夢見る幼馴染み -2-

 大地の家は、大地が働いている自動車店から十五分ほど車を走らせた場所にある。


 車が整備できる場所がほしいという理由から、居住者がいなくなったガレージ付きの一軒家を借りて生活している。田園に囲まれた土地をならして建てたはいいものの、家主が転勤をくらって住めなくなってしまったのだとか。人が住まないと家は傷むので、格安家賃で大地が借りているのだ。


 車が二台停められるガレージの片側に、プリウスを停める。

 助手席に座っていた晴礼が、やや緊張した面持ちでシートベルトを外した。


「鈴鹿さんが相談に乗ってほしい人っていうのは、鈴鹿さんの妹さんなんですか?」


「ああ、今年高校二年生。情けないことに留年したせいで同級生になっちまった。心配するな。兄妹とは思えないほど、まともでまじめだ」


「お、お兄さんもまともでしたよ……?」


 言いながらも、晴礼の目はベイブレードのようにぐるぐると回っていた。いいぞ、フォローしなくて。


 車から降りると、ガレージにはいつものようにオイルと鉄の臭いが広がっていた。

 逃げるように二人してガレージを抜け出し、隣接する一軒家の方に歩いていく。


「まあ、ちょっとぼぉーとしたやつではある……けど……」


 口にしていた言葉が徐々に分解されていき、エンジンが切れたように俺の足も止まる。


「渉瑠センパイ?」


 突然立ち止まった俺の後ろから、晴礼が体をそらしてのぞき込む。


 大地たちが暮らす家の前には、いつ見てもよく手入れがされた花壇がある。常時油臭を放つガレージを少しでも誤魔化せるようにと作られたものだ。


 その花壇を作った担い手が、今日も花壇の前に立っている。大地の本来の地毛と同じ栗色の髪は、左右でまとめられて肩に下ろされている。真夏の青空の下によく似合う涼しげなサマーワンピースも、清楚な見た目によく似合っている。その少女は右手に緑色のじょうろ、左手に赤いスコップを持ったまま、花壇の前に立っている。


 ……いや、立ったまま硬直している。


「ああ、はい……たしかにぼぉーっとされてますね……」


「……だろ?」


 俺が深く説明をするまでもなく、佇まいで自己紹介をしてくれる少女に乾いた笑いが漏れる。


 少女の傍らに立って、整った容貌をのぞき込む。

 視線はわずか上、空に広がる青に向けられているようで、実際には空すら見ていない。文字通り意識は上の空といった様子で、俺たちが側までやってきても気づく気配はない。


 ああ、こりゃあたしかに悩んでるな。わかりやすいほどに。


 少女の正面に回り込んだ晴礼が、一眼レフのレンズを向けてカシャリと一枚。おいこら。だがそれでも少女はまったく気づく様子はなく、瞬き一つしない。見ればじょうろの中の水は乾ききっている。一体いつからここに立っているのか。日差しもきついし、せっかくの白い肌が黒焦げになりそうな予感まである。カメラに反応しないのがつまらなかったからか、はたまた絵になる被写体に撮影魂が刺激されたからかはわからないが、晴礼は様々な角度から被写体にシャッターを切り始める。


 こらこら……コスプレイヤーさん相手じゃないんだから……。こいつもこいつで、だいぶなんかあれだ。知ってるけど。だけど、せっかくなので俺も一枚、スマホでパシャー。あとで大地に見せてあげよう。


 しばらくの勝手にカメラ撮影会ののち、被写体さんは大きく息を吐き出して俯いた。そして、歴戦のカメラマンのように目の前にしゃがみ込んでレンズを向けるその人物に、目を丸くする。


