第8話 死の香り

 カーミラは淑音しとね達を剣闘専用の奴隷として売りさばいた。

 剣闘用の奴隷は、都市の中央にあるコロシアムに併設している特殊な宿舎に送られる。

 主人は何十人もの奴隷を所有しているらしく、新たな新入りとして4人が迎え入れられた。

 剣闘専用の奴隷にしては格安で売り払われたらしく、カーミラが儲けよりも自分のプライドを優先させた結果といえた。

 淑音を含めた4人は、白くて高い壁に覆われた敷地内の、主人の部屋に到着後すぐに連れてこられる。


「お前が男3人を軽く殺してみせたという女か。その細腕では蚊も殺せそうにないな」


 新たな主人は疑るように、検分するように言った。

 淑音は実際には男たちを殺してなどいなかったが、カーミラが誇張して売り込んだのだろう。

 淑音は言い返すほど愚かではない。

 ただ黙っていた。


 新たな主人は長身で肌は浅黒く、聞くに自らも奴隷に身分をやつしていたが剣闘士として名をあげて今では奴隷を使役する立場にあるらしい。

 そのためか筋骨は隆々としていて、簡単に人を縊り殺せそうな無言の圧力がある。

 本名は誰も知らないが、ここでは「赤霧」と呼ばれていた。

 お酒の名前のようだと淑音は思ったが、実際には切り刻んだ敵の血吹雪が赤い霧のように闘技場を覆ったというのが名前の由来だった。


「お前らは安値で買い取った。だから、はなから期待などしていない。けれど、無様に死ぬな。観客を楽しませるように派手に死ね」


 赤霧は抑揚のない低い声で言った。

 連れてこられた奴隷たちを震えあがらせるには十分な言葉だった。


──この男は私達の命など何とも思っていない。


 淑音はそう感じ、実際にその通りだった。


「それにお前」


 赤霧がとくに、淑音を睨みつけて言った。


「もしおかしな真似しやがったら、わかってるな?」


 赤霧が目で壁の方を指していた。

 壁には奴隷用の刑具が、乱雑に突き刺さった釘からぶら下がっており、その中で特に長い鞭が目を引いた。

 逆らったら、これを使う。

 目だけで赤霧は、そう言っていた。

 鞭は本来、死に至らしめないための道具ではあるが、実際の所苦痛の果てに死ぬことも珍しいことではない。

 奴隷用に用意された、本格的なものならなおさらだ。

 子供のお仕置きとはわけが違う。


? それに聞こえたら返事をしろ」


「はい。ご主人様……」


 淑音は俯きながら言った。


 それから、部屋が割り振られ4人は同じ部屋に詰め込まれる。

 そこは檻の中よりはいくらか広いが、やはり手狭で不潔な空間だった。

 4人とも何日も風呂に入ることができていない。

 そのために匂うのはわかるが、鼻は次第に麻痺していた。

 だから、ここに薫るのはそれとは全く違う匂い。

 死臭。

 コロシアムが近いせいもあるかもしれない。

 死がとてつもなく近い場所。

 実際の死体に、死を目の前にして人間の匂い。

 そんなものが充満していた。

 こんな場所で一体いつまで耐えられるだろう。

 まとも精神ではいられないだろう。

 身体よりも心が先に死ぬ。

 そうすれば死は身体にもやがて追いついてくる。


 横にいたミリィが、こみ上げたものを感じたらしく口を抑えてうずくまっている。

 その背を必死に撫でながらも淑音は言った。


「3日。3日だけでいい。その間生き残りましょう」


 奴隷たちを収容するこの施設に辿り着いてから、淑音はどこか逃げ道はないかと、普通以上の注意を払っていたが、それらしいところは見つけられなかった。

 敷地を覆う壁は高いし、よじ登れるようなものでもない。

 それに、街の一大事業である奴隷たちの殺し合いを成功させるために、街をあげての協力があるらしく、兵士たちが必ず施設の区画ごとに配備されていた。

 常に監視状態にあるここは、刑務所のようなものともいえる。

 脱走計画が露見しようものなら、殺されるか、運が良くても主人による鞭打ちで、もはや逆らう気がなくなるまで打ち据えられるのだろう。


 だから、淑音にはロウドから言われた言葉に望みを置く以外なかった。

 ここにいる誰もがそんなもの信じられるわけがないと感じていた。

 だけど、それを口にすることは誰もできなかった。

 それを否定してしまっては、もはや道はないのだ。


「3日の間だったら、わたしたちは試合に駆り出されることはないかも知れない。もしそうなら、わたしたちは無傷でここを出られる」


 淑音は全員を鼓舞するように言った。


 だが、そんな希望的観測はすぐに打ち砕かれることになる。

 その次の日。部屋から男が一人選ばれた。

 恐らく無作為に選ばれたのだろう。

 そしてそのまま戻ることはなかった。

 しばらくは誰もそのことに触れなかった。

 部屋に残されたのは淑音。

 ミリィ。

 そしてもう一人の男。

 名前をレオというらしい。


 当初心配していたような、ミリィやレオとの直接の戦いはおこりえなそうだった。

 同じ主人の奴隷同士の殺し合いなど、主人にとっての不利益でしかない。

 同じ主人の奴隷である限り、それは考えなくていいのかもしれない。


 では他の主人の奴隷との試合が組まれたらどうするのか。

 生き残るために誰かの命を刈り取らなければならないとするなら、躊躇せずにそれができるのか。

 ここにいる誰もが考えることであり、考え続けることを避ける論題だった。

 答えはわからない。

 ただわかっているのは、諦めた時自分が死体に群がるうじの餌になるということだ。


 奴隷の宿舎では朝6時に食堂で朝食が提供される。

 奴隷の身分でありながら、豊富な食材で料理がこしらえられていた。

 戦うために買われたのだから、戦える身体を造るようにという事なのかもしれない。

 何日かぶりのまともな食事にありつく。

 宿舎には淑音達を含めて30名ほどの奴隷が寝泊りしていた。

 食事の後今日の予定が主人である赤霧から伝えられる。

 淑音はごくりと唾を飲み込んだ。


「お前らに大きな仕事が入った」


 赤霧の言葉に淑音とミリィ、そしてレオは祈る思いで顔を見合わせた。


「この都市に来た貴族たちをもてなすため大きなイベントが開かれる。このコロシアムでも奴隷たちによる血で血を洗う催し物が計画された。どこの剣闘士も気がすすまなかったらしくてな。持ち回りで俺たちが選ばれた。ここにいる20名が明日コロシアムに出向く」


 淑音達の期待は打ち砕かれた。

 不幸なことにその20名には淑音達の名前も含まれている。

 赤霧が言っていたように、どこの奴隷の主人もそのイベントに自分の奴隷を参加させることに気がすすまないようだった。

 つまり、ほとんどが生きて帰ってこない。

 奴隷を無駄に消費する試合なのだという。

 選ばれた奴隷たちの表情から余裕が消えた。


「せいぜいコロシアムを盛り上げろ」


 赤霧はいつものように抑揚のない声で告げた。


 試合は2日後。

 そこで自分たちの運命が決まる──

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