第19話 宿屋にて

「人の往来の多いところで、目立つ真似をするのはよせ」


 自分たちの宿の入口に到着して、ロウドはため息混じりに言った。

 宿は小綺麗な二階建ての木造で、この街に訪れる旅行客や行商人達で賑わっている。

 一階部分は受付と、お酒を提供するバーも兼ねていて、まだ夜には少し早いというのにおっさんたちがげらげらと何かの話をして盛り上がっていた。

 お酒の匂いと、にぎやかな騒めき声。

 そういう雰囲気だけで一行はなんとなく浮かれた気分になる。

 冬ともなれば旅人の数もぐんと減るようだが、夏が近いこの時期は特に人の出入りが多い。

 とはいえ、高級宿なだけあって、荒くれ者が出入りすることも少なくロウドはこの宿を気に入っている。

 ロウドがぞろぞろと奴隷達を引き連れて、宿に戻ってきたのを見て、人のいい宿屋の主人がロウドに話しかけた。


「おお。旦那様。お帰りなさいませ。随分大所帯ですな」

「済まないな。追加で何部屋か借りられるか」

「それは構いませんが、少々お待ちを」


 宿屋の主人は、手元の宿帳に何やら書き込みながら、


「おい。部屋に案内しろ」


 と、背後の若い娘に呼びかけた。

 宿屋の主人の娘らしい女性は「はい」と控えめな返事を返しながら、ロウド達の前まで歩み寄って来る。そばかす混じりの人懐っこい笑顔向ける彼女は、宿の客にも受けが良い。弾んだ声でロウドに話しかけた。


「ロウド様。おかえりなさい。彼女たちは?」


 ロウドとしては何と答えるべきか少し迷う。

 この街では比較的普通の事とはいえ、『奴隷』を買ってきたというのをこの純粋な少女に言ってもいいものかと、少し考えたのだ。


「おれの従者と言ったところだ」

「従者……ですか。一、二、三、四。……四人も増えたのですか。チサト様もいらっしゃるのに」

「まあ、色々事情があるのだ」

「色々……」


 彼女はそう呟きながら、ロウドに連れ立つ少女のひとりに目を止める。


「わあ……。綺麗な黒髪」


 淑音の艷めく黒髪を見ながら、言った。

 淑音も彼女と目を合わせながら、軽く頷いた。


「女性が三人に、男性が一人。……あ、そういう」


 彼女は納得したように頷いて、ほんの少しだけ顔を赤らめた。


「ロウド様も男ですものね」

「いやいや、何か誤解しているようだが……」

「無粋な事を申しました。奥のお部屋にご案内致します」


 彼女はロウドの弁明も聞かず、勝手に納得してしまったらしく、「こちらに」と言って階段を先に登り始めた。部屋まで案内を始めるつもりらしい。

 この街の環境は純粋な少女を立派な耳年増に変身させていた。嘆かわしい、と、ロウドは頭を抱えたくなる。

 だが、客の中にはその辺で娼婦をひっかけて、宿に連れ込むことも少なくなかったので、ロウドもそういう客の一人と思われたのだろう。

 酒場の男性の中にはロウド達一行を眺めて


「お盛んだな」

「あれほどの人数は今まで見たことがない」


 と口々に勝手な感想を述べている。


「おいおい。全員を一人で相手にすると思われているぞ」


 ニヤニヤとミツキが、自分たちにだけ聞こえるように言った。


「えっ……。ぼくも?」


 レオがショックを受けたように目を見開く。


「……お前ら、黙って進め……」


 ロウドはこめかみを抑えながら、ため息をついた。彼は自分に対する周りの人間達の評価に、いささかの不満を感じる。


「普段の行いのせいです」


 チサトがやれやれと肩を竦めながら後に続いた。

 その様子を見ながら、淑音は思う。


 ──理不尽な人ではない……のかな?


