最後のまほろば -2-
【下呂温泉】から再び、岡山とは反対方向に車を走らせる。
また数日かけながら、あちこちの〈まほろば〉を巡っていった。
それでも晴礼の求める〈まほろば〉は見つからなかった。
もうじき夏休みが終わる。今日は八月二十九日。始業式は九月一日。夏休みが終わるまでもう何日もない。
そして、これから訪れる場所が最後の〈まほろば〉。向かうは、長野県中央部。
「あのあの、渉瑠センパイ、今向かっている場所って、私がこの前にお伝えした……場所ですよね?」
周りの景色とスマホの地図で現在走っている場所を見ながら、晴礼が不安げな声を漏らす。思い出した情報とは合致しない場所に、わずかばかりの戸惑いを覚えているようだ。
俺は念のためにと表示しているカーナビのマップで現在地を確認する。
「日の出に、大きな山に、海、水辺だったよな。まあ行ってみよう。正直俺も自信があるわけじゃない。日本にはそういう場所多いからな。ただ、もう日は昇ってるから、日の出は見られないけど」
俺は軽い調子で答えながら、明るくなってしばらくたつ道を進んでいく。
本当なら晴礼が見たという日の出に間に合わせたかったのだが、事故渋滞に巻き込まれて相当遅れている。到着は正午近くになる。
「でも、これから行く場所は俺がこれまで訪れてきた中でも一番好きな場所なんだ。可能性は、あると思うよ」
「そうですかそうですか。わかりました」
晴礼はそれだけで納得した様子で、また窓の外に視線を戻した。
嬉しげに体を踊らせながら、流れる景色にほぉーだとかわっはーと言いながら楽しげだ。
数日前、【下呂温泉】の旅館で俺が吐き出したことを、その後晴礼は触れてくることはなかった。
俺もこちらから話を向けることはなく、掘り返すことをしなかった。
今思い返しても、もしかしたらあれは夢だったんじゃないかと思うことがある。俺の勝手な願望が創り出した幻想なんじゃないかと。
それでもやっぱり、あれは夢などではなかった。
晴礼が俺に言ってくれた言葉を、はっきりと覚えている。俺が生きていて、よかった、と。たったそれだけの言葉が嬉しかった。本当に、嬉しかったんだ。
しかしそれでも、もうじきこの旅は終わる。
本来、俺一人の旅予定では、今日にはもう岡山に戻っているつもりだった。
今回は晴礼の行きたい〈まほろば〉を探すという目的があったため、ぎりぎりまで粘っている。
だけど、これが最後の目的地。たとえ間違っていたとしても、これ以上旅は続けられない。
それでも俺たちは進む。旅はいつでも始められる。しかし同時に、いつか必ず終わるものでもある。
それは誰にも、神様にだってどうすることもできない。
旅とは、旅立ち、必ず帰るものだからだ。
狭い山道を、ゆっくりと進み、登っていく。
整備はされているものの、まだまだ走りにくさを残す道に、プリウスを走らせていく。
「わぁっ! センパイ! 牛さん! 牛さんがいますよ!」
開けた牧草地帯に、白黒斑の牛たちが身を寄せ合って暖かい日差しに体をさらしていた。
「ああ、この時期は放牧してるんだ。他にも羊が見られたりもするし、運がよければ野生の鹿とかキジとかも見られたりするよ」
この辺り一帯は国定公園に指定されており、長野県が直々に自然保護を行っている。そのおかげで保全された自然は見事なものだ。
「ほぇー。じゃああとでゆっくりと見たいですね」
「そうだな。日が暮れるまでにここを出られれば、明日までには十分岡山に帰れるから。それまではのんびりしてられるよ」
数日後には二学期が始まる。この旅最後の目的地で、ゆっくりと過ごすのは悪いことではないだろう。
車で上ることができる頂上までたどり着く。俺たちの他には、あまり人がいなかった。車とバイクが数台停まっている程度だ。以前訪れた際はもっと多くの観光客がいたが、八月も終わりの平日にはさすがに少ない。
