センパイのこと -1-
センパイは少し近づきにくい人だった。
デリカシーがないと言われてしまえばそれまでだけど、私は誰とでも、男女問わずぐいぐい接して仲良くなることが得意だ。あの人を心配させないようにと、人から好意を持たれやすい笑顔を貼り付けることと、人から好意を持たれる接し方が身についてしまった。いろいろな感情、特に負の感情を笑顔の下に隠すことが、上手になりすぎてしまったのだ。
そんな私にとって、センパイは正直苦手だった。
センパイは、誰かに対してほとんど踏み込むこともせず、同時にまったく人に踏み込ませない。自覚があるのかどうかはわからないが、誰かが自分に接することを拒んでいる。二つの年の差があるから当然と言えば当然かもしれないけど、それ以上になにか、明確な壁を作っている気がした。
私が他の人とならすぐに打ち解ける笑顔と元気で話しかけても、当たり障りのない対応をするだけ。すぐに私から意識が外れている。
正直、少し怖い人だと思った。なにか、周囲への感心や興味が、著しく欠如してしまっているような、普通の人が持っているものをなくしてしているような、薄ら寒いものを感じがした。
そんな折、私はセンパイという人を見ることになった。
日課であるお父さんのお見舞いに、病院に行っていたときのことだ。
私は待合室の隅の方に座り、担当の先生が呼びに来るのを待っていた。お父さんの具合が具合。長時間待つこともしばしば。あの日も、半日以上待つことになった。
とっぷりと日が暮れて、受付時間も過ぎた院内は閑散としていた。
私の定位置は、待合室の隅にある本や雑誌が詰め込まれたラックの近く。通路からは見えにくい位置にあり、長時間待つには打って付けだった。ラックに無造作に詰め込まれていた雑誌の一つを、看護婦さんが呼びに来るまでずっと読みふけっていた。といっても、今月号の雑誌ではあるが、もう何度も読んでいる。ほとんどどのページになにが書いてあるかもわかっていた。本当にただ時間を潰すために眺めていただけだ。
視界の隅に私が苦手とするセンパイの姿が映ったのは、たまたま顔を上げたときだ。
年配の女性と私と同い年くらいの女性を連れだって、センパイはやってきた。
二人の女性は、何度も何度もセンパイに頭を下げてお礼を言っていた。
お気になさらずにと、落ち着いた笑顔を返すセンパイ。
私に年の近い女性は、知っている人だった。今年の春に卒業しているが、委員会でお世話になっていた高校の先輩だ。その人とセンパイは、よく考えれば留年する前、元々同級生である。お父さんが入院している私と同じように、おじいさんがこの病院に入院しているのだと、以前言っていた。
静かな待合室の中に、センパイたちの会話が聞こえてくる。
話を聞くと、入院中のおじいさんの様態が急変したとのことだ。急ぎ病院に行かなければいけなくなったが、時間が時間で住んでいる場所が田舎だったため、タクシーなども呼べずに困っていたらしい。家で車を使える人は、たまたま用事が重なって誰もいなかったとか。
委員会の先輩は途方に暮れていたが、センパイが車を持っていたことを思い出し、ダメ元で頼んでみたそうだ。するとセンパイは、夜も遅い時間だったにも関わらずすぐに駆けつけ、二人を病院まで運んできたらしい。
センパイはそれを誇らしく思うわけでもなく、なにかを求めるわけでもなかった。ただ穏やかに微笑みながら、早く言ってあげてくださいと、二人を送り出していた。
何度もお礼を言う二人を見送ったセンパイは、なぜか、懐かしむように院内を見渡していた。
会ってもなにを話せばいいかわからないし、そもそも苦手な人。私は見つからないように息を潜め、ラックの陰に隠れた席でじっとしていた。
やがて、センパイは深々とため息を落とすと、待合室一番前の席に腰を下ろし、提げていた鞄から本を取り出して読み始めた。
私としては、今すぐ、一刻も早く帰ってもらいたかったのだが。ここに送ってきただけで、特に用事もないはずだ。それなのにセンパイは帰る気配もなく、文庫本のページをぱらりとめくっていた。なぜか病院の看護婦とは顔見知りのようで、追い出されるどころか、お久しぶりですと挨拶までする始末。
いったい、なにがどうなっているのかわからない。
そして、センパイにとってはちょうど一冊の本を読み終える時間、私としては針でちくちくと体を刺し続けられているような長い長い時間がたったころ。
センパイがここまで送ってきた二人が、再び待合室に帰ってきた。戻ってくるなり、二人は未だに待合室に残っているセンパイに目を丸くしていた。
なんでまだここにいるのかと、驚き声を上げる二人に、センパイは読み終わった文庫本をぱたりと閉じて、こともなげに一言。
「いや、帰りの足も必要だと思って」
ごく当たり前のように、それが普通のように、息をするように、センパイは言ったのだ。
幸い、委員会の先輩のおじいさんは大事にはならなかったようで、一旦家に帰って、また病院に戻ってくるということになったそうだ。
するとセンパイは、じゃあもう一往復すると言って、二人が遠慮するのもお構いなしに、玄関に車を回すからと早々に病院を出て行ってしまった。
まったくもって、よくわからないことが目の前で起きたと思った。
でもこの日、私の中でセンパイへの印象が変わったのは間違いない。
怖くてよくわからなくて、正直苦手だと思っていた。だけど、むしろ大丈夫かなこの人と、心配になるくらい優しい人だった。そう考えると、自然と笑みがこぼれ、一人病院の待合室で笑ってしまった。
気がつけば、私はセンパイを目で追っていた。
教室で一人ぼーっとしているとき、クラスメイトと頑張って会話をしているとき、赤磐先生とお馬鹿なやりとりをしているとき。
そして、ともに旅をしていく中で、もっとセンパイのことを知ったとき。
次第に心の中に芽生えていく気持ちに名前をつけるのに、それほど時間はかからなかった。
旅に出たあの日から、もう二十日。
徐々に明るくなり始めた海岸からの景色を前に、私は一人、笑みをこぼしていた。
「……本当に本当に、世界は私の知らない〈まほろば〉であふれているんだ」
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