第6話 奴隷の焼き印
次に目覚めたのは、身体に走る衝撃のせいだった。
全身に痛みが走る。薄目を開けると、目の前は地面。
──え? 何?
状況が分からない。覚醒し始めた意識の中で、身体が動かせない事に気がついた。
腕が後ろ手に何かロープのようなもので縛られている。そのせいで身体を起こすことすら出来ない。
目線の先には誰かの足が映っていた。必死に顔を上げて誰かを確認しようとする。
「おお。目覚めたか? 随分気持ちよく眠っていたみたいだなあ」
声の主は嘲笑うように言った。
褐色の肌。カーミラだ。少しずつ思考が回り始めてきた。
淑音の両隣を見ると同じように拘束されたミリィや奴隷仲間が転がされている。
少し離れた場所でユルダの哀れな死体が転がっていた。間違いない。
見張りのユルダは呆気なく殺され、主導権を取り戻したカーミラに再び拘束されたという所だろうか。
状況が理解出来ると、今度は激しい後悔が襲ってきた。
あそこで眠るべきではなかった。見張りをユルダに任せるべきではなかった。
背筋から嫌な汗が吹き上がってくる。
だが、どれほど後悔しようと状況は変わらない。
自分を縛っているロープに渾身の力を込めるが、ビクともしなかった。
「お前のせいで奴隷二人が死んだ。大迷惑だ」
「二人」と言った。ユルダ以外にも誰か犠牲になったのかもしれない。
「違う! カーミラ! あんたが殺した!」
カーミラに対しての怒りが淑音のなかから沸きあがってくる。
カーミラがにやにやと笑いながら淑音の前にしゃがみこんで、顔を合わせる。
表情に張り付いているのは弱者をいたぶる強者の笑い。虫を見るような目だ。
ふと、カーミラは貼り付けた表情を消し、一転して憎しみに満ちた目を向けて来た。
「お前のせいで、このカーミラ様の初めての仕事が泥まみれだよ!」
怒気の含んだ声。酷くプライドを傷つけられたらしい。
ただ、その声には死んでしまった部下についての怒りは含まれて居ないように思える。
カーミラの手が伸びて淑音の髪を掴んだ。そのまま引っ張って強引に上を向かせる。
「お前は知る限り酷い方法で殺してやる。そう出ないと気が収まらねえ」
カーミラの瞳孔の開いた目がそれが、真実だと告げている。
ぞくりと怖気だった。
惨い方法で殺す。
一体どんな方法で。
瞬間的に自分に降りかかる死のイメージが浮かんで、水を浴びせられたように冷静さを取り戻す。
「そう。じゃあ、あなたには一銭の儲けにもならないんじゃない?」
震える声を悟られぬよう、できるだけ落ち着いて言葉を紡ぐ。
その言葉に、はっとしたように、カミーラは
カミーラも商人であるなら、これ以上の損失は避けたいと思うはずだ。
淑音はごくりと息を飲みつつ、その様子を伺った。
やがて何か思いついたらしい。
カミーラはにたりと嫌な笑みを浮かべ淑音に顔を近づける。
「考えてみたんだが、この都市にはわたしの願いを叶える方法があることを思い出したよ。お前がなぶり殺される様子を見ながら、その上で儲けも得られる方法がな」
その方法が何かは分からないが、碌でもないアイディアに違いないことはわかった。
だが、今この場で殺されるわけではないらしい。その事に内心胸を撫で下ろす。
それでも今この場で死んだ方がましなのか、それとも延命できた事を喜ぶべきなのか、答えはまだ分からない。
淑音は、自身から吹き出す嫌な汗を止めることが出来なかった。
後悔の瞬間は都市に辿り着いて直ぐに訪れた。
耳を澄ます。賑やかな人々の声が聞こえる。荷車は都市の中に入ったらしい。
強引に淑音を含めた奴隷たちは荷車から引きずり出され再び地面に投げ出された。
「まずはお前の立場ってものを、思い知らせてやる」
カーミラは都市につくとすぐ自分たちの別の仲間と合流出来たらしい。
強面の別の3人の男を引き連れて、荷車の乗せられている奴隷たちの所にやってきた。