「きゃ、きゃああああ! だ、誰ですかっ!?」


 武器のつもりなのか、手にしたじょうろを突き出しながら飛び退く少女。


「よ、よぉ……」


 苦笑しながら声をかけると、怯え慌てふためく少女の視線がこちらを向く。


「あ、渉瑠君。お久しぶりです」


 長時間呆けていたとは思えないほどフラットに反応するので、こっちが対応に困ってしまう。


「久しぶり。なにやってるんだこんなところで」


 少女は首を傾げながらきょろきょろと当たりを見渡し、すっかり熱くなっていそうな腕時計に目を落とした。


「……あらら、またぼおーっとしちゃいましたね」


 恥ずかしそうに頬に手を当てて笑う少女に、俺と晴礼も苦笑いしかできなかった。


    Θ    Θ    Θ


「はじめまして。鈴鹿渚すずかなぎさです。よろしくお願いします」


 鈴鹿宅のリビングにて、大地の妹、渚は無邪気な笑顔を浮かべる。


「こちらこそ、はじめましてです。花守晴礼です。渉瑠センパイの彼女やらせてもらってます」


 なんだその自己紹介は。


 渚は目を潤ませて顔を伏せ、どこからともなく取り出したレースのハンカチを目元に当てる。


「う……うぅ……あの渉瑠君に彼女が……、もう、涙が……」


 お前ら兄妹、俺のことバカにしすぎじゃない? 俺が泣きたいよ。


 晴礼は一人、俺の隣で乾いた笑みを浮かべていた。


「お兄さんもいるから、渚ちゃんって呼んでもいいかな?」


「はい。では私も、晴礼ちゃんと呼ばせていただきますね」


 基本的に渚は誰に対して敬語で話す。人類皆平等に受け答えをしたいという変わった信念の元、全員敬語なら問題ないですという謎理論の結果らしい。


「渉瑠君は、いつも通りまた旅ですか?」


「ああ、今回はちょっとおまけがいるけど」


「もう、彼女さんをおまけ扱いはひどいですよ」


「そうなんだよ渚ちゃん! 言ってやって! もっともっと言ってやって!」


 なに? 俺にそんなに不満があるっていうの? ああ、そりゃあるか。


 一緒に二人っきりで旅をしている中で、晴礼の扱いが雑になっていることは自覚している。自分から申し出た彼氏彼女の交際関係。しかし、まさか了承されると思っていなかっただけに、俺も接し方や距離をいまいち測りかねるのだ。少しは大目に見てほしいものだ。口には出さないけど。


 しらんぷりを決め込んで、渚が出してくれた甘いミルクココアを一口飲む。


「そういや、大地が仕事終わったら肉買って帰るって」


 渚は少し困ったように頬に手を当てた。


「またお肉ですか……。ああ、いえ、焼き肉がダメというわけじゃないんですけど、お兄ちゃんほっとくとお肉しか食べないので……。買い出しにいかないといけないかもしれないですね」


「あいつ、滅茶苦茶偏食だもんな。あいつの飯を作る渚の苦労は察するよ」


「あはは、まあ二人分ですからそれほどではないですよ。一応、お兄ちゃんも作れば食べますからね」


 大地と渚はこの家に二人で住んでいる。。


 大地は朝から晩まで休みも少なく働いている。そのため、高校二年生でありながら、渚が家事全般一家のことを担っている。それほどではないと言うが、あんな兄を持つ妹の心労は計り知れない。少なくとも俺は想像もしたくない。


