で、燃えるような憎悪を滾らせている者がいた。
暑さゆえか、それとも男性を誘惑するつもりか、褐色の肌をむき出しにしたカーミラその人だ。
異性の目を引きそうな端正な顔を、台無しにするように歪めている。
「あの女……。くそ……! 話が違う……。なんでこうなる……」
誰にともなく呟く。
カーミラにとって、こんなことがあってはいけないのだ。
自分に恥をかかせた人間がこの世に存在してはいけない。
「殺してやる……。殺してやる……」
怨嗟の声を繰り返す。
「そんなに言うなら、コロシアム内に入って、直接やってきたらどうだ? 武器がないなら俺のを貸してやってもいいぞ」
カーミラにふと男が声をかけた。品のいい男で声は爽やかだ。
普段だったらいい男にころりと態度を翻すカーミラだったが、今日は虫の居所が悪い。
「なんだお前……」
かなりつっけんどんに返事をした。
男は気にした様子もなく、微笑を浮かべたままだった。
「俺のことは構うな。外側からああだ、こうだ言うだけでは何も変わらんぞ。それは直接人に手をかけるより、卑怯で矮小なやつがする事だ」
「なんだと……」
カーミラが血が出んばかりに唇を噛み締める。今にも、男に殴りかかってもおかしくないくらいだった。
「ひとついいことを教えてやろう」
そこで男は場違いに明るい顔をして、カーミラの耳元で囁いた。
「あんたには街を早めに出ることをおすすめするよ。何しろ今日闘技場で生き残った女……淑音を、俺は買い受ける事にしている。もし闘技場を淑音が出たら、真っ先に何を望むだろうな。多分、自分を貶めたやつを探して、復讐することを考えるかもしれん。俺はそれくらいの自由は与えてやろうかと考えている」
そこで言葉を切って、少しの間をあける。
「なあ。だから、悪いことは言わないから、さっさとこの街から消えろ……」
一拍の間をあけて、カーミラがハッとした顔で男を見返した。先程とは打って変わって、表情に怯えが混じっている。
「あんた……買い戻すって……何を言っているんだ……」
男はそれには答えず、
「急いだ方がいいぞ?」
と、不敵な笑みを浮かべた。
カーミラはその場から二、三歩後ろに後ずさってから、早足でコロシアムの入り口に消えていった。
その後ろ姿を男は見送っている。
やがてカーミラの姿が完全に消えてから、男の隣にいた小さな従者が溜息をついた。
「全く趣味が悪いです……」
「……あの女よりマシだろう」
満足気に笑っていた。
「まったく女の恨みというのは恐ろしい。俺も気を付けなければな」
「ロウド様。そういうところですよ」
ロウドは淑音たちの戦いをずっと観察していた。
買い戻すと約束していたとはいえ、明日どうなるかしれない剣闘士としてコロシアムに立つと聞いてからは、半分以上諦めていた。
どうしても淑音を手に入れたいとは思っていたが、強引に今の主人から奪い取るわけにもいかない。
せめてもの責任と思い、試合を観戦し、結末を見守ろうと思っていたが、大いに予想を裏切ってくれた。
だが、それでこそ彼女を買う価値がある。
ロウドがこれからやろうとしていることには、淑音のような少女がどうしても必要だった。
「思わぬ拾い物になったな」
ロウドは先ほどまでの笑顔を引っ込めて、言った。
はるばる旅をしてきた。といっても、まだ二週間も故郷を空けていない。
しかし、宮廷暮らしのロウドにとって、これは初めての冒険のようなものだった。
ワクワクするような日々の連続だった。
それでも、無軌道に夢を追う若者とは違う。
明確な目的があって、そのためのものを手に入れるための旅。
「迷い人」
ロウドは淑音を指してそう言った。
ロウドの国に伝わる噂によれば、「迷い人」は数十年に一度突然と姿を現すという。
どこか遠い世界から現れて、その地方に恵をもたらしていく。
ロウドには知りうるはずもなかったが、それはロウド達からすれば、異世界からの訪問者だった。
その訪問者たちは、今まで聞いたこともないような新たな技術を持ち込み、世界の常識を覆してしまうほどの知識を有しているという。
だから、権力者たちは「迷い人」の情報を秘匿し、自分たちの勢力に囲い込み
彼らから引き出せる情報を独占しようと、闇の中での攻防を繰り返してきた。
幸いこの街──アパタイトでは、「迷い人」について知っている権力者は少ない。
淑音のことを知っているものはロウドしかいないはずだった。
だが、それも時間の問題だ。
コロシアムでの淑音の活躍は街の噂になるだろう。
武勇に優れた戦士と「迷い人」とをすぐに結びつける人間はいるとは思えないが、早めに手元に置いておくに越したことはない。
「まさか、星読みの予言が当たるとは思いませんでしたね」
小さな従者──チサトがロウドに言葉を添えた。
チサトの言う通り「星読み」──星を呼んで吉兆を占うもの──の予言はまったくもって眉唾物だったが、本当に「迷い人」に出会えた今なら、いくらでも感謝したかった。
「まったくだ。帰り道がてら、礼に伺ってもいいくらいには感謝している」
「変な人ですけどね」
「まあそう言うな。天才ほど我々には理解できない
そう言いながら、ロウドは胸元にしまってあった契約書を取り出した。
あの闘技奴隷の主人、赤霧から淑音を買い取ることが記された正式な契約書で、決してたがえることがないように、この街の機関の印が押されている。
これがある限り、いまさらどんなにごねようと、契約を
チサトとロウドは連れだってコロシアムを後にし、淑音が待っているであろう宿舎に向かうのだった。
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