第7話 おぞましい家

 同刻。

 淑音しとねの暮らしていた蒼月家の屋敷。

 門の前には未だに、警察車両が複数台並んでいて、事件現場特有の緊張した空気で張り詰めている。


 何しろ普段事件のない街だから、住民の不安は大きかった。

 早期の解決が望まれていたのは、言うまでもない。

 そんな期待に応えるかのように、制服に身を包んだ警察官が入口に二人。

 屋敷の出入りを鋭い眼光で見張っている。


 淑音の母親には、事情を聞くために一旦警察署に出向いてもらっている。

 それで事件以降、関係者以外の出入りは禁じられているので、屋敷内は数十人の警察関係者しかいない。


 屋敷内部、蒼月家の所有する道場内にも二人の男。


「やっぱり逃げた娘で決まりですかね」


 蒼月家で起こった事件を担当することになった比較的若い刑事竹本が言った。

 パートナーである老年の刑事高杉は、事件が起こった道場の床に座り込み何やら検分している。

 眉間と手に刻まれた深い皺が熟練の刑事であることを物語っている。


「……状況からみればそうだな」


 重々しく高杉が言う。

 無駄にしわがれた声のせいで、実際の年齢より上に見られることが多いのを、高杉は気にしていた。


「でも、あの母親もおかしなもんですよね。仮に本当に娘が殺したにせよ、もう少し娘をかばうようなことが言えなかったんですかね」


 母親は警察が現場に到着するなり、「淑音がやった」とひたすらに喚いて現場の人間を困らせた。

 そんな状況を、聞き及んでいたからこその竹本の発言である。

 そういう感想を持つのも、理解できる。


「滅多なことを言うもんじゃねえよ。証人には正直に語ってもらわねえとこっちも仕事が面倒になる」


 けれど立場上、高杉はこう言うしかない。

 竹本の軽口に釘を指したものの、高杉も妙な違和感を覚えていた。

 父親は義理だが、母親は「実」のはずだ。

 だから、すべて娘がやったと喚いていた姿はやけに印象的に記憶にこびりついている。

 どうにもきな臭い家庭だと、高杉は思う。

 高杉自身もふたりの娘がいるが、果たして娘がこんな事件を引き起こしたとして庇わずにいられるだろうかと考える。

 刑事とはいえ人間だ。

 躊躇なく正しい選択が出来るとは限らない。

 自分という人間をそこまで高く買っているわけではないのが、この高杉という人間である。


──あの母親、娘を疎んじていたのか。


 これもありえない話ではない。

 そういう親がいることも高杉は知っている。

 目をそむけたくなるような汚い感情が渦巻くのがこの世間というものだ。


 ではなぜ疎まれていたのか。

 それについても推測が付く。


「義父は半裸の状態で斬り殺されたって話でしたね。これって、つまり──」


 竹本の言葉には返事をせず、高杉は思考の海に漂っていた。

 つまり、義父は娘に手を出そうとしていたということだ。


  実の娘ではなかった。

 しかし、それでもおぞましい話である。

 状況を聞きおよぶに、義父は道場を娘が継いだことに腹を立てていたという。

 娘に対する嫉妬が、いつから劣情に転化したのか。

 いや、どちらも同時に持ち合わせていたのだろう。

 娘に劣情を燃やしていることにいつからか気づいた母親は、その怒りを夫にではなく娘に向けたのかもしれない。


「そんなやつ、言ってしまったらあれですけど……」


 竹本は言葉にしなかった。

 が、言外に「死んで当然」と言ったのがよくわかった。

 うっかり同意してしまうのをこらええつつ、高杉は言う。


「お前は口より手を動かせ」


「わかってますよ」


 竹本が大して気にした様子もなく頷く。

 娘には動機がある。

 性的な虐待がどの程度に及んでいたのかは分からないが、義父に殺意をいだくことがあってもおかしなことではなかったろう。

 耐えかねてついに、というところだろうか。


 だがまだ疑問が残る。武器として使用されたはずの真剣がどこにもなかった。

