ちっぽけなランナー -1-
「どうして拾ってきたんだ。お兄さんは許しませんよ。見つけた場所に返してきなさい」
女の子を連れてきた晴礼を前に、道の駅を指さし告げる。
「せ、センパイひどいです……」
「ひどいのはお前だ。どこでさらってきたんだ。おまわりさん呼ぶぞ」
おまわりさんに来られてしまえば、俺がヤバいけど。
「ち、違うんす違うんす」
犬かと思っていた女の子が、やや舌っ足らずな声を発した。まだ声変わりもしていない幼い声だ。
見たところ、晴礼よりもさらに年下の女の子。運動部かなにかに所属しているのか、女の子にしては非常に短く切り揃えたボーイッシュな髪型だ。ノースリーブに短パンという露出度の高い服装で、袖からのぞく肌はこんがりと黒く焼けている。透き通るような白い肌の晴礼と並ぶと、その褐色がより引き立つ。
俺が不機嫌になっているとでも思ったのか、女の子は俺の視線にひっと喉を鳴らした。
「え、えと、ヒッチハイクしてたんす。神戸まで、連れていってくれる人を探しているところで……」
こ、神戸までって……。
言ってはなんだが、他府県間の移動手段して利用されやすい高速道路などのサービスエリアなどならともかく、ここは辺鄙な田舎の道の駅だ。お隣とはいえ、兵庫県神戸市まで行きたい人を乗せてくれる奇特な人物は、ほとんどいないように思う。
ましてや……。
「えっと、君いくつ?」
はっとした様子で、女の子はその場にびしっと姿勢を正した。
「私、
地面に頭が着きそうなほど、深々と腰を折る湊川さん。
ついさっきもそんなこと言われた気がするなぁ……お兄さん強烈なデジャブだよ……。
ずきずきと痛み始める額を抑えていると、周囲でひそひそと話し声が聞こえてきた。
中学二年生ということは、晴礼の三歳下で、俺の五歳下だ。
傍目から見れば、道の駅で子どもが騒いでいるだけに見えるかもしれないが、時間が時間だ。手短に済ませないと、本当に誰か来かねない。このご時世、お父さんが娘と公園で遊んでいるだけで通報されてしまうのだ。世間こえーよ。
「あー、湊川さん? 神戸まで行きたいって、なにしに行きたいの? こんな時間に」
怯えさせないように、言葉を選びながら尋ねる。
湊川さんはきゅっと口を結んだあと、言った。
「神戸に、私の両親がいるんす。私はちょっと事情があって、この近くのおじいちゃんとおばちゃんの家に住んでるんですけど、どうしてもなるべく早く、神戸の両親のところに行きたいんす!」
力強く、それでいてなにか脆そうなものが垣間見える言葉だった。
俺が眉を曲げていると、湊川さんの隣に立つ晴礼が、おずおずと上目づかいにこちらを見やる。
「私たちの行き先は、特に決まってないので、一緒に連れていってあげても、いいかなと……」
いいかなって……おいこら……。
俺は頭に手をやり、深々とため息を吐き出す。
「神戸はどちらにしても行く予定だったし、絶対に通るから行くこと自体は構わない。問題は、保護者のおじいさんたちがなんて言っているかだ」
知り合いならともかく、俺たちは木下サーカスもびっくりな見ず知らずの奇人だ。ヒッチハイクをしている中学生を他県の親元まで連れていくなんてどう考えても異常だ。ほとんど人さらいである。
「じゃあじゃあ、私が保護者の、夏帆ちゃんのおじいさんとおばあさんに許可をもらえば問題なしですね!」
思いついた方法がとんでもなく妙案のように晴礼は言う。
なに言ってんの本当に……問題しかないわ……。
つっこみが思いつかず、星が瞬き始めた夜空を見上げる。
晴礼は湊川さんから家の場所を聞く。この道の駅から徒歩で数分の場所らしく、二人でばたばたと道の駅を飛び出していった。
突然ぽつんと取り残される、自称常識人であると思う俺。
「……まあ、いいや。どうせ無理に決まってる」
余計な考えは太陽の代わりに光を下ろしている月の向こうに追いやり、再び荷物の整理に戻る。一人分の荷物が増えるが、後部座席には極力荷物を積みたくない。予期せぬ急ブレーキをしてしまえば、大惨事になりかねないのだ。
三十分ほどたったころだろうか。そろそろ増えた荷物を投げ捨てて、予定通り一人旅をしようかなと考えているときだった。
晴礼が戻ってきた。
……湊川さんを連れて。
「渉瑠センパイ! 保護者さんの許可をいただいてきました!」
一瞬意識が飛んだ。