「だったら買い物行くか? 俺、車出すよ」


「本当ですか? 渉瑠君の車なら安心ですね。それでは、お願いします」


「ああ、それなら早速……」


「その前にちょっといい?」


 車の鍵を納めたキーケースを手に立ち上がろうとしたとき、話に入るように晴礼が手を上げた。


「あの、渚ちゃん、なにか悩んでることあるんじゃない?」


「「……」」


 俺と渚は同時に呆ける。


 ド直球。捻りも迷いも、考えさえ一切感じさせない投球に、相手バッターは目を丸くしている。


「ああ、渚、ちょっとごめん」


 晴礼の首根っこを掴み、猫のように持ち上げ、ちょっと退室。

 廊下に連れ出し、顔を寄せる。


「おいお前、話の流れを考えろ。これから俺が買い物に連れ出して、手を替え品を替えて会話の中で手がかりを探ろうとだな」


「えぇ……だ、だって、誰がどう見たって悩みを抱え込んでるじゃないです。だからもう、聞いた方が早いかなって」


「それにしても脈絡とか前振りとかきっかけとか、いろいろあるだろ」


 ノーモーションから明後日の方向にすっぽ抜けた剛速球は、バッターどころかキャッチャーと審判すら通り過ぎてフェンスにめり込んでいる。


 廊下でごそごそと話し合っていると、リビングから渚が顔をのぞかせた。


「あのー、もしかして、お兄ちゃんからなにか言われましたか?」


 俺と晴礼はうっと言葉を喉に詰まらせ、げんなりと肩を落としながらリビングに戻る。


「ま、まあ言われたは言われたんだけど、あんなに外でぬぼーとしてたら、誰がどう見てもなんか悩みがあるようにわかるぞ。大地から振られなくても聞いてたよ」


「あ、あはは、そんなにわかりやすかったですか」


 困ったように笑みをこぼし、自らも甘いミルクココアを飲んだ。渚は見かけによらず大の甘党で、普段から甘い物には目がない。

 しかし日常的に甘い物ばかり食べていると太ってしまうので、基本的にたくさんの糖分を取るときは、勉強をするときかもしくは考え事をするときと決めていると以前言っていた。俺たちに淹れた普通ではあるがおいしいココアよりも、渚のココアの方がずっと色が濃く、どろりとしている。


 渚はなにかを言いかけるように口を開くが、すぐに唇をかみ、視線がほのかに湯気に立ち上るココアに落とした。


 その珍しい光景に、俺はわずかに目を見張る。

 渚は、変わった生い立ちや境遇から同年代の高校生と比べてもずっと大人びており、要領もいい。たしか、通っている高校では一年生から生徒会に所属しており、他の生徒からも頼りにされていると大地から聞いたことがある。俺たちがまだ近所に住んでいた幼少時でさえ、多くのことを器用にこなす女の子だった。正直なんでもそつなくこなすことができる印象なのだ。

