夢見る幼馴染み -4-

 帰り道、最寄りのスーパーで野菜などの食材を買い込み、再び鈴鹿宅を目指す。


 晴礼と渚は、後部座席でずっと話をしていた。

 〈まほろば〉の旅のこと。高校での生活のこと。夢のこと。お互いの生活のこと。

 鈴鹿宅に戻ると、ちょうど後ろから青色のレガシィがやってきた。大地の愛車だ。ガレージに揃って車を停めると、レガシィから大地が降りてきた。仕事を終え、今はツナギ姿ではなく、派手な赤色のシャツにジーンズという服装だ。


「なんだ、お前ら、どっか行ってたのか?」


「【伊勢神宮】で、かき氷食べてきた」


「俺には?」


 真顔で意味不明なことを返してくる大地。かき氷だっつてんだろ。だが。


「わかってる。ちゃんと買ってきてるって」


 晴礼が車から降ろしてくれた買い物袋から、半分くらい中身の入ったペットボトルを取り出す。中には緑色の液体が入っている。


「ほれ、お前の大好きなメロン味のかき氷だ。持って帰ってくる途中に、ちょっと形が変わっちゃったけど、大丈夫。まだ冷たい」


「お、おう……」


 まさか本当に出てくると思っていなかったのか、大地が目を白黒させながらペットボトルを受け取る。そして一口。


「って、ファンタメロンじゃねぇか! うめえなこんちくしょう!」


 投げやりに言葉を吐きながら、瞬く間に空になったペットボトルがべこりと握り潰される。こんな一連のやりとりも、長い付き合いだからなせる技だ。事前に仕込んでいたボケだとはいえ、晴礼は腹がよじれるほど大笑いしていた。


 一通り漫才をやったところで、大地はガレージの隅からバーベキューセットを引っ張り出す。続いて、帰り道に帰ってきたと思われる肉類がずらりと並べられる。ロース、カルビ、ハラミ、豚バラ、鶏モモ、豚トロなどなど。本当に、肉しかなかった。


 渚はやっぱりと肩を落としながら、スーパーで買ってきた野菜類を肉が埋まるように並べていく。大地が露骨にうげぇっとしているのがおもしろかった。


 準備が始まり、意外にも段取りよく動いていたのは晴礼だった。包丁で手早く野菜類をカットし、バーベキューコンロに瞬く間に炭をおこしてしまう。アウトドア用品の扱いにも慣れており、大地が車庫から持ち出したライトやらテーブルなどもてきぱきと並べて準備していく。

 どちらかといえばどんくさく不器用なイメージの強い晴礼。意外にもアウトドアに強いようだった。


「なにか失礼なこと考えてますね」


 びしっとトングで俺の鼻っ面を指さしながら、晴礼は口を尖らせる。


「滅相もございません」


「その塩を噛んだような歪んだ顔を消してから言ってくださいよ……。私のお父さんは、キャンプとかアウトドアのイベントとかにも連れていってくれたので、これでも慣れているんです。調理も火起こしもお手の物。さすがに持ってきてはいませんけど、家にはいろんな道具を持っていますよ」


「ほぉー」


 俺は感心して声を漏らす。


 アウトドアには以前から興味がある。だが、知識ゼロの人間が一人で始めてどうにかなる問題とは思えず、なかなか手が出せていない。これほど手慣れているなら、いつかご教授してもらいたいものだ。

 そして一通りの準備を終え、これから早速バーベキューを始めようかとしたとき。

 渚は、その場で少し考え込むように目を閉じたあと、再び目を開けて大地へと向かった。


「あの、お兄ちゃん」


 呼ばれ、大地が振り返る。


「ふぁに?」


 半開きの口には、火の通していないソーセージがつっこまれていた。おいこら。


 渚は少し迷いを見せるように、視線を逸らす。

 震える小さな口から息を漏らし、そして意を決して顔を上げた。


「私、大学に行きたいです」


「……行けば?」


「「「……え?」」」


 渚はもちろん、話を聞いていない振りをしていた俺や晴礼でさえも一緒になって、素っ頓狂な声を上げる。

 かじっていたソーセージをもぐもぐと食し、今度は大地がえっと声を上げて、片方の眉をぐいっとよじった。


「はぁ? お前、もしかしてずっとそれ言おうとして悩んでたわけ? お前が大学に行きたいことなんて、とっくに知っとるわ」


 渚の目が見開かせる。


「な、なんで……っ」


「いや……部屋に赤本放り投げて大学にいくつもりがないは、いくらなんでも無理があるだろ……」


 俺と晴礼がなんとも言えない表情で顔を見合わせる。それはたしかに無理だ。


「なんで私の部屋のぞいてるの!?」


 自らのアイデンティティである敬語さえ剥がれ落ち、顔を真っ赤に染めて渚が叫ぶ。


「のぞいたんじゃなくて、お前俺が休みの日とかに部屋開けっ放しで出て行くから、たまに見えるんだよ。風呂が入ったから呼びに行ったのに返事ねぇから中に入ってみれば、赤本や参考書開いたまま硬直してたこともあるし。文句があるならその所々で抜けたところと、ぼーっとする癖を直してから言ってくれ」