「まずは都市に無事に着いたことを喜ぼうじゃないか。途中何人かが死んだのは本当に残念だった」
やけに演技掛かった言葉で、カーミラは続ける。
「これからお前らを主人に売りさばく訳だが……元々は労働用の奴隷として売るつもりだった。けれど気が変わった」
この都市では労働用奴隷。
金持ち達の劣情のための性奴隷。
能力のある奴隷はそれよりは待遇の良い雇用奴隷といて売買される。
カーミラは労働用としては売らないと言う。ならば、どうなる。
考える限り最悪の想像が脳裏に浮かぶ。
「お前らはまとめて闘技用の奴隷として売ってやる」
予想とは違う言葉が飛び出して、淑音は一瞬ぽかんとした。
聞きなれない言葉だった。
だが、周りの奴隷たちが絶望的な声を漏らした。
顔面は蒼白になり、口が戦慄いている。
淑音だけが状況を良く理解していないようだった。
小声で隣のミリィに尋ねようとした所で、身体を強引に引き起こされた。
二人の強面の男達に両腕を掴まれている。
一人は淑音の左に。もう一人は右に。
そして既にボロボロだった制服の右肩口を引き裂かれた。淑音の肩が
「え? 何」
理解が追いつかない。
狼狽する淑音に向き合うようにカーミラがニタリと邪悪な笑みを浮かべた。
見たものを心の底から震え上がらせるような笑いだった。
淑音はカーミラが手にしているものに気がついた。あれは、焼きごてだ。
その鉄の棒は先に刻印が刻まれていて、ごてに焼かれた皮膚に奴隷の証印を刻む。
先端は高温の火で炙られていたらしく、じゅうじゅうと嫌な音をたてている。
「ちょっと、やめてカーミラ!」
思わず叫ぶ。
あんなもので証印を押されてしまったら。もう消えない。
全身の毛穴から汗が吹き出してきた。カーミラの表情は変わらず残酷な笑みをたたえていた。
「お願い!やめて!」
カーミラは淑音の懇願に心底楽しそうな顔をした。
ゆっくりと。
わざとゆっくりと焼きごてを淑音の肩に近づける。
淑音は渾身の力で男たちを振り払おうともがいた。屈強な男達はビクともしなかった。
「やめてやめてやめて──!!」
淑音の悲痛な叫びに奴隷たちも、内心では男たちも目を逸らした。
カーミラだけが笑っていた。
やがて「じゅっ」という音。
肩から走る火傷の激痛。
肉が焼ける嫌な匂いが充満した。
淑音の肩口に焼きごてがあてられたのだ。
淑音は絶叫した。
肩に走る激痛。
このまま気を失えればどんなに楽かと思ったが、残念ながら意識は鮮明だった。
焼きごてが肌から離れる。肩口には奴隷の証印が赤黒く刻まれていた。
淑音はもはや抵抗する気も起きなかった。ぐったりと男達に取り押さえられたまま項垂れている。
涙が
「これでお前は間違いなく奴隷だよ。安心して取引できるってもんだ」
カーミラは勝ち誇るように言った。
淑音は項垂れたまま何も話さなかった。ただ、ぽろぽろと涙を流し続ける。
それでも最後の抵抗なのか、声は漏らさなかった。
頭の中をぐるぐると色々なことが巡っていた。
──どうしてこんなことに。奴隷の証印。これでもう逃れられない。
人の心を打ち砕くのに奴隷の証印は効果があった。
どんな人間でも身体の一部に刻まれた証印を見るたびに、自分自分が奴隷であることを強制的に再認識させられる。
決して逃れられない運命を突きつけられるたびに、人間としての自我を剥ぎ取られていく。
奴隷たちの大半は次第に抵抗する気力も失われていった。合理的なやり方である。
頭がくらくらした。後悔。絶望。しかしそれでも最後に残ったのはカーミラに対しての怒りだった。
腹の奥から煮えたぎるようなどす黒い感情が湧き上がって来るのを感じた。
かつて義父の雄哉に対して湧きあがったのと同じ感情である。
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