発揮しなくてもいいところで、無駄に高いコミュニケーション能力と交渉術を発揮した晴礼が引き金になった。
結果、湊川さんを神戸の両親宅までお連れすることになりました。
「晴礼、お前も後ろ座れ」
「え? なんでですか?」
「いいから後ろに行けって。女子中学生を一人で後ろに座らせたらかわいそうだろ」
車という密閉された狭いスペースを複数人でともにするのは、存外神経を使う。慣れ親しんだ間柄なら別だが、会って間もない人と一緒に車に乗れば、確実に体力をすり減らす。
まさか、本当におじいさんたちの許可をもらってくるとは思わなかった。勘弁してくれ。
戻ってきた晴礼と湊川さんの後ろから、遅れておじいさんも一緒にやってきた。おじいさんたちの家は、老舗のお菓子屋さんとのことで、繁忙期である夏期休暇は店を空けることができないらしい。お孫さんの願いは理解しているのだが、聞いてあげるのが難しいとのこと。
俺はもうやけっぱちだった。自分の運転免許証をおじいさんの携帯電話で撮影してもらい、念のため俺とおじいさんの連絡先を交換した。
両親への手土産と、お礼と言うことでお店のお菓子をたくさんもらい、いざ、神戸。
いざぁ……こうべぇ……おろろろ。
「本当に大丈夫かよいろいろと……」
とっぷりと日が暮れて久しい夜道にプリウスを走らせながら、後ろには聞こえないように独りごちる。
「あの、本当にすいませんっす」
しかしその声はしっかりと聞こえていたようで、後部座席から湊川さんが申し訳なさそうに謝る。
「もう、渉瑠センパイ、夏帆ちゃんをいじめないでください」
「いじめてねぇよ……。ああ、えっと、湊川さん、別に俺は怒ってるんじゃないからね」
ただ単に、状況に頭が着いていかないだけで。一人増えただけでも頭も車も一杯一杯だというのに、おまけにもう一人増える天変地異。お兄ちゃんの頭はバースト寸前です。
再び小さくため息を落とし、後部座席に意識を向ける。
「それほど長い距離じゃないけど、なにかあったら遠慮なく言ってくれていいよ」
「ちなみ、神戸まではどれくらいかかるんですか?」
晴礼が後部座席から顔をのぞかせて尋ねてきた。
「四、五時間」
「へ?」
「今いる吉備中央町から神戸市まで、有料道路を使わずに四、五時間ってところだ」
頼まれ事とはいえ、本当なら高速道路を使って時間をかけずに行こうとしたのだ。ただ朝までに到着すれば問題ないとのことで、無料道路のみを使っていくことになった。
「け、結構かかるんですね」
「ご、ご迷惑かけるっす……」
肩身が狭そうに、湊川さんがただでさえ小さな体をさらに縮込ませる。
それをバックミラーでちらりと確認し、俺は笑ってみせる。
「車で走るのに五時間なんて大した距離じゃないよ。俺は、毎週五十時間は車を走らせてるから、いつものことだよ。余裕余裕」
「いつ寝てるんですかそれ……」
晴礼がどん引きした声を漏らす。
元々、車の運転にほとんどストレスを感じないタイプだ。長時間運転も苦にならない。その気になれば十時間くらい車を停めずに走り続けることだってできるし、実際にやっている。
「まあ、こんな人は置いておいて……」
晴礼は隣に座る女子中学生に向き直った。失礼だなおい。
「はい、夏帆ちゃんこれどうぞー」
どこから取り出したのか、晴礼はポッキーの赤い箱を湊川さんに差し出す。
「あ、ありがとうございます。いただきますっす」
湊川さんが一本のポッキーを受け取ると、続いて俺の方にも差し出した。
「センパイもどうぞー」
「どうも」
顔の横に向けられた赤い箱から、俺も一本受け取って口にくわえる。
「あ、えっとえっと、今更ですけど、車の中でお菓子食べても大丈夫でしたか?」
「ああ、気にするな。普段から車でご飯とか食べるから、汚さなければ好きに食べてくれ」
「そうですかそうですか。よかったです」
言って、晴礼もポッキーを先からかりぽりと食べていく。
運転しながらおにぎりやパンを食べていれば、落とすこともよくある。掃除さえすれば問題はない。
「……?」
視界の隅に映るバックミラーで、湊川さんがなにやら不思議そうに首を傾げていた。
「えっと、お二人はどういうご関係なんすか?」
ずばり質問が飛んできた。
俺は答えを探し、考えてしまう。
しかし、間髪入れずに晴礼が笑顔で答える。
「彼氏彼女のご関係だよ。夏休みになったから、二人で旅行に行くことにしたんだ」