 渚は酸素を失った魚のように口をぱくぱくさせながら硬直している。


「大体ちょっと待てよ。なんで大学に行くのをお前が悩む。なんか心配事とか、不安なことでもあんのか?」


 心底わからないというように、大地が首を傾げて呻く。


「だ、だってお兄ちゃんは、大学に行けなかったのに、私が大学に行ってもいいのかなって……」


「……なんで俺が大学に行かないといけないわけ?」


「な、なんでって……」


「俺みたいな勉強大嫌いなやつが、大学に行きたいわけないだろ。俺はもう、日夜車と戯れていたい。高校で勉強をするだけでも、先生から小学生のテキスト叩き付けられるくらい頭悪いし。車のことはある程度わかるけど、それ以外のことはちんぷんかんぷんなんだよ。なんでとち狂って大学にいかないといけないんだ」


 言われてみれば、大地が大学に行きたいなんていうのは想像ができない。車関係なら可能性はあるかもしれないが……いや、どっちにしても嫌がるか。車のことなら勝手にやるだろうし。縛りつけようものならバッドサイズのスパナを振り回して暴れそうだ。大体、今更だが高校も勉強が嫌で中退しているし。


「お前はいいとこの高校行ってるし、模試でも相当いい結果でてるだろ。先生になりたいんなら、大学に行っておいた方がいいだろうしな」


「な、なな、なんで私が先生になりたいってことまで知ってるの!」


 もう訳がわからなくなって取り乱している渚に、大地がげんなりと肩を落とす。


「なんでなんでって、お前なぁ……。前から先生になりたいってこぼしてただろ。それにお前の友だちが親と一緒に車で店に寄ったときに言ってたんだけど、なんだっけ? 教育実習で来た大学生に相談に乗ってもらってたら、その大学生好きになったんだっけ? お前の友だち、漫画かよって大爆笑してたけど」


 漫画かよ。


「ちちちちち違う! 好きになってない! た、ただちょっとかっこいいなって思っただけだから!」


 そこまで頑なに否定すると、もはやなにかあると雄弁に語っているようなもんだが……。


「どうして俺が家庭教師のアルバイト探してきたと思ってるんだよ。お前が先生をやりたいっていうから、成績に悩んでる子どもたちを、うちのお客さんから探してきたんだよ」


 もう渚はなにを言っていいかわからなくなっており、もうぴくぴくと震える死にかけの魚のようだった。

 もうやめてあげて。しかし、おもしろいのでこちらも止まらない。

 晴礼が口をわずかに震わせながら俺の方を向く。ああ、これは笑うのを我慢している顔だ。


「こういうの、なんて言うんでしたっけ……机上の空論」


「ちょっと違う」


「んー……あ、捕らぬ狸の皮算用!」


「おしいな。もう一声」


「むむむむむ……ああっ、わかった! 取り越し苦労!」


「大正解」


「や、止めてくださいお願いします……っ」


 俺たちの漫才に、渚が耐えきれず真っ赤にした顔を両手で覆って縮こまる。


 にやにやと笑みを浮かべる俺と晴礼に、わずかに呆れを滲ませてため息を落とす大地。


 俺は、ポケットから出したハンカチを目元に当てる。


「う……うぅ……あの渚ちゃんに好きな人が……、もう、涙が……」


「わ、渉瑠君! 怒りますよ!?」


 声を上げる渚に、俺は笑いを噛み殺しながらハンカチで顔を隠す。


「えっと、えっとぉ……っ」


 俺たちを前に、渚は手をわきもきとさせながら焦り始める姿がおもしろい。

 しばし視線をさまよわせたあと、渚は呼吸を落ち着かせ、もう一度口を開く。


「私、やっぱり大学に行きたい。勉強して、小学校の先生になりたい」


 もう一度、自分の意志をはっきり告げる渚に、穏やかに、嬉しげに、大地は笑う。


「だから、行けばいいって、言ってんだろ」


 普段の軽薄で乱雑な姿からは想像もつかない、立派な兄の姿がそこにはあった。


「まあその話はおいおいと。お前ならほとんどの大学は余裕だろ。それよりもとりあえず今は飯だ飯。腹減ってしょうがねぇんだよ」


 気恥ずかしさを紛らわせるためか、大地は曖昧な表情を浮かべたまま、網の上にせっせと肉を並べていく。じゅーという音とともに食欲をそそる匂いが広がっていく。


 そして、側に置いてあった袋からなにかを取り出した。


「おい待てやごら」


 俺は大地が取り出したものを、開けられる前にひったくる。缶ビールだった。キンキンに冷えてやがる。


「なにをする俺の唯一の癒やしを」


「なぁにが癒やしがこのボケ。お前まだ未成年だろ。なに普通に酒買ってきてるんだよ」


 大地の誕生日は年末。まだ十八である。リーチにもなっていない。


「今更だなー。けちけちすんなよ。俺とお前の仲だろ」


「酒なんて口もつけたことねぇよ! 勝手に飲酒仲間にするの止めてもらっていですかね!」


 ひったくった酒を、袋に残っていた分も含めてすべて回収する。


「俺の前で未成年飲酒は絶対に認めない。ダメ絶対。お酒は二十歳になってから」


 ちぇっと口を尖らせながら、大地はノンアルコールのサイダーを開けてぐびっと飲んだ。


 俺たちのやりとりに、渚と晴礼は声を上げて笑っていた。

 一人俺は肩を落とす。いい話が台無しである。


 そして、どんちゃん騒ぎのなか始まったバーベキュー。


 中途半端な食事ばかりだった最近で、一番まともな食事だ。俺も、そして俺に合わせているからか晴礼もほとんど食に頓着しないため、気をつけなければ雑な食事しかしないのだ。大地は自分で買い込んできた肉をひたすら食べ続けていた。渚が無理矢理野菜を食べさせていたが、ほっといたら本当に肉しか食べなかっただろう。


 晴礼は久しぶりに同い年の女の子と話せることが嬉しかったのか、バーベキューを楽しみながらもずっと話し続けていた。カメラで俺たちの写真を撮り、渚と写真を撮っては嬉しそうに親父さん宛に写真を送っていた。


 俺と大地は、ずっと馬鹿話に花を咲かせていた。わずかな差ではあるが、年齢の壁がある現在のクラスメイトとはこういう話はできない。取り留めもない話に付き合ってくれるのは素直に嬉しい。恥ずかしいから、面と向かって言うことはできないけれど。

 近くに家がないのをいいことに、ご近所迷惑になるのではないかというほど騒ぎ倒した。


 騒ぎを聞きつけた大地が勤める自動車整備工場の社長さんが、差し入れにと有名どころのケーキを買ってきてくれたりもした。お返しに、昼間に伊勢で買ってきた赤福と本来この場にあってはいけない酒類を引き取ってもらう。血の涙を流しながら手を伸ばす大地を渚と二人で押さえ込んで、社長さんを見送った。


 そして、全員が満腹になったところで、お開きとなった。

 余った食材は冷蔵庫にしまって朝食行き。ゴミ類は手早くまとめて倉庫の隅にまとめてしまう。


 道具類まで綺麗に片付け終わったところで、大地が膝を叩きながら立ち上がった。


「よーし、じゃあ景気づけに行っとくか。俺の車でひとっぱしり」


 ぴたりと、最後の片付けをしていた渚が動きを止める。

 俺の顔も、人間の顔の筋肉ってこんなに歪むんだっけというくらいねじ曲がる。


 晴礼は首を傾げて、俺と渚の顔を交互に見ている。


「ぜってぇやだ」


 俺がそう呟くと、渚ももげて飛んでいくんじゃないかというくらい首を振って同意する。

 大地はくつくつと喉を鳴らした。


「いいやだめだ。俺に酒を飲ませなかったお前が悪い」


 なんでやねん。俺なにも間違ったことしてないだろ。


 俺と渚が必死に抵抗したのだが、大地はまったく聞く耳を持たなかった。

 車庫から出したレガシィに俺たちを詰め込む。助手席に俺、俺の後ろに晴礼、運転席の後ろに渚が座った。


「……晴礼ちゃん、シートベルトはきちんとしていてくださいね」


 既に諦めきった、この世を悟ったような仏のような表情で渚は言う。


「え? ああ、うん。わかってるよ?」


 晴礼はシートベルトを締めながらも、どこか頭に疑問符を浮かべている様子だった。

 現代日本に置いて、運転席、助手席、後部座席と、すべての座席のシートベルト着用が義務づけられている。もっとも、一般道路では後部座席のシートベルト着用については口頭注意だけで明確な罰則がない。だから未だ装着しない人が多いのが現状だ。


