第7話 柏木は横恋慕に生きる
にゃーーうぅ。
低く、庭先で猫の鳴く声がした。なんだかメスを争う時の声みたいだ。
「やだな。発情期って今頃だったっけ」
いやいや。それってたしか春先のはずだから、今は全然そんな時期じゃない。
縁側に出たわたしは、ため息をついた。上質そうな狩衣を身につけた若い男がそこに立っていたのだが。
「うん。いい男なんだけど、ちょっと。まあ、あれだよな……」
自分で言うのもなんだが、どうしても歯切れが悪い表現になってしまう。
「この前の人じゃないですよね。霧で帰り道がどうとか、言っていた」
どこか雰囲気が似ているのだ。兄弟じゃなければ、親戚だろうか。
「いや、そんな事より。それは何のつもりですか」
その男、烏帽子のかわりに『猫耳』をつけているのだ。
やめてよ、もう。今度は化け猫って。本当にこの屋敷は妖怪ハウスじみてきた。
「あのー、家政婦だったら雇う余裕はないですよ」
「寝よう」
「はあ?」
いま何て言った。
「おっと、これは私としたことが。貴様のように、ブスなうえに早口でしゃべる女相手に、寝ようなどと。ほほほ、これは笑止」
態度は上品だが、今までで一番腹の立つやつだ。そいつは、わたしの顎に指をかけ、くいっと上を向かせる。おお、これが噂にきく、あごクイというやつか。
「それはともかく。いったい何のご用です」
まず、この手を離せ。
その男は、ふっと小さく息を吐いた。
「ひとことでよい。『あはれ』と言ってくれないか」
なぜ、わたしから目を逸らしたままなんだ。失礼にも程がある。
☆
『あはれ、
「そうだ、
その女三の宮という方は光源氏の奥さんなのだ。そして、中にいた彼女を見た衛門督、柏木さんは……。というのが源氏物語に書かれてある。
「一目ぼれだったのじゃ。夜昼となくあの優美な姿が目に浮かんでのう」
柏木はそっと涙を拭った。
「いま思えば、私はすでに夢うつつの境すら無くなっていたのだろう。激情に任せ、ついにあんなことをしてしまった」
ずるずるとその場にしゃがみ込み、柏木は慟哭する。
現世で、逆恨みした男に殺されたわたしとしては、まったく同情する気にはなれないが、恋に迷い、そういう行動に出てしまう気持ち自体は分からなくもない。
「いやがって鳴き叫ぶその者を強引に床に押し付け、身体を開かせたのじゃ。もちろんその隙に袴を脱ぐことも忘れてはいないぞ」
男のたしなみだからのう、とか言っているが。
「いえ、そんな実況解説を求めてはいませんけど」
いやだよー。やはり、わたしのまわりの男は変態ばかりだ。
「これがそのときに受けた傷じゃ」
腕に三本並んだ傷がついている。爪で引っ掻かれたようだ。
「しかし、それが飼い主の光源氏にばれてしまったのだ」
ふん、悪事は必ず露見するもの。でも。
「ちょっと! 飼い主、は失礼でしょ」
何て言い方だ。これじゃ、まるで平安時代の女性には人権が無いみたいじゃないか。
「ああ、そうか。家族の一員とか言うからな」
あまり納得した表情ではないが、柏木は頷いた。やはり全然わかっていないようだ。何だかとことん腹立たしい。
それで、光源氏にいびられてるわけだな。きっと猫耳もその一環なのだろう。
「あの妖怪め。ならばずっと一緒にいるがよい、と私をこんな姿に変えてしまったのだ。許すまじ、光源氏」
うわ。光源氏、結構な力を持っていたんだ。やはり平安朝のエロ大魔王だ。
「え、でも。ずっと一緒に?」
「ああ。このとおり」
柏木は、猫耳を両手で前に倒し、にゃんにゃんと鳴く。くるりと一回転すると、袴から、ぱたぱた動く尻尾が出ているし。しかもすべて本物っぽい。
「えーと。最初に確認しなかったわたしが悪かったんでしょうけど。……あなたが恋焦がれていたのは、ネコなの? 女三の宮さんじゃなく?」
「うん。だって私には妻がいるし」
意外とまじめだった。いや、ネコ相手に行為に及んでいる変態なのだが。
「朝廷のものから、この屋敷に住むブスが光源氏に影響力をもっていると聞いたので、こうしてわざわざ罷り越してやったのだ」
どこか恩着せがましい。
「さあ、早うこの身体を元に戻すのじゃ。礼はするぞ」
なんだか魅惑的な単語が最後に聞こえたが、もう迷わないぞわたしは。
「自業自得でしょ。それに、良かったじゃないですか。大好きなネコと一緒になれたんだから、あなたも本望でしょう」
「馬鹿をいえ、この体でどうやって愛する猫を愛でるのだ。傍から見たら自分を慰めているようにしか見えないであろう」
まあ、それはそうだ。想像すると、変態度は増すな。
「だけど光源氏はまた行方不明になってます。それにわたし、あなたを元に戻す方法なんて知りませんから!」
悄然と、柏木は屋敷を出て行った。
たしかにその後ろ姿は「
「え、でも。なんであの人は魔法が解けてないんだ?」
光源氏が消滅したのなら、もとの人間とネコに戻っていてもよさそうなのに。
「まだいるんだ、光源氏。この世界に……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます