第3章 月の舟

第14話

 星の舟が出発したその頃、宮殿ではパカル三世王の前に側近のアフマク、ツィ、司星官しせいかんのケメ、その弟子アカバル、戦士長アフプが揃い踏みしていた。パカル三世が暫し目を閉じた後に皆に声を掛ける。

「秋分がとうとうやって来た。余は生贄となる。しかしそれに先立って月の舟を確と見送りたい」

 アフマクが応じる。

「北の広場に全員を一度集める段取りになっております。しかしそこからここに移動するとなりますとかなり目立ちます。もし可能ならば、広場の方まで王にいらして頂ければと存じます」

「無論行こう。何よりこの宮殿と南の広場は生贄の場となる。乱すわけには行かぬ」

「では、集まり次第、伝令を走らせると言うことで如何でしょうか」

「うむ。そう計らえ」

 パカル三世は一度深呼吸をしてからそこにある面々を見渡す。

「アフマク、ケメ。最期まで余と共に頼むぞ」

 はっ、仰せのままに、と二人が応じる。

「ツィ、アカバル、アフプ、月の舟と、パレンケの遺志を頼むぞ」

 三人も畏まりつつ応答する。

「余は暫し居室に戻るとする。月の舟の人々が集まったら呼べ」


 アフマクに従ってツィは執務室に入る。

「アフマク殿」

 ツィが真剣な眼差しでアフマクの顔を見る。

「どうしたツィ。怖気付いたか?」

「生きることは恐ろしくはありません。私は今であっても、誰も死なない道はないのかと考えてしまいます」

 アフマクが、ふん、と鼻で笑う。

「既に引き返せないところに俺たちは居る。お前も分かっているだろう?」

「それは分かっています。分かっていてなお、死なないで欲しいと思ってしまうのです」

「民衆を想うそのこころ、新しい街でも存分に発揮すればよい」

「違います。民衆も確かに助けたい。ですが、私はアフマク殿に死んで欲しくないのです」

 アフマクは目を逸らす。

「何を急に」

「私は何も出来ないところから、全てアフマク殿に仕込まれました」

「そうだが」

 ツィの目に涙が溢れて、決壊してぼたぼたと流れ落ちる。

「感謝しています」

「そうか」

「どうか、死なないで欲しい。そう願うのは愚昧なのでしょうか」

「その気持ちが本物であるのと同じように、俺達が役割を全うすることに価値を見出すのも本物だ」

 ツィは項垂れたまま聞いている。

「俺達は王の側近。俺は誇りを持っている。それはお前もそうだろう?」

「……はい」

「死とその先までも、王は俺を側近として付き従うことを、自ら希望されたのだ。これに勝る名誉があるか?」

「ありません」

「俺はその点に於いて、既に死を超越している。何を恐れることがあろうか」

 やはりアフマク殿は私とは次元が違う。私などが考えも及ばないところで判断をしている。

「だから笑って見送れ。いや、順番的には月の舟が先だから俺が見送るのか。まあいい、笑って別れようじゃないか」

「そう、致します」

 そう言われたって、悲しいものは悲しい。恐らく今話していることが二人の最後の私的な会話になる。感謝していることだけじゃない、他にも伝えたい想いがあった筈なのに、涙ばかりが出て前に進めない。

「ツィ。一つ重要なことを言っておく」

「はい」

「遺言だと思ってくれていい」

「分かりました」

「お前の肯定的に世界をして行こうと言う姿勢は、これから先の人々にとって何より重要なものだ。新しい街では必ずお前の姿勢を貫け。それが全ての民のためになる」

 すぐには返事が出来ない。自分を全肯定されたのは分かる。それを貫けと言うのも分かる。諸手を挙げて喜びたいのに、何かが引っ掛かる。

「アフマク殿、それはこの姿勢に反発する者が居ると言うことでしょうか」

「その鋭さも、ツィ、お前の長所だ。だが、その二つの長所、誰とは分からぬが必ず反発を喰う。宮殿では俺とお前の二人が居ることでバランスが取れていたのだよ。だから、さらに言うならば」

 続きを言わせようとアフマクが言葉を切る。

「自分とバランスを取れる者を立てろ。そう言うことですね」

「完璧だ。そこまでやって、初めて自分の長所が貫ける。何かをするときには最初に環境や構造を、目的に適した形に作り替えることがコツだ。新しい街ではそれをちゃんとやれ」

「分かりました。……本当に、感謝致します」

「気にするな。ただの遺言だ。お前は最高の弟子で、ライバルだったよ」

 私の目からは次から次に涙が溢れて、うずくまったら、「じゃあ、俺は少し休むよ」と言ってアフマク殿が部屋に帰ろうとするから、「最後に」と呼び止めた。

「どうした?」

「握手を。所望します」

 アフマクは四角い顔に笑みを浮かべてツィの側に寄る。

「長い間、ありがとうございました」

 差し出した右手をアフマクは両手で包んだ。

「お前が居て楽しかったよ。またな」

「はい」

 手を離したアフマク殿は部屋を出て行った。私はその場でしゃがみ込んで、ただただ泣くばかりだった。


 ケメに連れられてアカバルは天文台に来ていた。星がもう出ている。

「アカバル、紅星は消えないな」

「はい。毎日しっかりそこに居ます」

「儂が司星官でお前が弟子、そうだろう?」

「はい。それがどうかしましたか?」

「代替わりしようか。今からお前が司星官だ」

「本気ですか?」

「本気だよ。儂はもう星も自分で観られないし。新しいところでも司星官が必要だろう? だとしたら弟子じゃなくて一人前の方がいいと思う」

「こんなことがあって、星を観ることを続けますでしょうか」

 かねてからの疑問だ。新しい街には自分は必要ないのではないか。それなのに月の舟に乗っていいのだろうか。

 ケメは空を見たまま、ははは、と笑う。優しい風が吹く。

「もっともな疑問だ。紅星関連の、キニチ教はもう要らないかも知れないな」

「キニチ教を捨てるのですか?」

「そうだよ。でも農業をやっている以上は星は観なくちゃならない。だからそうだな、司星官から元の天文学者に戻るんだよ、百年以上振りに。儂らがやって来たことの九割以上は天文学者の仕事だよ。だから殆ど変わらない。それともお前、教祖やりたかった?」

 俺は首を振る。

「めっそうもありません」

 本当に、教祖にはなりたいと思ったことはなかった。漠然と、ケメ様を継いだら教祖もしなくてはならないのかなとは思っていたけど、こんな形とは言え教祖にならなくて済むならその方がいい。

「じゃあ、大丈夫だ。星を人のために使え。もう二度と星のために人を使うな」

「了解しました」

「お前からは何かあるか?」

 星が瞬いている。空気の温度、それと風。

「もしケメ様が嫌でなければ、時間まで星を観ませんか?」

 ケメはふふっと微笑む。

「そうだな。今日だけは司星官が二人のゴージャスな天体観測だ。しっかりやろう」

「はい」

 幼い頃のように、育てられたときのように、いつものように、きっと永遠に続くと思っていたように、二人は肩を並べて、星を観た。

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