第4章 太陽の舟
第16話
イシュを見送った後のお父さんの顔はほっとしていた。私のことも同じように生きていて欲しいと思っているのだと思う。でも、私は生贄になることを選んだ。両親のように純粋な信仰心からじゃないことは自分が一番分かっている。バッツが死ぬから私も死ぬ。十分な理由。いや、生贄になるのに十分な理由なんてない。バッツが居ない世界で生きる理由がないだけだ。だから、カンと生きることを選んだイシュは、私と同じ選択をしたのだ。ただ、その形がこの世かあの世かが違っただけ。
イクは正装のために頭に巻いた細い布、シンタに触れる。本当ならばバッツとの結婚式で巻く筈だった。これを巻いた状態でバッツと共に死ねるのは、少し慰みになる。だけどそれが正しい形なのか確信は今もない。バッツは逃げてでも生きると言う選択をしなかった。立場、役割、信仰、彼はそう言うものをかなぐり捨ててまで私と逃げることを考えなかったのだろうか。きっと考えた筈だ。何度も何度も考えて、そして彼の選択をした。そう信じられるだけの絆が私達にはある。だって私達はもう結ばれているのだから。私はバッツに付いて行く。地獄の果てまでだって。
「イク、ちょっと来なさい」
お母さんの声。いつもより遠い。どうしてかな。私のこころがもうバッツのところに行ってしまったからなのだろうか。
「イク、大事な話だから、来なさい」
遠くたって声は届いているのに。でも、大事なら、行かなきゃ。今日と言う日にしなきゃならない話なら、きっと本当に大事な筈だ。思いながら立ち上がると、血の気が引いてふらつく。でも踏ん張ったら徐々に元に戻ったからその足でお母さんの側に座る。
「何、お母さん」
お母さんは棚の中から何かを取り出す。私の眼前で広げられたそれは、ヒスイのネックレスだった。
「綺麗」
お母さんはにっこり笑う。
「これはお母さんがお父さんと結婚したときに一族から貰ったものだよ。イクが結婚するときにあげようと思ってたんだ。結婚式で付けてくれたら嬉しいなと思っていたんだよ。でも今日と言う日が来てしまったからそれは叶わない。だからせめて、イク、貰ってちょうだい」
「いいの?」
「もちろんだよ」
「じゃあ、私に付けてくれる? 最後のときを一緒に過ごさせて」
「……後ろを向いて」
「うん」
ヒスイのネックレスは見た目よりもずっと重かった。石としての重さだけでなく、きっと歴代の花嫁が重ねて来た歴史とか、想いとかが染み込んでいるのだ。私は今、一族の末裔になった。次の世代に継げないのは残念だけど、バッツにきっと見せることが出来るから、いい。
「よく似合っているよ」
「嬉しい」
ヒスイが家族を家族に戻して、それから私達はたくさんの思い出や信仰のことや、お互いへの想いを話した。嫁に行ったイシュのことももちろん話した。最後の夜はそうして更けて行って、出発のときを迎える。
「さあ行こう」
日付けが変わり秋分になった。お父さんの号令で私達は家を出る。寝るときのように火をちゃんと消して、外出をするときと同じ手順で、まるでいつでも帰って来られるように。
道には人がたくさん居て、皆一様に南の広場を目指して歩いている。全員が正装で、誰も笑っていない。私は両親と話をしたことで満足していたつもりだったが、周囲の研ぎ澄ましたような気配にいずれ飲まれて同じように真剣さと悲壮さに彩られた。前を行く二人もきっと同じなのだ。足音に冷たい力が込もっている。
南の広場では、誰がどこに行くかが大まかに割り振られていて、宮殿の従者に案内された。私達の場所は丁度パカル三世王から生贄の決定を聞かされたときと同じ場所だった。バッツはどこだろう。最期にひと目会いたかったが叶わないかも知れない。太陽神様、私は生贄になります。ここまでするのです。ささやかな願いと言わずに、バッツともう一度会わせて下さい。私は目を閉じて祈った。
祈っている間に人が集まり切ったのだろう、あのときと同じ場所から王の側近の声が聞こえる。
「この後、パカル三世王よりお言葉がある。その前に、生贄になる手順を説明する」
自分の死に方を説明されると思うと息が詰まる。誰もが沈黙を守って耳を澄ましている。
「生贄の執行官をこちらで選出している。王のお言葉が終わり次第、仰向けに寝るように。執行官が君を生贄とするのを待つのだ。順次、執行される。我々も同様に執行され、最後に執行官は自ら生贄となる」
つまり、横になって祈りながら殺されるのを待つ。そう言うことか。私はこれから死ぬ。急に鼓動が信じられない速さになる。汗が流れる。手足が震える。立っていることが出来なくて、
「王のお言葉である」
パカル三世王が壇上に登る。
「パレンケの民よ。よくぞ今日この場に集まってくれた」
静寂に王の声がよく通る。
「お前達こそが真のパレンケの民である。余と共に生贄となろう」
呼吸が苦しい。でも今声を上げる訳にはいかない。
「太陽の舟を今ここに出港させる。また会おう」
王は短い演説で下がってしまった。側近がまた声を張る。
「先ほどの説明の通り、仰向けになるように。では、執行官が向かう」
「イク」
お母さんの声で我に返る。息が出来る。お母さんと最後のキスをする。
「イク、すぐに会えるよ」
お父さんと最後にギュッとする。
「お父さん、お母さん、今までありがとう。大好きだよ」
「俺もだ、イク、イモシュ。愛してる」
「私もよ、カウォク、イク」
涙が溢れる。悲しさよりも、愛していることで涙が出る。バッツ。バッツにもこの想いを伝えたい。
家族はほど近くでそれぞれ仰向けに横になる。涙の合間に見る夜空は満天の星空で、綺麗で、ああこれで終わりか、後は執行されるのを待とうと目を閉じた。まだ生贄の儀式は始まっていない。恐らく執行官の準備が整うのを待っているのだ。
足音が近付いて来る。きっとこの足音の主が私を殺すのだ。心臓が早鐘を打つ。その足音が、私の横で止まった。そうか。私が最初に殺されるのだ。覚悟を早く、決めないと。
「イク」
間違える筈のないその声に目を開けると、やはりバッツが立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます