第5話 不吉な笑み
「拾ってもらったことは感謝してるわ。でなければわたしは、死んでいたわけだし」
「……とんでもないやつを拾っちまったと後悔してるよ……」
「でしょうね」
「しかし、奴隷の連中をどうするつもりだ?」
「どうする、とは?」
カーミラによると、奴隷には身分を証明するために、身体の一部に焼き印が押されているらしい。
この焼き印がある限り、街についたとしても逃亡奴隷として捕えられて、元の主人のもとに送り返されるか、別の主人の奴隷にされるという。
つまり奴隷には逃げ場などないのだ。
「やつらは奴隷に堕ちたばっかりだから、その辺がよくわかってねえ。まああんたは奴隷の焼き印もないし、関係のない話だけどな」
ペラペラとよく話すと淑音は思ったが、特になにも言わなかった。引き出せる情報は多いに越したことはない。
「じゃあ奴隷は生涯奴隷で居続けるしかないってこと?」
「まあ大抵はそうだな。まれに主人に放免証書を渡されて、自由になった奴隷もいるそうだから一概には言えないけど」
絶望的ではないかと思う。とはいえ、自分の明日の命さえ定かではない。他人の事に関与している余裕が果たしてあるのか。
「これから向かう場所について教えて」
話題を変える。何しろ右も左も分からない。少しでも情報が欲しい。
「ここらで最も大きな商業都市さ。何でも売ってるし、なんだって買える。金さえ払えばどんな欲望だって満たせるそれが大都市アパタイトだ」
なるほど、奴隷商が目指すに相応しい都市のようだ。
とても治安が良さそうではない。そんな場所を目的地として据える旅路に不安を感じる。
見知らぬ土地に一人放り出されるということがこんなにも孤独で恐ろしいということを初めて知った。
たった一つの道標は自分を呼んでいた声だけだが、こちらにたどり着いてからなんの呼び掛けもない。
身体がひどく痛かった。それに疲労で重だるい。慣れない気候の変化についていけていないからだ。
夕暮れを迎えつつあるというのにまだ気温は高かった。
だが、この不調を隣の信頼の置けない案内人に知られる訳にはいかない。
きっとカーミラは隙を見せたら、蛇のように噛みついてくる。そんな直感があった。
「代わろう」
背後からの声に淑音は思考の底から引き戻される。やってきたのは奴隷の男だ。名前はユルダという。
見張りは2時間事に交代で、と話し合っていた。もうそんな時間が経ったのか。時間が瞬く間に流れている。
「ありがとう。ユルダ」
礼を言ってラクダを降りる。
「これを」
そう言ってユルダに長刀を差しだす。この長刀で見張りは常に、カーミラの動きをけん制しなければならない。
大変な集中力が求められる見張りだった。
「おう」
ユルダは返事をして長刀を受け取ると、淑音の座っていたラクダにまたがる。
「油断しないで」
ユルダに見張りを引き継いでから、淑音は荷車の背後にまわる。休憩も大切だ。
何があるかわからない。いざというときは動けるように身体を整えておきたかった。
淑音は、カーミラの唇が不気味に歪んでいるのに気が付かなかった。
背後に回ると荷車でさっきまで休んでいたミリィが、淑音の姿を見やって朗らかな笑顔を見せる。
淑音が倒れた時に必死に庇おうとしてくれた女性だ。淑音より年上で、もしかしたら親子ぐらいの年齢差かもしれない。
「ミリィ。少しは休めた?」
「ええ。ありがとう。だいぶ楽になったわ。あなたは?」
「わたしは……。身体が少し重い」
ミリィは苦笑いを浮かべた。
「そりゃあ、男相手にあそこまで大立ち回りを演じれば……ね」
ミリィが荷車の奥を見やった。そこには、淑音に倒された男たちがロープでぐるぐる巻きに縛って転がされている。
意識は戻っているのかいないのか。いずれにせよ、口も縛ってあるので声をあげることもできまい。
砂漠の真ん中に捨てていくのは抵抗があった。そんなことをすれば確実に男たちは死ぬ。
それはどうにも後味が悪い。みんなを説得して、どうにか荷車に詰め込むことにしてもらった。
都市の近くのどこかで、そのまま投げ出す方がまだ人道的に思えた。
「かわるわ」
ミリィは身体を起こして、荷車から飛び降りようとした。荷車はゆっくり進んでいるとはいえ、バランスを崩してしまえば怪我をすることになる。
淑音はミリィの手を掴みながら身体を支えた。問題なくミリィの足が着地したのを見ながら、今度は淑音が荷車に飛び込む。
危うげなく、荷車に乗り込むことが出来た。
「あなたも少し休みなさい」
「ありがとう。ミリィ」
ミリィは砂漠を歩くのに適した肌を露出しない服装をしていた。だから、カーミラが言っていた「奴隷の焼き印」というのは見当たらなかった。
でも彼女にもその焼き印は刻まれているのだろうか。少し深刻そうな顔をした淑音に気付いて、ミリィは微笑みながら首を傾げた。
今見張りの番をしているユルダも。ここにいる奴隷たちみんなに、それはいえた。
──このまま本当に、大都市アパタイトに向かってもいいのかな?
けれどほかに目的地など思いつきようもない。
「休めるときに休まないと」
心配そうにミリィが声をかけてきた。
「眠れないなら子守唄でも歌うかい? あたしの子供たちにもずっと聞かせてきた歌」
そういうとミリィは、淑音の聞いたことのない歌を歌いだした。彼女の故郷の歌なのだろうか。
正直何を歌った歌なのか見当のつかなかったが、優しい歌だった。
子供を慈しむような。母親の愛情がこもっているような。
──ミリィには子供がいるんだ……。
子供たちは今も生きているのかな。それとも……。
それを聞く勇気はなかった。
ミリィの歌を聞きながら、淑音は深い眠りに落ちていった。
思えばこれが間違いの元だった──
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