第17話

 イクはシンタを巻いて、ヒスイのネックレスをしている。きっと俺との結婚式で着る筈だった衣装だ。

「バッツ」

 イクの視線が俺の顔に、次いで右手に持つ剣に行き、また俺に戻る。

「名誉な、仕事だよ」

「きっと最初に私をお願い」

「ああ」

 俺はイクと生きて行く筈だった。でも今、この手を汚そうとしている。それが生贄だろうと何だろうと執行官の手は汚れる。だから誰にも殺して貰えずに自害しなくてはならない。違う。そんなことは今はどうでもいい。こうやって最期にイクに、こんな形でも会えて、よかった。本当にそうなのか。でも、イクが他の誰かに殺されるなんて絶対に嫌だ。イクが弱々しい声で呼ぶ。

「生贄って、ちゃんとあの世に行けるのかな」

「行けるよ。きっと。すぐに俺も贄になる。待たせはしない」

 王が演説をした辺りから笛の音がした。開始の合図だ。

「今日までありがとう。あなたに会えてよかった」

「俺もだ」

「またね」

 イクはそう言って目を閉じる。組んだ手を腹まで下げ、胸を遮るものがない状態にする。

「ああ」

 涙が込み上げる。しかしここで失敗すればイクを苦しめることになる。バッツは掌で涙を拭いて、両手で剣を持つと、渾身の力を込めてイクの心臓のある場所をひと突きする。胸骨に当たった感触があったもののそのまま貫き、剣は深々とイクに刺さる。その深さを確かめてから、バッツは剣を捻ってから抜く。

 見届けなくちゃならない。

 イクは、はっはと浅い息を暫くして、そのまま動かなくなった。美しく死んだ。

 バッツは目を閉じる。

「イク、俺もすぐに行く」

 バッツはイクの両親を次に殺め、その後は誰が誰だか認識することもせずに執行を繰り返す。剣で突く、捻って抜く。その繰り返し。死に様は人それぞれだったが、死ななかった者は居ない。千人以上が集まった広場は徐々に生贄の済んだ亡骸の割り合いが大勢を占めて、八人の執行官によってついに全ての民衆が生贄となった。

 執行官で最後に残らなければならないのは二人。そのため、残りの六人も生贄として執行された。最後の二人にバッツは選ばれた。神殿仲間であり、戦士仲間であるトフがもう一人だった。

 バッツの感性は大量に殺人をしていることよりももっと前の、イクを殺めたところで凍りついていて、もうどれだけ執行しても何も感じなくなっていた。

 パカル三世王、エ王妃、司星官ケメ、王の側近アフマク。貴人として残ったこの四人を生贄とすれば俺の役目は終わりだ。担当を二人ずつに決めて、俺は王妃をひと突きする。横ではトフがアフマクに対してそれをする。パカル三世王が近づいた俺に耳を貸せと呼ぶ。

「苦しい役目、すまなかった、ありがとう」

「宮殿に使える者として当然のことです」

 それがパカル三世王の、パレンケの王族の最期の一言になった。ほぼ同時にケメも露と消えた。

「トフ。後は俺達二人だけだ」

「そうだな。さっさとやってしまおう。乗り遅れたくない」

 今なら逃げられる。そんな訳はない。自分が手をかけた人々がそこに横たわっているのだ。その中には愛するイクも居る。彼女等の死の重さは俺を逃してはくれない。決して。そして俺も逃げるつもりはない。だからここに居るのだ。

「トフ、俺は恋人の横で死にたい」

「バッツ、俺も自分の家族のそばで死にたいよ」

「じゃあ、そうしよう。お互い、確実に死のうな」

「最後まで腐れ縁だったな、親友」

「初めて聞いたぞ。でも、そうだな。他に呼び名がない」

 こころがほんの少しだけ動く。小さな波紋のように表情が緩む。

「じゃあ、またすぐにな」

「おう。じゃあまたな」

 バッツはイクの亡骸のすぐそばに立つ。

「美しいまま。よかった、待っていてくれたんだな」

 イクが笑ったような気がした。

 途端に涙が溢れる。凍りついていたこころが一気に解凍されたよう。

「イク!」

 大丈夫よ、バッツ。

 イクの声が確かにした。俺は、俺は。

「待ってろイク。すぐに」

 バッツは自分の腹に剣を刺す。奥まで。そして可能な限り掻き回す。アフプ戦士長が自決のコツとして、内臓をより傷付けることが確実な死に繋がると言っていた。激痛はあるが、しっかり掻き混ぜてから、抜く。剣が抜けた先から血が溢れる。これなら間違いなく死ねる。

 バッツはイクの隣に寝転がる。まるで二人で星を見に来ているようだ。

 痛みが酷い。だけど死なない。出血量からは確実に死ぬ筈なのに俺は死んでいない。まるで自分が与えた苦しみが束になって戻って来ているかのようだ。

「イク、ちょっと時間がかかりそうだけど、大丈夫、絶対君のところに行くから」

 バッツ。

 声が聞こえる。

「イク」

 徐々に意識が朦朧とする。

「イク」

 最期まで彼女を呼びながら、バッツは息絶えた。

 その直後、秋分の朝の太陽が昇り始める。

 それまで闇に覆われていたパレンケの最期の姿が、照らされる。

 広場に集まった人々は、誰ももう動かない。誰も声を発しない。どの鼓動も止まっている。

 ただただ静寂の命の痕を朝日が染めてゆく。


 かくして、パレンケは無人の廃墟となった。

 生贄達はいずれ骨も残らず風化し、街はジャングルに飲み込まれて行った。

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