第5話 光源氏の消失とセキュリティ問題

「この中におるのだな、光源氏は」

  典侍ないしのすけは塗籠の前に立った。軽く扉を揺すってみるが、やはり内側から固く閉ざされている。

 光源氏、意外と根性なしだな、わたしは呆れた。こんなおばさんひとりに逃げ隠れするなんて。

「はん? 何だと小娘」

 すぐに睨まれた。あれ、もしかして声に出てたか?


「さて。どうしたものか」

 源典侍は、うで組みをしてわたしを見た。

「おい、そこの天の鈿女うずめ。ちょっと来い」

 これは天の岩戸じゃないし。


「けっこうです。何をさせられるか想像がつい……あの、ちょっと、離して」

 逃げようとする首根っこを掴み、源典侍はわたしを引き寄せた。ぽんぽん、と服の上からわたしの胸のあたりを触っている。

「ふうーっ」

「なんですか、その哀れみを込めた溜息は」


「所詮、小娘か」

 悪かったな。どうせわたしが全部脱いだって、光源氏は出てこないさ。

 なんだか、ここ最近でいちばん傷ついたような気がする。



「そなた『叩けよ、さらば開かれん』という言葉を知っておるか」

 えーと確か、ひたすらに願えば必ず神は応えてくれる、みたいな意味だったと思う。キリスト教の聖書にある言葉だ。でも、なんで平安朝のひとが知ってるんだ?

「ならばそれで行くが、宜しいな?」

「は、はぁ」

 まあ祈るくらいなら、どうぞ。


 源典侍さんは足を肩幅にひらき、右足を少し引いた。呼吸を整え、右の拳を胸の横に構える。そしてその場で軽く二、三度跳躍したあと。

っ!!!」

 鋭い正拳突きが塗籠にむけ放たれた。


 音をたて、塗籠の戸が内側に吹き飛ぶ。

「ひいー!」

 中から光源氏の悲鳴があがった。


 あーあ……うちの家財道具が。悲鳴をあげたいのは、わたしだよ。

 でもキリスト教、まったく関係なかった。


 ☆


「ああっ、典侍どの。そこは、そこはダメでおじゃる!」

「何をいう光さまよ。おぬしのここを、ほれ、こうすると。くくっ、可愛いのう。どうじゃ、もういきそうなのか、ほれほれ」

「ああーっ♡」


 ふむー。わたしは壊れた扉の陰から中の様子を伺っていた。なかなかこういった情景を目の当たりにする機会はないからな。平安時代の人々の生態を学ぶことは、これからわたしが生きていくうえで、何にもまして重要な事だと思うのだ。

 そうだよ。わたしは別に興味本位で見ている訳ではないのだ。

 いや、それにしても……。

「よくあんな体勢で動けるものだな」


 すると、わたしは後ろから目隠しされた。晴明さまだった。

「お子様は、こんなもの見ちゃいけません」


 やはりR-18なのか。でもわたしはお子様ではないと思うんですけど。

「晴明さま、邪魔しないでください。いいところなんですからっ」

 抵抗むなしく、その姿勢のまま後ろに引きずられていく。


 いや本当に興味本位ではないのだ。何度も言うようだけど。


 ☆


「では、これにて失礼するぞ」

 空がうっすらと白み始める頃、源典侍は晴明さまを連れて帰っていった。後には破壊された塗籠と、真っ白に燃え尽きた光源氏が残された。

 おそるべし、源典侍さま。


「え? なんで光源氏を置いていったの?!」

 捕まえに来たんじゃなかったんですか。


 わたしはうつ伏せで倒れている光源氏を見下ろした。お尻がぴくぴく動いている。さすがに日頃、運動していないので筋肉質ではないが。

「ちょっと触るくらい、いいよね」


 奥の部屋で婆さんたちが起きる物音がし始めた。すっかり朝になってしまったようだ。名残惜しいが、わたしは光源氏のお尻から手を離した。


 開け放たれた雨戸の間から朝日が差し込んでくる。やがてその光が、わたしと光源氏を照らした。光源氏の臀部が白くまぶしい。


「あれ?」

 朝日を浴び、横たわる源氏の身体から、白くもやのようなものが立ち昇る。

 そして、源氏の体内からいくつもの輝く光のかたまりが抜け出し、天空に向かって飛び去っていった。


「何だったんだ……」

 間もなく光源氏は、朝日に溶けるように姿を消したのだった。

 

 ☆


「まったくお嬢さまは。塗籠を破壊するなど、どんな寝相なのですか」


 婆さんたちにこっぴどく怒られたわたしは、落ち込んだまま宮中に向かった。若紫ちゃんの顔を見て、やっとほっこりする。


「癒されるよー、若紫さまー」

「ちょっと。どうしたんですか」

 若紫ちゃんは抱きつくわたしの頭をなでてくれる。

 

「え、また光源氏が現れていたんですか」

 若紫ちゃんの顔色が変わった。暴走した光源氏の最大の被害者はこの若紫ちゃんだったから、トラウマになっていても不思議ではない。


「ああでも大丈夫。もう源典侍さまが片づけてしまったから」

「そ、そうでしたか」

 なぜだろう。若紫ちゃんの目が泳いでいる。


「まさか!」

 わたしはその視線をたどって、文机の下にある箱に気付いた。

「きゃー、それは駄目ですっ!!」

 わずかに早く、わたしはそれをあけた。中の原稿を手に取る。


 あ、……あう。それを読んだわたしは絶句した。

 やはり光源氏を主人公にした新作だった。しかも。

「え、えろい!」

 若紫ちゃんは、まったく懲りていないようだった。


 ☆


「そこの不細工な娘。ここは一体どこであろうかのう」


 光源氏が消失して、やっと平穏な日々が訪れると思ったわたしは、やはり甘かったようだ。陽が落ちると庭先にひとりの男が立っていた。牛車はもちろん、供さえ連れていない。


「だれ?」

 立ち姿がどこか光源氏に似ている気がするが。


「あまりに霧が深いので途を見失ってしまった。どうか中へ入れてもらえぬか」

 男は悲し気に言うけれども。

 皓々とした月光に照らされ、庭の雑草一本まではっきり見えるのは、わたしの気のせいか?


「ちょっと何いってるんですか。困るんですけど」

「大丈夫だ。中に入るだけで何もしないからな。わたしは女性のいやがることはせぬ男じゃ。安心するがよい」

 そういいながらずかずか上がってくるこの図々しさ。そしてこの覚えのある香り。


「こいつ、光源氏の眷属か?!」


「おお、夕霧でこんなに濡れてしまった」

 男はそういって袴を脱ぎはじめた。

「だから霧なんて出てないでしょ!」

「うむうむ。そなたも遠慮せず脱ぐがよいぞ。濡れておるのだろう?」


 ここまで話がかみ合わない男は初めてだ。これはちょっとまずい。

 でも、こんなとき避難できる塗籠は、とびらが壊れてるし。


 やはりセキュリティって大事なんだ。



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