 あんな長い刀を持ち歩いていたら、いくら人通りが少ないこの街でも誰かしらが目撃するはずだ。

 そんな通報はないし、娘の行方は忽然と消えてしまった。


「おかしいよな」


 高杉の呟きに、竹本は分かっているのかどうなのか


「はい」


 と返答した。


 ***


 淑音しとね達は簡易の鉄の檻に入れられ、人の往来を眺めていた。

 都市の中心部に近いこの場所は、淑音の街よりももしかしたら賑わっているかもしれない。

 異様な熱気ともいえるものがここにはあった。


 南国の果物が露店に並べられ、店主が通り過ぎる人たちに呼び込みの声を張り上げている。

 こうした賑わいにあまり慣れていない旅人達は、そんな威勢の良い店主に捕まって、なんだか分からない果物を山ほど買わされているようだ。

 その向こうには、見るからに胡散臭い宝石を扱う露天商。

 通り過ぎる金払かねばらいの良さそうな商人や、旅人を誘い込もうと、露出の多い娼婦が、まだ昼間だというのに悩ましげな視線で誘惑している。

 とにかくありとあらゆる物が、街を行き巡っていた。

 どんな欲望でも叶うというのは、決して誇張ではなさそうだった。


 そんな中で、誰も檻に入れられた淑音たちに注目することがないのが、異様だ。

 ここの人々には大して珍しい光景ではないのだ。

 当たり前のように人が売り買いされているのが、この都市での日常。

 淑音の常識など、到底ここにはおよばない。


 肩口の痛みは徐々に引いてきているが、当然ながら淑音の心中しんちゅうは穏やかではなかった。

 それでも少しでも、自分が置かれている現状を探らなければならない。

 そういえば、ミリィに「闘技用の奴隷」について尋ねる途中だったことを思い出す。


「ミリィ。闘技用の奴隷って……」


 背後のミリィに尋ねる。

 小さな檻の中に4人の奴隷が押しこまれているので、とても窮屈だった。

 ミリィは淑音とほとんど身体が接触している距離にいる。


「……知らないの?」


 ミリィは精も根も尽きたような表情を浮かべている。

 表情からするに恐ろしいものなのだろう。


「この都市の中央にコロシアムがあるの。そこで奴隷たちは死ぬまで戦わされる。この都市はそれを見世物にして莫大な利益を得ているの」


 ミリィは言葉にするのも恐ろしいというように言った。


──なるほど、ローマの剣闘士のようなものか。

  歴史の授業で習ったことがある。


 その程度の知識でしかないが、奴隷たちが絶望に突き落とされた気持ちがよくわかった。

 同じように奴隷に身を窶した者たちが命がけで殺しあう。

 その凄惨さがどの程度のものか全ては計り知れないが、この世の地獄のような光景だろう。

 もしこの目の前のミリィと戦わなければならなくなったとして、自分はこの人を殺せるのかと考えて淑音はぞっとする。

 けれど、淑音だって他の多くの奴隷と同じように死にたくはないのだ。

 何もわからない土地で、何もわからないまま死んでいく。

 それを考えただけで叫びたくなりそうだった。


「あんたが、カーミラに逆らわなければ!」


 ミリィの後ろから声がした。

 ミリィの背後にいた男が発した声だった。

 たった一言のその言葉に心臓を鷲掴みにされたように感じる。

 理不尽だと思うが、返す言葉がなかった。

 確かにカーミラに逆らわなければ、ただの労働用の奴隷になれたのだ。

 淑音は無言で俯いた。


「淑音を責めるんじゃないよ! こんな少女に責任を押し付けるのかい!」


 ミリィは振り向いて男を責める。


「だってよ……。だって、俺にだって故郷に家族がいるんだ……。こんなところで死ぬわけにはいかねんだよ」


 男は言葉を詰まらせた。

 何も言えなかった。

 言い返す気もおきなかった。

 ただミリィだけが淑音の手を強く握ってくれていた。


「ごめんなさい……」


 淑音はそれだけ言葉を絞り出すと、あとは何も語らなかった。

 他の奴隷たちも言葉を失って沈黙だけが残る。