 そんな渚が、自身では解決できないほどの悩みを抱いていることに、純粋に驚きを覚えた。


 だからこそ同時に、おおよその見当もついた。


「……大地には言わなくていい話、なのか?」


 ぴくりと、渚の白い頬が引きうる。


「話さないと……いけない話です……」


 歯切れ悪く答えられた言葉に、大地には言いにくい話であることは容易に想像がついた。

 そして、ふと思い至る。


「ああ、もしかしてあれか、俺がいても話しにくいことか? だったらしばらく外をうろついてるから、晴礼にでも相談してくれ。相談結果については保証できないけど」


「わ、渉瑠センパイの変態! いきなり女の子になに言ってるんですか! あと私に失礼!」


 これまでの話の流れでなにをどう信用しろというのか。


「なんで変態呼ばわり……ん? そっちの心配? 俺が言ってるのは友人関係とか学校生活とかでって意味だったんだけど」


 口をぽかんと開けた晴礼が、みるみるうちに顔を赤くしていく。


「う、うわああああ渚ちゃん! 渉瑠センパイがいじめるよおおお!」


「ああ、よしよし」


 泣きついた晴礼をあやすように、そして慣れたようによいこよいこする渚。


 今相談しているのはこっちのはずなんですけどね……。

 しかし、いつもフラットで穏やかだが、ある意味少し取っつきにくいところがある渚にこうも早くなじむとは、さすがだ。相変わらずのコミュ力モンスター。


 晴礼をこちら側の席に引き釣り戻す。


「いやん、渉瑠センパイ大胆。渚ちゃんが見てますよ」


 無視して仕切り直す。


「まあ晴礼が相談相手に不満なのは、俺も同意するところだ」


 脇腹にがすっと拳が突き刺さる。


「い、いえ、晴礼ちゃんがどうとかっていうわけではなくてですね……あの……」


 考えを悟られたくないためか、視線をあちらこちらに泳がせながら、舌の上で言葉を転がす。いつも動じず物怖じせずの渚の姿からは、本当に想像しにくい姿だった。

 晴礼は両手を握ってやきもきした様子で待ち、俺はココアで口を潤わせながら待った。

あまりにも晴礼が、陸に揚げられた魚のようにばたばたしているので、ぽかりと頭を叩く。こういう場合、質問を重ねたり急かしたりしてはいけない。

 気持ちの整理がつくまで、言うか言わないのか考えが落ち着くまで、ただ待つ。


 やがて、渚はしゅんと肩を落として俯いた。


「……進路で、悩んでるんです」


 ぽつりと、そう呟いた。


「進路ってもしかして……」


 晴礼が首を傾げながら尋ねると、渚はぎこちなく頷く。


「来年は、もう私も高校三年生です。私の高校は進学校なんですけど、もう志望校を決めないといけない時期で」


 ああ、と俺と晴礼は頷く。


「そうだな。俺たちも来年は受験生か。進路とか考えないといけないよな」


「わ、私はその前に、学力どうにかしろって言われてますね……」


「え? お前、頭悪いの?」


 俺も晴礼を見習って真っ直ぐストレートを投げてみる。再び脇腹を殴られた。痛い。


「センパイだって成績悪いですよね? 旅ばっかりしているから、勉強してないですよね?」


「この間の期末考査は、学年四位だった」


 そんな馬鹿な、という不名誉きわまりない視線が向けられる。


 実際問題、俺は頭がいいわけではない。しかし、授業中や空き時間は必死に勉強している。学校の成績は、俺の旅に文句を言わせないためという死活問題でもあるからだ。俺にとっては重要で意味ある旅だが、理解が得られにくいことだとも自覚している。傍目から見れば、好き勝手に遊び回っているというレッテルを張られやすい状況だ。勉学をおろそかにしているという、わかりやすくとっちめやすい糾弾内容を教師陣に与えないためにテストの成績は無理矢理にでも上げている。


 しかしまあ、それはともかく。


「お前、高校の成績はいいんじゃなかったか? 全国模試で百位に入ったとかって、大地に自慢されたぞ?」


「……お兄ちゃんはまた勝手に……もう」


 額に手を当てながら、渚は疲れを帯びたため息を吐き出す。


「渚ちゃん、頭いいの? 私に勉強教えてくれる?」


「お前、ちょっと伊勢湾の向こうくらいまで行って黙ってくれる?」


 話をあっちこっちに持っていくんじゃない。


「えっとですね。成績で困っているわけでもなくて、かといって志望校で迷っているというわけでもなくてですね……」


 なにかを言おうとするが、それでもやっぱり言葉にならずに沈黙だけが流れていく。

 俺は少なくとも今はまだ、進路について考える余裕がない。そんなことを言っている場合かと、担任の赤磐先生からは再三言われてはいる。それでもまだ考えたくはないのだ。


 しかし、それは置いておくとしても……。

 渚から視線を外し、俺は横目で隣に座る晴礼を見やる。


 普段と変わらない様子で、それでもいつもよりちょっとばかり高くなっている声で、晴礼は再び口を開く。


「でもでも、そっかー。私たちも、もう進路を考えないといけない時期ですもんね」


「私も先生からずっと、進路を早く決めた方がいいって言われてるんですけど。なかなかはっきりとした答えが出せないでいて……」


「んん? 成績がいいなら選びたい放題じゃないの?」


「そ、そういう問題で困ってるんじゃなくてですね……」


「ああ、私もそんな台詞を行ってみたいよぉ」


 羨ましげにそう呟いた晴礼は、ふと隣に座る俺に目を向け、横目に見ていた俺と視線がぶつかった。


「センパイは、どんな進路にするかって、まだ考えてないんですか?」


「ああ、俺の場合はな……」


 小さく苦笑し、ココアを一口飲む。


「俺が留年することになったのは、二年前の年末あたりでな。二年生は二回目なわけだけど、その年に一回、志望校書いて出してるんだよ。だから、なんとなく同じ答えを書いて出しにくくてな」


「……だから?」


 言葉の端に疑問を持ったのか、晴礼が首を傾げる。


「渉瑠君……」


 渚が心配そうな目をこちらに向けていた。


「ああ、いや、そんな深い意味はないんだけどな。思うところは、ままあるんだよ」


 それほど、今の俺たちが大切な時期だということは、疑いようもない事実ではある。

 そんな大事なときにずっと旅をしている俺たちを、教師陣が快く思わないのも当たり前ではあるのだが。


 進路……進路か……。


「そうだな……うん……」


 腕を組みながら、体を後ろに傾ける。


 そして、口を開く。


「腹……減ったな……」


「「え?」」


 晴礼と渚がそろって素っ頓狂な声を上げる。


「いや、そういえば昼飯食べてないからさ、小腹が空いたなと」


 晴礼から、この人はなにを言っているんだろうという視線が向けられる。お前にだけはそんな目で見られるいわれはない。マジで。


 渚は先ほどまでの重々しい緊張を解き、クスリと笑った。


「あはは、渉瑠君は相変わらず不思議な人ですね。それなら、なにか作りましょうか?」


「いや、夜は焼き肉だし、三人で軽く食べにいこう。野菜の買い出しもいかないと、だろ?」


 言って、俺は今度こそキーケースを手に立ち上がった。

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