第14話 貌鳥(かおどり)
身体を押し拡げられた感触はなかった。しかし男のものはわたしの中で蠢いている。いや、下半身だけではない。腕や胸、肌がふれた場所から匂宮が浸透してくるのが分かった。
犯されているのではない。わたしは侵され、侵食されていた。
「いやーーーっ、気持ち悪いっ!!」
☆
「さあ姫、あれはどこにあるのだい?」
匂宮が動くたび、体中が内側から掻き回される。眩暈と吐き気で、わたしはものが考えられる状態ではなかった。
「何ですか、あれって」
くくっ、と匂宮は笑う。
「光源氏さまが消滅したときに、残っていただろう。金色に輝く玉が」
「え。金……玉。って、何を言わせるんですか、この変態」
だめだ、突っ込みにも力が入らない。
そういえば最後の瞬間、いくつかの光の塊が飛び去っていったのを思い出した。だが、後にそんなものが残っていただろうか。
「我らはいわば光源氏さまの分身。かの宝珠『
そのために、と匂宮はさらに奥深くまでわたしの中に侵入する。しかしそこで匂宮は眉をひそめた。
「むう、やはりそなたではなかったのか。これほどまでに痕跡がないとは。やはり他の女たちの所にあるようだな」
それって、源典侍さまとか若紫ちゃんのことだろうか。
ゆっくりと立上る匂宮。わたしは全身が痺れたように動けなかった。
「ではまず、あの色好みのところへ行ってみよう。おじゃまをしたな、姫よ。いい夢を見るがよいぞ」
「待って……源典侍さまに何をする気なの」
色好みというだけで、すぐにその人と分かるのもどうかとは思うけど。
「もちろん、そなたにしたのと同じことを、だよ。美しい人」
艶然と微笑んだ匂宮は、月明かりの中に姿を消した。
これはまずい。源典侍さまが危ない!
わたしは動かない身体を無理やりに動かした。でも必死で這いずって縁側まで出たところで、とうとう力尽きた。
ううー。……すまん、源典侍さま。わたしはそのまま、心地よい眠りにおちた。
☆
「やれやれ。最近の男は身の程をわきまえぬ奴が多くて困る」
翌朝、源典侍さまの局に駆け込んだわたしは、彼女の愚痴を聞かされる羽目になった。その手には木片のようなものが載っている。
「あの、源典侍さま。それは」
黙ってその手をこちらに差し伸べる。かすかに香りが立った。光源氏と同じ匂いがする。これは香木だ。
「昨夜そなたに、あんな事やこんな事をした匂宮の馴れの果てよ」
いや、そんな事まではされていませんけど。
本人曰く、源典侍さまはあの安倍晴明さま以上の能力を持つ陰陽師なのだそうだ。匂宮程度の妖力では太刀打ちできなかったらしい。
だとすると、気になる事がある。
「こうやって若く見えるのも、きっと何かの呪法なのかな」
「おい。心の声が出ておるぞ。本当に呪ってやろうか、小娘」
源典侍は香木を少し削り、香炉のなかに入れた。すぐに強い薫りと共に煙が立ち昇る。その青白い煙のなかに匂宮の姿が浮かび上がった。
おおう、こんな事ができるのか。
そして源典侍さまは匂宮の尋問を始める。
「さて匂宮とやら。訊かせてもらうぞ、貴様らは光源氏を復活させることで、何を企んでいるのじゃ」
すると匂宮は得意気に胸を張った。
「知れたこと。この世をば、我らが物とするために決まっておろう」
でも、ゆらゆらと揺れていて威厳はない。
「それはまた、ありきたりじゃな」
源典侍は急速に関心を失った様子で呟く。
そうだな、ここはもう一ひねりした答えを聞かせて欲しかった。まあ平安時代としては十分に画期的なのかもしれないが。わたしも、ちょっとがっかりした。
「それで貴様らは、世界を支配して何をしようというのだ」
ごろんと横になって、足の指でちょいちょいと指差しながら、源典侍さまは問いかける。まあ態度が悪いにも程があるとしか言いようがないが。
それでも、苦り切った表情で匂宮は答える。
「世界中のブ男を抹殺し、色男のみの世界を築くのだ」
匂宮の答えに源典侍さまは起き上がった。わたしと顔を見合わせる。
あれ。ちょっと何だか興味深い響きがあったような気がしたぞ。
「ほう……どれ、もう少し詳しくその話を聞いてみようかのう」
源典侍さまは身を乗り出した。もちろん、わたしもだけど。
くく、と匂宮は邪悪に笑う。
「いや。やっぱりだめですよ典侍さま」
わたしは正気を取り戻した。イケメンで溢れた世界は捨てきれないが、あの源氏一族の支配する世界なんて、ちょっと躊躇する。
「何を言う。こやつは
どうやら、源典侍さまの耳にはそう聞こえたらしい。
やはりこの人くらい自信たっぷりだと、普段から世界は自分中心に回っていると確信しているのだろう。ちょっと、わたしはついていけない。
「だって。きっと、わたしたちは性的な玩具にされるに決まってますよ!」
「はあ?」
まったく意味が分からない、という顔で源典侍さまは首を傾げた。
そうでした、この人は絶対にそんな事にはなりそうになかった。きっとすっごいイケメンを従えたハーレムを築きそうな気がする。
どうしよう。源典侍さま、このまま敵に回らなきゃいいんだけど。
☆
「あの。ところで『
なにやら将来を想像してにやけている典侍さまに訊いてみる。
「それは、お前。顔だけが取り得というのであろうから、普通にイケメンってことではないのかのう」
そうなのだろうか。いや、それよりイケメンって顔だけの男のことなのか。
「ほっほっほ。そんな世界が出来れば、晴明も用済みじゃ」
ちょっと聞き捨てならないが。あなた達は姉弟で何をしているの?
「難しい漢語の意味ならあやつに聞いてみればよいのではないか。光る君の物語とやらを書いている女房がおるではないか」
「ああ、紫式部さまですね」
たしかに若紫ちゃんなら知っているかもしれない。
わたしは飲みかけのお茶を香炉のなかに垂らして、くすぶる火を消す。
うぎゃー、と匂宮の小さな悲鳴が聞こえたが、気のせいだろうと無視する。
わたしの前には、もう何も映っていない濁った煙だけが立ち昇っていた。
「やはり光源氏の復活には、あの女が必要なのだろうな」
源典侍さまは頷いた。
ぺろり、と唇を舐める。
あー、これはまずいな。わたしは頭を抱えた。
紫式部さまに再び危機が迫っていた。
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