第13話 平安朝シンギュラリティ
「じゃあ、わたしはもとの世界に帰れるんですか?」
わたしは思わず晴明さまに縋り付いていた。ぎゅっとその袖を握りしめる。
「……おそらくは」
だが晴明さまの表情はさえない。すっと、わたしの身体を押し戻した。
「ですが、その事はお諦めになった方がよろしいでしょう」
目を逸らしたまま、晴明さまは言った。
「どうしてですか。帰れるものなら帰りたいんです!」
おじいちゃん、おばあちゃんにもう一度会いたい。抑え込んでいたはずの想いがまた溢れだした。涙が滴り床を濡らす。
「なぜ。なぜ駄目なんですか、晴明さま」
「これは余計な事を言ってしまったようです。お許し下さい、姫よ」
「う、うう……」
突っ伏したわたしの背を、晴明さまが撫でてくれているのが分かった。
「あなたは既に亡くなられているのです。元の世界に戻った瞬間にどうなるか、私にも分かりません」
それは、そうだけど。
「あの事が起きるより、もっと前の時点に戻る事ができたら……」
安倍晴明は首を横に振った。
「その場合は、あなたが二人いる事になります。ちょうど今と同じように」
わたしが、二人?
☆
ごとりごとり、と牛車は進んでいく。
わたしは晴明さまに屋敷まで送ってもらうことにした。涙で、他人に見せられない顔になっているのは間違いない。
「げっ……」
牛飼いの少年が逃げ腰になったくらいだから、相当ひどいのだろう。
「この世界には、おおきな歪みが起きているのです」
横に座った晴明さまは、静かにわたしに語り掛ける。なんだろう、この声を聞いていると少しずつ心が落ち着いてくる。
「それって、わたしがブスだからですか」
ちょっとした軽口まで出てくるくらいだ。すると晴明さまは微かに笑った。
「それだけではありません」
そこは否定してよ。また泣きそうになったじゃないか。
「同じ時空間に、同一人の姫がふたり同時に存在するのが問題なのですよ。あなたはこの平安朝における
それによって光源氏が顕在化したり、六道珍皇寺の井戸と繋がっていたはずの地獄との通路が、うちの池につながったりしたのだという。
「え、でも源氏ってわたしがこの世界に来る前からいたんじゃないですか?」
現にうちの三婆たちも、光源氏についてよく知っていたけど。
「確かにみな、源氏の記憶はあります。ですが、あのものが活動していたという痕跡はそれまで、どこにも無いのです」
捏造された記憶、ということなのか。でも平安京の人がみんな同じように、後から造られた記憶を持つなんてことがあっていいのだろうか。
「それだけ、あなたの存在が大きいということです。
「お相撲さんのあれは、そういう意味だったんですか」
いや、待て。
「なんだか、さらっとわたしのことを貶しませんでしたか」
要するに、ブスが二人寄れば世界の歴史を変えるということのようだ。
「ではいったい誰なんです。もう一人のわたしって」
安倍晴明は少し戸惑った様子をみせた。教えていいものか迷っているようだ。だが、やがて意を決したようにわたしの顔を見る。
「その方は、あなたの近くにいらっしゃいます」
わたしは晴明さまの底知れぬ深い沼のような瞳に見入っていた。
そこには一人の女性が映っていた。
婆3号。
―――あれは、わたしだったのか。
☆
「なにを訳の分からないことをおっしゃるのですか、お嬢さまは」
婆3号を捕まえ、問い詰めようとしたら逆に怒られた。
「よくご自分の顔を見なされませ。わたしはお嬢さまほどの醜女ではございませんぞ。そんな失礼な事を申されるなら、コンクリ詰めにして御所の堀に沈めますぞ」
いや、あなたも相当失礼なことを言っていると思うんですけど。
「あの、晴明さま。これはどういう……」
振り返ると晴明さまの姿は無かった。
「逃げた。信じられん」
「おお。それよりお嬢さま。このような文が届いておりますぞ」
婆3号は一通の手紙を差し出した。目に鮮やかな青葉が添えられている。でもこの葉っぱ。
「かしわ餅の匂いがする」
☆
となると、これは薫くんの方だな。自分は女に興味がない、早く出家したい、というのが口癖みたいになっている男だ。
「でもなんだろう、この手紙」
おそるおそる開いてみる。
うちでは見た事のないくらい上品な紙に、美麗な文字が並んでいる。なるほど、大貴族ってやはりこうなんだな。
ひと目会ったその時から、君のことが忘れられない……とか書いてある。それはまあ、罠で捕獲され縛り上げられたんだから、忘れようはないと思うけれど。
「でも、これは問題だ」
今夜、忍んで行きたいと書いてある。これって、わたし宛てだよね。婆3号じゃなく。
いまから落とし穴を掘るのは間に合わないだろうか。
深夜、どこか覚えのある薫りが部屋中に満ちた。とうとう来てしまったか。
だがわたしは違和感を覚えた。
「これ、違う……」
この薫りは、あの柏餅の君ではない。もっと禍々しい、そう忘れもしない。
「光源氏?!」
衣擦れの音が近づいてくる。逃げなきゃ、と思うが身体が動かない。この感覚もかつて覚えがあった。
衣装に焚き込んだ痺れ薬だ。光源氏、またこんな犯罪的行為を!
「やあ。驚いたかい」
色白な顔がわたしを覗き込んだ。
「どうしたんだい、当てが外れたような顔をして。美しい君」
その男。匂宮だった。
「なぜ……あなたが……」
「薫くんの名前を出せば、君も油断するかなと思ってね」
くすくす笑いながら、匂宮はわたしの服を脱がしにかかる。わたしは呻いた。言われる通り、薫くんなら拒絶しやすいと思っていたのは確かだった。
自分の迂闊さを悔やんでも悔やみきれない。
最後の一枚も脱がされ、わたしはついに一糸まとわぬ格好で男の視線を浴びることになった。
「おや、このあたりは薫くんといい勝負かな」
そう言うと匂宮はわたしの胸の先端を指ではじいた。
おのれ、何を比べてくれてるの。っていうか、お前らやはりそういう関係だったのかっ。
だが怒ってる場合ではない。本当にまずいぞ。匂宮もいつのまにか全裸になっているし。ちょっと、こっち来るな。
匂宮はわたしの太ももに手をかけると、左右に大きく開いた。
「やめてよ……お願い」
「悪く思うなよ。これもみな光源氏さまを復活させるために必要なことなのだ」
は? 何それ。わたしって、生贄なの?
匂宮はわたしのうえに覆いかぶさってきた。
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