第15話
王の勅使として戦士長であるアフプと配下の戦士七名が、月の舟に選ばれた家族を訪問し北の広場に誘導する手筈になっている。日付けの変わる頃に南の広場に生贄となる者は集合する予定なので、その二時間前に行動を開始する。時間まであと少し。アフプと配下が宮殿の一室でその時を待っている。
「いいかお前達、戦士であることはそれだけでも名誉なことだが、今回の呼び出しの役割に選ばれたのはさらに名誉なことだ。くれぐれも人々に失礼のないようにし、しかし迅速に事を運んでくれ」
配下が声を揃えて応じる。アフプは満足そうに頬を緩める。
「まあ、お前達なら問題はなかろう。何か質問はあるか?」
カトゥが手を挙げる。
「もし訪問して、誰も居なかったらどうしますか?」
それは折悪しく今夜逃げた家族と言うことだ。王は必ず見逃せと仰った。時間もかけられない。
「その場合は飛ばしていい。探さなくていい」
「了解しました」
部屋にツィが入って来る。顔全体が腫れている。相当泣いたと見える。
「時間です。お願いします」
「よし。出発だ」
アフプが最初に訪問した家は作物のことについて不安を訴えた。最初の年はパレンケに作物を取りに行くことで繋ぐと説明をすると月の舟行きに了承した。旅支度をしてから向かわせるが通常は一時間も掛からない筈だから時間的には余裕がある。月の舟が王の考えたものだと言うことで決断する者も少なからず居た。アフプは最初盤石さを計画に感じていた。しかし、一軒の空っぽの家を皮切りに、訪ねる家の半分がもぬけの殻で、それが着実に累積する毎に足場が徐々に
任務分を回り終えて戻った北の広場に在る人数は予定よりもずっと少なかった。後は任務を終えた戦士が自分の家族を連れて来るだけだ。これで本当に大丈夫なのか。暗雲に曇る胸を抱えたまま、アフプは自宅に戻る。
家に入れば妻がソワソワと落ち着かずに歩き回っている。こんなに不安げな妻は見たことがないが、彼女はこれから生贄になると信じているのだ、あり得る反応だ。彼女に待っている未来が違うと伝えればきっと安堵の笑顔を見せるだろう。
「どうした?」
「あなた。どうしよう」
縋り付いて来る、どうしよう? 生贄のことではないのか。
「どうしたんだ?」
「カンが」
「カンがどうした?」
「カンが帰って来ないんです」
お互いに隠していた何か。急に居なくなったカン。同じタイミングで複数の家族が消えている。……そうか。あいつも同じことをやっていたのだ。あいつはあいつの街を作るってことだ。恐らくいつもつるんでいる三人組で考えたのだろう。
「あいつめ。やるじゃないか」
カンは一人前の男になった。妙な形だが、嬉しい。
「何が、やるじゃないかなんです?」
「カンはもう戻って来ない。あいつは今日独立したんだ」
「そんな」
「俺達も行こう。新しい世界を切り拓くのは、俺達だ」
「カン。……新しい世界って何です?」
「王の勅命で、選ばれた民衆で新しい街を拓くんだ。月の舟と言う。俺達家族はそれに選ばれている。カンはだが来ないから、俺達夫婦で行こう」
「生贄にならなくて済むのですか?」
「そうだ。今日まで秘密にしていて悪かった。俺達は死なない」
妻の顔に血の気が戻る。
「でも、カンは」
「もう会えないよ。あとでゆっくり諦めよう。さあ、急いで準備をしよう」
妻はじっと虚空を見詰める。ほんの数秒の後、「カン」と呟く。そして俺の目を見る。その瞳には決意が灯っていた。
「分かりました」
「よし」
準備が整ったらすぐに、北の広場に向かう。
「この景色を見るのも今日が最後なんですね」
「そうだな」
「生まれ育って、あなたと出会って、カンを産んで、育てて」
「思い出ばかりの街だな」
「でもここで死ぬ予定だったのは、生贄ではなくて老人になってから。だから出発することに後悔はありません」
「うん。もうすぐ広場だ」
アフプ一家が最後だった。アカバルやツィも居る。やはりかなり予定より人数が少ない。伝令にツィが走り、パカル三世王が現れ、ゆっくりと壇上に登る。
「月の舟に乗る民達よ」
声がいつもよりしっとりしている。悲壮なる覚悟の声だろうか。
「パレンケの命を繋ぐのはお前達だ。きっと素晴らしい街にしてくれ」
はい、と全員が応じる。
「旅の無事を祈る」
そう言うと早々に王は退場した。あっけないが、それでも王のお気持ちは十分に伝わって来る。
アフプがその後の仕切りを任されている。
「これから北に向かう。ジャングルを抜けることになる。松明を持って行くが、外敵が来たら戦士が闘う」
アフプは、もう一つ、と加える。
「俺達には生きてパレンケの命を繋ぐと言う使命がある。それを忘れないで欲しい。では出発する」
月の舟の民がどこを目指し、どこに街を拓いたかは不明である。彼等の旅がどんなものであったのかは
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