第11話
「最近はカンは何をやってるんだ?」
妻に問うてみたものの、それを把握しているとは到底思えない。彼女は糸紡ぎの手を止めて、その両手をデランタル、エプロンのようなもの、で軽く拭く。
「さあ。戦士見習いの訓練には行っているんですか?」
「それは間違いなく来ている。それ以外の時間に何をやっているのかだ」
「どうしてそんなことを訊くんですか?」
言われてみるとアフプにはそれを問う理由が見当たらない。純粋な興味なのかも知れない。生贄になる日まで三十日を切ったパレンケにおいて、若者が、いや、自分の息子がどう考え行動しているのか。俺は月の舟の存在を知っているし、そこに自分の一家が乗ることも分かっているから震えないが、それは機密であり家族にも知らせていない。だからカンが一般の民と同じような恐怖の中でどうあるのかを知りたかったのかも知れない。最終的に自分が、いや自分の立場が、しかしこれも自らの研鑽と努力と成果によって手にしたものだから誇っていい、彼等を死から助け出したときの表情を受け止める準備をしたいのかも知れない。そう思うと悪趣味だ。
アフプは顔を
「いや。なんとなくだ」
「訓練以外に何をしているかは話しませんね。大方いつもの三人組で遊んでるか、イシュとデートでもしてるんじゃないですか」
「そうか。つまりいつもと様子は変わらないってことだな」
「そうですね。言われてみればこんなご時世なのにカンは平気な顔をしてますね。でも、カンはずっとそう言う子でしたよ」
「そうだな。自分の息子ながら真っ直ぐで、好青年に育ったと思っている」
「訓練の方はどうなんですか?」
「優秀だよ。遠からず一人前だ」
「そうですか」
彼女は視線を落とす。
「生贄さえなければ、カンは大人になって、一人前の戦士になって、きっとイシュと家族を持ったんですね」
生き残ることが確約されているのに、妻はそれを知らないから、泣いている。俺は自分が知っていることを伝えさえすれば彼女が笑うと分かっているのに、それが出来ない。彼女が秘密を漏らすとは思えないが、それでもうっかりと言うことはある。全ての秘密は自分から外に出たらコントロール出来なくなる。だから計画を作る幹部以外には絶対口外してはいけないと言うのがツィとアカバルと三人で決めたルールだ。確実に結実させなくてはならないのは、犠牲になる人のためだけではなく、生きる人達のためでもある。すまない。
「戦士の妻がそう泣くな」
「あなたはどうしてそんなに平気なのです? あと三十日もすれば生贄になるんですよ?」
「それも務めだ」
「私もカンにはそう言いました。でも、アフプ、私は本心は死にたくないのです」
「俺達の信仰心からしたらそうだろう。俺だって死にたくはない。戦士長としての役目を果たす」
妻はため息をつく。その姿があまりに弱々しくて、そっと寄って肩を抱く。また彼女の目から粒が零れる。
「どんな道になったって、俺はお前と一緒だから、心配するな」
彼女は落ち着いたのか、力をもって自分を落ち着かせたのか、暗澹さはあるものの泣き止んだ。虚空を見詰めたままに彼女は呟くように言う。
「ウトクの一家も居なくなりました」
「そうか」
「これで二十家族は居なくなっています」
「百人くらいか」
「みんなどこに行ったのでしょう」
「他の国に行ったのだろう。一度こうやって街で暮らしてしまえば、もう祖先がやっていたように森の中で生活をすることは出来ない」
妻は首を捻る。捻った拍子に彼女の頭がアフプの胸板に当たる。
「パレンケの人間を、他の国が受け入れてくれるのでしょうか。だって、何度も小競り合いをしていますよ」
「もし無事に辿り着いたとしても、半分以上は殺されるだろう。それでも受け入れて貰える可能性はある。対等には扱われないとは思うが、確実に死ぬパレンケに居るよりは、マシだと言う考えなんだろうな」
「そうですか。私達は、でも逃げ出すことは出来ませんよね。だって、あなたは戦士長なのですもの」
「そうだな。俺は国の基幹に関わり過ぎている。逃げることは出来ない」
「ただいま」
カンが帰って来た。
「父さん、母さん、何やってるの?」
「夫婦だ。くっつくことくらいある」
「まあ、確かにそうだけど」
「カン、お前は訓練以外のときに何をしてるんだ?」
「何って、ノフとツィキンと遊んだり、イシュと喋ったりしてるよ」
それが新しい街を興す遊びで、それに勧誘する喋りだと言うことをアフプは知る由もないが、逆にアフプが月の舟の乗船者を選定していてそこにアフプの一家が含まれていることをカンが知る訳がない。父と息子はそれぞれに生贄からの脱出法を隠していて、母のみがきっと生贄になるのだと信じて怯えている。
「カン、お前は生贄になることをどう思う?」
カンはキッと強い目線でアフプを射抜く。いっちょ前になって来たな。
「父さんは黙って死ぬのか?」
「そうだ」
「それでも戦士か?」
「戦士だからだ。お前も一緒に来い」
「俺だってもうすぐ戦士だ。でも、死にたくない。まだ覚悟が出来ないんだ」
カンもアフプも、話が広がり過ぎるとお互いにボロが出そうだと感じていて、どちらも踏み込まないから、ふわふわした談義になる。
「覚悟をじゃあ、当日までに決めろ」
「父さんは覚悟は決まっているのか」
「ああ。俺は自分の役割を全うする」
カンが肩を竦める。アフプにはそれがこの議論を終わらせようと言う合図に思えた。
「見損なったようで、すごいなとも思うよ、その貫くところ。俺は俺をだから貫く」
「何かするのか」
「何も。俺は精一杯俺を生きる。多少これから生活が荒れるかも知れないけど、ちゃんと毎日帰ってくるから大目に見てくれ。最後の生を満喫したいんだ」
カンは俺と同じで何かを隠している。やり取りの中でそれは分かった。だがそれがどんなものかは分からない。まさかクーデターではないだろう。もしそれなら俺は責任を持ってカンの首を切らなくてはならない。そんなのは嫌だ。でもカンはカンだ。信頼に足る男になって来ている。少なくとも人々を悲しませるようなことはしないだろう。いずれにせよ最後の日には俺がかっさらって新天地まで連れて行くのだ。
「分かった。好きにしろ」
「あなた、それでいいんですか?」
「いい。カンはもう十分に男だ」
カンは頭を下げる。
「ありがとう、父さん。理解してくれて。精一杯やるよ」
カンからははち切れんばかりの生命力が溢れている。
俺の口元が勝手に緩む。応援、看破、最後には助ける、自分がカンに対して得ている多重の役割に、忘れずに父親が付いて来たからだ。
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