 自分の従者に好き勝手言われても、激昂しないところをみると器の大きな人物かもしれない。

 それに約束通り、自分を買い戻してくれたのだ。そこにどんな思惑があろうと、生命を救われた事に変わりはない。

 と、言っても。

 部屋の扉がしまった途端に鬼畜な本性を現すかもしれないが……。

 淑音は依然、彼のことを信じているわけではなかった。


 ******


「お前らに好きな方を選ばせてやる……と、言っても選択の余地はないと思うが」


 奥の部屋について、扉を後ろ手で閉じるなりロウドは言った。


「はっきり言って、おれは奴隷は好かん。だから、望むなら解放してやる。そのための手続きもしてやる」

「本当かよ。まるで聖人だな」


 ミツキが軽口で受けた。


「ただし。ただしだ。淑音は解放しないがな。もともと淑音以外要らなかった」

「ロウド様。その言い方は、よろしくありません」


 今度はチサトが咎めるように言う。


「じゃあ、なんと言えばいいんだ」

「ロウド様はある目的の為に、淑音様をお買いになられました。ですが、淑音様が自分を買うなら、一緒にあなた達も買うように仰られたので、そうしたのです。だから、望むなら自由にすることはやぶさかではないと、ロウド様は仰っています」


 幼い従者はそう説明した。


「淑音だけは解放しない……。一体何故だい?」


 ミリィが眉を顰めながら、ロウドを見る。


「……それは言えない」

「言えないことをする、と、このいたいげな少女に」


 とミツキ。


「……」


 ロウドはもう返す言葉もないと、呆れていた。


「……おれがそんなことをするように見えるか?」

「見えるね。男なんて大抵そういうものだ」

「言ってはなんだが、女には不自由していない。今更、そんな目的で女を買おうとは思わん」

「欲望っていうのは、そう簡単におさまるもんかねえ」


 再びロウドは押し黙る。少しの間沈黙してから再度尋ねる。


「で、どうする? 開放されるか。奴隷としておれに仕えるかだ」


 ミツキとミリィ、そしてレオはそれぞれ顔を見合わせた。


「淑音には恩がある……。無事を見届けておきたい」


 ミツキが言い、ミリィも頷いた。レオも口を開く。


「俺も神を見た。そう簡単に離れる訳にはいかない」

「みんな……。わたしのことはいいから、それぞれ戻りたい場所や、やりたいことがあるはずでしょ?」


 しばらくみんなの様子を眺めていた淑音だったが、たまりかねたように言った。


「今はお前の事が気になる」


 ミツキが表情を引き締めて言う。ミリィが隣で優しく頷いていた。


「俺はコロシアムを出たらスイレンちゃんの絵を書くと言っていたろう。そのスイレンちゃんが目の前にいるのだから、どうして別の場所に行けようか」


 レオの言葉に背後で「チサトだと言ってるじゃないですか」とチサトが頬を膨らませて怒っている。

 その様子を見て、淑音は気の抜けたような気持ちになった。

 今までずっと張り詰めていた気持ちが、ようやく緩んだ。生命をいつ失うかも知れない状況から開放されたのだ。無理もない。


「先程から言っているスイレンちゃんとはなんなのですか?」


 気の緩んだ所にチサトの疑問が降りかかる。これもまた無理も無い。自分の事を全く知らない名前で呼ばれ続けているのだ。しかも、神のように扱われまでしている。どういう事なのかと、考えない方がどうかしているだろう。


「……すみません。スイレンちゃんとは、わたしの国──日本において、神なのです」


 大分端折った説明をしたが、色々説明すると長くなる。今はこれでいい。シンプルイズベスト。

 ロウドが興味を持ったように淑音に聞く。


「ほう。日本にはチサトのような神がいるのか」

「はい」

「その神はどんな恩恵をもたらすんだ?」

「……恩恵ですか……。希望を与えてくれます」

「希望……か。随分漠然としているな。農耕の神。戦いの神。金儲けの神。こちらにも数多の神々が存在するが……」

「えーと、その子のことを考えると、こう、たまらない気持ちになるって言うか……。『萌え』るって分かりますか?」

「……分からんな」

「なんと表現したらいいんでしょう。その子を見ると心の底からじんわりと暖かい思いが溢れ出るというか……」

「母性か……」

「うーん。ちょっと違いますけど、大体あってます」

「相当に複雑な神なのだろうな」

「それに怒るとビル……、大きな建物を粉々に吹き飛ばす事もあります」


 アニメ上の演出である。魔法で敵をビルごと消滅させたエピソードは、その作画の素晴らしさも相まって当時大きな話題となった。その後、魔法の力でビルも敵も無傷で復活したが。なんでもありである。


「殺戮の神……でもあるのか。今の俺には理解出来んな」

「なんという測りがたき、深遠なお方なんだ」


 レオが陶酔した声を上げた。

 何だかだんだん自分の思っている『スイレンちゃん』と彼らの思い描くものの差が開いていってしまっている、と、淑音は思った。

 そもそも、最初にアニメという概念を教えなければいけなかったかもしれない。

 が、もう今更かもしれないとも思って、淑音は悩むのをやめた。

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