 だがしかし、大地の運転ではどこの席だろうと絶対にシートベルトが必要である。

 なぜなら――


「「「いっやあああああああああ!」」」


 大地の車はどこから鳴っているんだという甲高い音を響かせながら道路を駆け抜けていく。


「ひっひっひ! たぁのしいねぇ!」


 狂ったように嬉々としてハンドルを操作する大地。

 車体が揺れる。景気が回る。内蔵がぐちゃぐちゃに。世界が縦横無尽に暴れ回る。


「ままま待って待って! 止めて! 止まってくらざい!」


 助手席にしがみつき、噛みながらも必死に懇願する晴礼。大抵のことならなんでも楽しめる晴礼でさえ、さすがにこの状況は楽しめないらしい。


「ひゃははははは! しばらく車を停められるところがないんだなこれが!」


「嘘つけ! さっきからそこら中にあるわこのくそボケ!」


 【伊勢志摩いせしまスカイライン】。三重県の伊勢市と鳥羽市をつなぐドライブウェイだ。


 大地は制限制限速度をきっちりと守って運転している。シートベルトもきちんとしている。

 だが運転が下手。もう致命的なまでに、壊滅的なまでに下手。

 青い彗星はどこかの部品がぶっ壊れているんじゃないかと思うほど、危うい動きで道路を駆けていく。


 大地の自動車整備に関する技術や知識は、素人目に見てもすごいと思う。

 先ほど現れた社長とは、去年の年明けに知り合った。大地が免許を取ったばかりのころだ。

 岡山から遠く離れた地。車が好きで多少いじれる程度の大地が、自動車整備工場で、高校中退で十分に働けているのか。心配になってそんな疑問を社長さんに投げたことがある。すると、社長さんは言った。


『ふっ、心配はいらないよ。大地は、車の整備に関しては、砂漠が水を吸い込むような勢いで吸収する。車の整備に関しては、言われたことの百倍できる。車の整備に関しては、君たちの歳では考えられないほど技術を持っているよ。車の整備に、関しては……ね』


 遠い目をして、痛めて腰に巻いたコルセットを押さえながら社長は笑っていた。


 なんで痛めたのかは、怖くて聞けなかった。


 天は二物を与えずとはよく言ったものだ。前世でどんなカルマを背負ったら、ここまで車の運転がへっぽこになれるのだろうか。壊れたジェットコースター。大地の運転を経験した者は、口を揃えてそう言う。


 折り返すために、車が頂上付近にある展望台に入ったところで、大地を運転席の外に蹴り飛ばし停車。本当ならここから見える夜景も絶景なのだが、車内にそんな余裕と元気は残されていなかった。


 俺が運転席に乗り込み、代わりに来た道を引き返していく。


「ちぇ……せっかくテンション上がってきたってのによ」


「そのまま天国まで俺たちを導くつもりかよふざけんな」


 大地のレガシィはミッション車。オートマチック車であるプリウスとは違うが、ゆっくり走る程度なら問題はない。

 後ろでは、一時間足らずで十年分は老け込みげっそりとしている晴礼を、渚が背中をさすりながら介抱している。


「相変わらずの安全運転だな」


「お前に比べたら全世界の人が安全運転だろうよ」


 これで未だに無事故無違反だというのが信じられない。車の神様に気に入られているんだが、見放されているんだかわからない。


 窓際に肘を突き、大地は外の景色を眺めながら息を漏らす。


「……お前、体の調子は?」


 不意に向けられた問い。


 俺はレガシィを走らせながら、バックミラーでちらりと晴礼の様子を確認する。ミイラのようにげっそりと未だに目を回しており、それどころではない様子だった。


「……最近は問題ないな。時々痛む程度で、ほとんど通院もしていないよ。薬も飲んでない」


「そうか」


 大地はわずかに口元を緩めながら、小さく笑う。


「俺の体を心配するなら、体に悪くない運転をしてもらっていいですかね?」


「はっ、平穏な人生ばっかじゃつまらねぇだろ。人生には適度な刺激が必要なんだよ」


「適度とは一体……」


 大地はもう一度笑みをこぼしたが、ふっと表情を消して、窓の外へと視線を逃がした。


「もうそろそろ、三年、か……」


「ああ、早いもんだな」


 小さく息を吐き出しながら、俺はゆっくりと車を走らせていく。


 そうだ。あの日から、もうじき三年になる。プリウスで旅を始めてからも、ずいぶんとたつ。俺の行く旅が正しいかどうかなんてわからない。もしかしたら、一生わかることがないのかもしれない。結局は、俺も晴礼と同じように、きっとなにかを探している。


 いつ終わるかもわからない旅。なにを見つけたことで終わりかもわからない。


 この旅の果てに、なにが待っているのかも。

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