第8話

 夕刻に家に帰ると母親がカンの顔を見るなり噂話を始める。

「ワカの一家がいなくなったらしいよ」

 やはり脱出する人が出たか。もしもその中に俺達の計画に入れている人が居たら組み直さなくちゃならないな。気概のある人を中心に選んでいるから、行動を起こす可能性も高いだろう。

 生返事のカンに母親がおやと思ったのか詰め寄って来る。

「カン、お前は宮殿に仕える戦士長アフプの一人息子なんだ。決して逃げたりするんじゃないよ」

 まさにその逃げることを大々的に計画している。だけど絶対に悟られてはいけない。

「じゃあ母さんは生贄になって死ぬのか?」

「それも務めだよ。お前、本当に逃げる算段なんてしてないだろうね!?」

 ぐっと顔を覗き込んで来る。まさか見抜かれると言うこともないだろうけど、嫌だ。だからこそ真っ直ぐに見返す。俺のことを疑うのか、この目を見てから言え。力を込めた視線を少し緩めてから応じる。

「大丈夫だよ。立派な息子だよ。もうすぐ俺も戦士になるんだから。いや、生贄になるなら違うか」

「そう考えて仕事をしなくなった人もいるって噂だよ。全くどうしちまったんだろうね。どうあったって毎日のことはちゃんとしなくちゃならないのにね」

「そこには同意だね、じゃあ母さん俺はちょっと休むよ」

 議論が煮詰まる前に退散する。万が一があってはならない。絶対にバレないようにしないと。


 仲間が徐々に増えて来た。俺としてはやり方も大方分かって来たから、仲間候補の中で唯一仲間になってくれるか不明な人を誘うことをノフとツィキンに提案した。

「これまでと同じやり方では上手くいかないかも知れない」

 俺は弱気に二人に言う。ノフがうーん、と唸る。

「確かに、仲間になると言うところでは難しさがあるけど、秘密は守ってくれると思う」

 ツィキンが続く。

「そこだけは絶対に大丈夫だよ。だって外せないでしょ、どうあっても」

「何があっても外せない」

 その人とは、イシュだ。人選の基準からすれば、信頼、健康、若い、そして信仰に反することが出来る、と言うのがその上位であり、内三つはイシュは満たしている。しかしイシュの家庭がパレンケの中でも群を抜いて信仰心が篤いことを俺達は知っている。広場での王の話を聞いてその日のうちに生贄になることを決めるくらいはやっているだろう。ノフとツィキンの恋人は共に四つの基準を満たしており、既に仲間のリストに入っている。だからこそイシュがまだ同行者に含まれてないことは重大な懸案事項なのだ。

「秘密を守ってくれたって、来てくれなくちゃ意味がない」

 俺はつまり、来ない方を予測している。ツィキンが笑う。

「そんな肩肘張らなくていいんじゃないの? 秘密を守ってくれるかくれないかは俺達と俺達の計画の存続に関わる問題だから気を使うけど、来る来ないに関しては大勢に影響ないから、今日の時点で納得出来なくても時間をかけて説得すれば大丈夫だよ。だって、イシュはカンの恋人でしょ?」

「恋人かどうかはまだ、その、ちゃんと恋人になった訳じゃないんだ」

「でも想いがあることくらい分かるでしょ? 俺が見てても分かるもん」

「うん。好きだと言う気持ちは伝えた。イシュも同じだった」

 ツィキンはさらに笑う。

「じゃあ、恋人と同じだよ。家族と死ぬより恋人と生きる方を選ぶよ、最終的には」

 ノフが入る。

「イシュって家族ほどには信仰心の塊みたいな子じゃないしね」

「そうそう。どっちかって言うと彼女だけ信仰が薄い感じ」

 二人から言われて、でも確かにと思う。イシュは信仰のために死ぬことをすぐに決められる程ではない。

「分かった。でもやるからには仲間になって貰うように力を尽くす」


 クンにイシュを連れて来た。初めてのことだ。

「ここがカンが話してたクンね」

「そうだ。それで今日はね、イシュ、大事な話があってここに来て貰ったんだ」

 イシュは顔を赤くする。何でだ? ノフとツィキンも近くに来る。

「え? 何で三人なの? 大事な話ならカン一人の方がいいんじゃないの?」

「俺達三人からの話なんだよ。代表して俺が話すけど、まず最初に、イシュ、俺達が話すことについては秘密に、絶対に秘密にして貰いたいんだ。それはいい?」

「何の話? それが分からないのに約束なんて出来ないわ」

「大事な話だ。聞いてから秘密に出来ないだと、それじゃあまずいんだ。でも、きっと君にとって悪い話じゃない。こんなご時世だからこそ意味がある話だ。もし気に入らなかったら、胸に秘めたままにしておいてくれれば俺達は何もしない。でももし漏らすようなことがあれば、君に死んで貰わなくちゃならなくなる」

 イシュは目を白黒させる。

「何だか仰々しいのね。でもこの話ってもっとシンプルね。期待した大事な話とは全然違うけど、要するに何も話す前からカン達を信じてくれないか、そう言っているのよね」

 期待した大事な話って、もしかして、恋にまつわるものかも知れない。確かに今彼女に恋を進展させることを言えば彼女が俺達の仲間になる可能性は増すだろうけど、そのための恋の話はインチキな気がする。

「そうだね。信じて秘密を一つ共有してみないか?」

 小さなため息をイシュはつく。三人の顔を見回す。

「いいわ。秘密を守ると約束するわ」

「それは神様よりも強固かい?」

「いやらしい訊き方ね。でも、それでいいわ。命懸けの約束なら神様と同等以上よ」

 俺は左右を見る。二人とも頷く。

「俺達は生贄になる前に、逃げ出して新しい街を作って生きようと考えている。一緒に新しく生きないか?」

 イシュの顔が驚きで満ちる。これまでの人は皆、ほぼこういう計画だろうと予測していたのだろう、そんなに驚きはしなかった。本当に予想していなかったならこう言う顔になるのだ。

「生贄にならないで生きるの?」

「そうだ」

「新しい街を作って?」

「そうだ。イシュ、君も来い」

「両親とイク姉さんを捨てて行くの?」

「もしその三人が来たいと言うなら一緒に来ればいい。ただ、話すのは当日の日が暮れる頃にして欲しい」

「無理よ。三人は生贄になるもの。私だけが生き延びるなんて」

「イシュだけでも生きて欲しい。俺達と生きよう」

「分からない。どうすればいいのか、全然分からない」

「来ればいいんだよ」

 イシュは頭を抱える。ノフとツィキンは黙って見ている。

「今決めないといけないの?」

「出来れば、今仲間になって欲しい」

「だって私の家族は生贄になるのよ?」

「君はならなくていい」

「見捨てるのね。そうして私は生きるのね」

「家族が望むなら来ればいい」

「望まないわ。だから私は……生きることを選べない」

「選んでくれ」

「選べない。でも、死ぬことも選べないわ」

「イシュ、俺達との未来を選んでくれ」

「今すぐには無理よ。どっちも選べない。ねえ、カン、今決めなくてもいいでしょ?」

 あまりに二人に話した危惧の通りになった。俺はかぶりを振る。

「イシュ。秘密だと言う約束だけは守ってくれよ」

「それは大丈夫よ。私が漏らしたら、カン達が殺されるわ。そんなのは嫌だもの」

「また説得させてくれ。今日はここまでにしよう」

「誘ってくれたのは、ありがとう。私なんて首を縦に振るか分からないから、誘い辛かったでしょ?」

 その通りとは言えない。

「俺はイシュに来て欲しい。それだけなんだ」

「うん。気持ちは届いてるよ。でも、決められないのも事実なんだ。ごめん」

「謝ることじゃないよ。よく考えてくれ」

「うん。じゃあ、また。ノフもツィキンも、ごめんね、決められなくて」

 二人は口々に「いいよ」と言って、イシュが去ってゆくのを見送った。

 三人に戻る。俺は真っ赤なため息をついて、へたり込んでしまった。

「イシュは死ぬつもりなのか?」

「そんなことは一言も言ってなかったよ」

 ツィキンが横に腰掛けながら声を掛けて来る。ノフが俺の正面に座る。

「最終的に信仰か、カンとの未来かの二択に絞られるだろう。だから、当日に迎えに行けばいい」

「そうだね。でも、途中でやっぱり説得はしたいな」

 ツィキンがはにかむ。

「イシュはカンに惚れてるからカンを選ぶよ。心配しなくていいよ」

「そうだといいけど。あの家族だからなぁ」

 俺だけが当事者で、そのせいだろう、未来の予測が立てられない。二人が同じように考えているのなら、恐らくそうなるのだ。そう分かっていても、不安だ。イシュが秘密を漏らす不安ではない。そうやって俺達が殺される不安ではない。彼女を一人置いて新天地に向かうことになってしまうことへの不安だ。あと五十日程度の日限までに、彼女が納得しなくてはならない。そう出来ないのなら無理矢理に連れて来るのは不可能だ。彼女は流される女ではない。意志がしっかりと生えている。だからこそ、その意志がこっちを向けば盤石なのだ。家族がいくら信仰ばかりの人間だと言っても、彼女がこっちを向けばそうなる。振り切れる。逆に向いた場合には何をやっても連れて行くことは無理だろう。だからこっちを向かせなくてはならない。それが出来るのかが、蜃気楼のように不確定で、だから俺は不安なままに、でも次の人を呼んで仲間に誘うときには元のように堂々としなくてはならない。やってみたらイシュのことがべったりと貼り付いていても、他の重要と向き合うことは問題なく出来た。それはノフとツィキンが一緒に居るからかも知れないが、イシュのことが胸の中にずっと残っていながらも、着々と仲間は増えていった。

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