 賑やかな市場で淑音達だけが言葉を失っていた。


「お前、迷い人だな」


 場違いな男の声が聞こえたのはそのすぐ後だった。

 静かな落ち着いた男の声だった。

 ふと見上げると、頭まで深くかぶった長衣の男が、小柄な従者を引き連れて檻の近くまでやって来ていた。

 男はどうやら淑音に話しかけているらしい。


「どこから来た?」


 男が尋ねる。

 今まで何度かあった問答をまた繰り返すのかと、少しうんざりしたが淑音は素直に答えた。


「日本からです」


「やはりな」


 男の返答は意外なものだった。

 今まで誰も、奴隷仲間も含めて、「日本」という国を聞いたことがないとの返答だった。

 その答えに淑音は大きく目を見開いた。


「日本をご存じなのですか!?」


「ああ、実際には知らないが、かつて誰かから聞いたことがある」


 見知らぬ土地で初めて足がかりとなりそうな情報に出会えたことで、淑音の胸は高鳴った。


「お前のような『迷い人』を探していた。その見たこともない服装。『迷い人』に違いない」


「わたしは淑音です! あなたは?」


「俺はロウドだ。連れはチサトと言う」


 小柄な連れが小さく頭を下げた。

 まだ幼い少女のようにも見える。

 その姿は、ローブに覆われていてよく見えない。


「ロウド様。どうかわたしたちを助けてください!」


 淑音は藁にも縋る思いで懇願した。

 せっかく声のぬしに繋がりそうな人物に出会えたのだ。

 みすみす死ぬわけにはいかない。


「恰好を見る限りかなりの裕福な方とお見受けします。なんでもします。ですからどうかわたしを買ってください」


 目の前のこの男が、そんなことをして何の得になるというのか。

 淑音には、そんな諦めが付きまとっていたが、例えこの身を差し出すことになったとしても、仲間の奴隷を助けるべきだと、淑音を突き動かすものがあった。


「わたしだと。まさかとは思うが、そこにいる4人全員を買えというのか。言っては何だが俺はお前以外いらん」


「ですから、なんでもしますと言っています」


 天井からもたらされたたった一つの蜘蛛の糸を手放すわけにはいかなかった。

 ここの人たちを救うためには、自分の命以外の何もかもを投げ出さなければならないかもしれない。

 しかし、ここの人たちの命が危ぶまれているのは自身の責任もあると、淑音は思っていた。

 ロウドは目を細めて、淑音をそして後ろの数名を見遣る。

 ロウドは何かを考慮しているかのようで、淑音にとっては息が詰まりそうな沈黙だった。


「……だが、お前の持ち主はもはや、別の誰かと交渉を終えたようだが」


 淑音がロウドの背後にいるカーミラを見つける。

 カーミラは淑音達の方は見ておらず、手元に小さな小袋を握ってお金を数えているようだった。

 金銭のやり取りがすでに終わったようで、これから淑音達奴隷を新たな主人の元に引き渡すつもりでいるらしい。

 背後から背の高いふたりの男が連れだっている。

 淑音は愕然とした。


──間に合わなかった……。


 目の前が真っ暗になる。


「3日待て。あの新しい主人から俺が買い戻してやる」


 ロウドはカーミラが戻る前に急いで告げた。

 淑音は顔を上げて今聞いた言葉の意味を咀嚼そしゃくし直す。


「買い戻す」と確かにそう言った。

 たった一本の細く千切ちぎれそうな糸はまだ繋がっていた。


「お願いします。ロウド様」


「それまで生きていろ」


 それだけ言うとロウドと連れは人込みの中に消えて行ってしまった。

 姿が消えてしまったことがとても心細く感じた。

 書面にしたわけでもないただの口約束。

 反故ほごにされないとも限らない何の保証もない言葉に、今は縋り付くしかない。

 無力感が全身にまとわりわりついていた。

 だが、全くの暗闇でもないと淑音は自分を鼓舞した。

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