先ほど結んだばかりの恋人関係だというのに、晴礼は恥ずかしげもなく答えている。自分から提案した条件だが、まさか受け入れられると思っていなかっただけに、俺の方が恥ずかしい。
「はぁ……そうなんすか……」
まだ腑に落ちていないような声音をしていたが、それ以上追求してくることはなかった。俺は運転集中するために意識を前に戻す。あまり後ろに気をとられすぎて、事故を起こせばことだ。
吉備中央町から真っ直ぐ南下。続いて、岡山県を東西に通る国道二号線に乗り、あとはひたすら東に向かう。日中は渋滞することも多い国道だが、もうじき日付が変わる時間帯ともなれば交通量はぐっと減る。
後部座席二人のストレスにならないよう、安全運転でゆっくりと車を走らせていく。どうせ急いだところで、結局は変わらないのだ。
「あの、乗せてもらって恐縮なんですけど、大丈夫でしたか? お二人とも、行くところがあったんじゃ……」
「大丈夫っ。私たちの旅に目的地はないよ。私たちは今、〈まほろば〉を探して旅をしているのです」
「ま、〈まほろば〉……?」
先ほどの俺と同様に、聞き慣れない単語に湊川さんが首を傾げ、晴礼が楽しげに説明を始める。
俺は元々旅をしており、付き合って初めての夏休みに素敵な場所、〈まほろば〉を巡る旅をしていると。所々脚色をしながら説明をしていた。
若干理解できているのかは怪しかったが、湊川さんは相づちを打ちながら話を聞いていた。
「ホントにすごいっす。それにお二人で旅って絵になりますね。広瀬さんはかっこいいですし、晴礼さんも綺麗で、私憧れるっす!」
目を磨かれたダイヤモンドのようにきらきらとさせながら、尊敬的な熱を向けてくる湊川さん。
実のところ、そんな感動的な要素は欠片も含まれていないのだが。お互い狂気奇天烈成分純度百パーセントな組み合わせだと知られてしまえば、どれほどがっかりされることか。
しかし、晴礼は恥ずかしそうに身をよじりながらぶんぶんと両手を振った。
「わ、私全然綺麗じゃないよ! そんなそんなことないないない! あ、でも渉瑠センパイはかっこいいですよ? 本当ですよ? だ、大丈夫ですよ?」
そんなフォローはいらん。自分が美形でないことなんて物心ついたときに理解している。大丈夫ってなんだ。
しかしまあ、と俺はバックミラー越しに頬に両手を当てて、もじもじとする晴礼を見やる。確かに晴礼は、黙っていれば同世代でも整った容姿だと思う。綺麗というより、どちらかといえば小動物を思わせるかわいい系の風貌に、小柄ではあるが細く整ったスタイル。今のクラスになったばかりのころ、男子が騒いでいたのを覚えている。俺は会話に入っていないけど。
俺は皮の下のぶっ飛んだ部分を知ってしまっているが、晴礼は基本的に中身は竹を割ったような素直な性格だ。名前の通り晴れ晴れと明るく、男女問わず友だちが多いのも事実である。付き合ったことがないというのも、意外といえば意外だ。もっとも、彼氏持ちなら年上異性のクラスメイトと二人で旅に出るなんて蛮行、できるはずもないが。
高校生と中学生だが、二人とも年頃の女の子だ。俺がのんびりと運転をしている間にも、後ろで楽しそうにいろいろな話題に花を咲かせていた。
やがて、少し会話に間ができた。
そのとき、晴礼は思い切ってこれまでずっと聞きたかった様子で口を開く。
「聞いてもいいかな。夏帆ちゃんは、どうして神戸のお父さんたちのところに行きたいの?」
そんな詳細も知らずに車に乗せて送ろうなんて、どんな神経をしているのか本当に疑わしい。乗せる俺も俺だが。
湊川さんは言いよどむように間を空け、そしてゆっくりと口を開いた。
「元々は、私もお父さんとお母さんと一緒に、神戸に住んでいたんす。でも、お父さんたちの会社がうまくいかなくなって、私に迷惑がかかるからって、おじいちゃんたちの家に預けられることになったんすよ」
……ずいぶんと重たい話が始まってしまった。
地雷原の上にフライングボディプレスをかました晴礼は、おおうっとやや面を喰らった反応をしている。
女子中学生が道の駅で一人ヒッチハイク。中学生の馬子を見ず知らずの旅行者に預ける祖父母。のっぴきならない事情があるに決まっている。
だが俺はしらんぷりを決め込んで、運転に集中する。
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