左手の広い駐車スペースの隅へ、車を停める。
「ここ……ですか?」
「うん、降りよう」
俺は小物類を入れたショルダーバッグを手に、晴礼はいつもどこにでも持ち歩いている青いボストンバッグとカメラを手に、それぞれ降車する。
八月末。
世間はまだ暑いが、高所に位置するこの場所は真夏でも涼しい風が舞っている。
山肌を撫で下ろす風に目をすがめ、晴礼はあっと声を上げて走り出した。ボストンバッグを揺らしながら、子犬のように駆けていく。
駐車場の端にある展望スポット。眼下に見渡す景色は、広大な盆地に築き上げられた街並みだ。
蒼穹のごとく澄み渡る空の向こう側には、雄大な山々が連なっている。冬なら白い冠をかぶる山たちは、夏空の下では力強い山肌を露わにしている。パノラマに広がる世界が、視界の果てまで続いていた。
「すっごく綺麗……」
ここ一ヶ月で、展望台は相当数巡ってきている。
そんな中でも、ここの展望台は最高の開放感を味わえる場所だ。
「手前に見えるのが、長野県松本市。その向こう側に見える山々が、アルプス連峰だ」
雲や霧で視界が悪い日には、なにも見えないこともある。しかし夏晴れの今日は、雲一つない、遮るものがない澄み渡った空が果てしなく広がっている。何度も来ているが、今日が一番綺麗な日だ。
「はい……本当にすごい〈まほろば〉ですね……」
晴礼は視界に広がるその景色を、ただ、眺めていた。
しかし。
やがて、晴礼は小さく息を吐いて俯いた。
「……でも、すいません」
俺はその言葉を、目の前の景色に向けたまま受け取る。
「私がお父さんと来た〈まほろば〉は、ここじゃ……ないです……」
残念だとか、がっかりだとか、そんな感情はなかった。
ただあるのは、申し訳ないという謝罪にも似た気持ち。
「本当に、すいません。ここまで、こんなに遠くまで連れてきてもらったのに……」
晴礼が悪いわけではない。
俺が連れていってあげたかった。だが、それが違った。かといって、俺に責任を求めるようなことを、晴礼が言うわけもない。俺がなにかを言っても、晴礼は全力で否定するだろう。
最初から晴礼の願いは、無茶で無謀なもの。もし違っても、それは仕方のないことだ。
「本当に――」
「違うんだ」
謝罪を重ねようとする晴礼の言葉を遮り、俺は告げる。
「ここじゃないんだ。俺が晴礼に、最後に見せてあげたかった、〈まほろば〉は」
晴礼が大きく目を見開く。
晴礼に笑いかけ、そして、今まで俺たちが見ていたアルプス連峰とは反対側へと向き直る。
「さあ、行こう」
俺たちの旅の終着点。最後の〈まほろば〉に。
歩き始める俺に、我に返った晴礼が、ぱたぱたと俺のあとを追ってくる。
ここまで登ってきた山道を横切る。その先は、本当の山の頂。
俺たちは歩き出す。
ここを登ってしまえば、あとは引き返すだけ。
最後の〈まほろば〉へと、至る道。
「わっとっと!」
突然、隣を歩いていた晴礼は、草に足を取られて盛大にすっころぶ。
「っあてて……」
「なにやってるんだ。ドジだなまったく」
「ド、ドジって言わないでくださいっ」
恥ずかしそうに顔を赤くし、打ち付けたおしりを押さえながらむくれる晴礼。
「ほら」
俺はそんな晴礼に手を差し出す。
そんな俺の行動に、晴礼は驚いたようだった。
情けない話だが、女性に耐性がない俺がこんな行動を取ったことに、自分でもびっくりした。
それでも、自然と手を向けていた。
晴礼は、口を膨らませて見せながらも、どこか笑みを浮かべた。
「むぅ……最後の場所なんだから、しっかりエスコートしてください」
「わかってますよ。ドジっ子さん」
「だからぁ!」
言いながらも、晴礼は俺の手を取った。
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