第2話 須磨から帰ってきた男
「源氏さま。あなた、あの
それは安倍晴明にもらった
その煙に巻かれた源氏と六条御息所の一党は、その屋敷共々、どこかへ消え去った筈だったのに。
「まあ、な。いろいろあったのだ、わたしにもな。しかしこの狩衣は……」
うちにあった古い衣装を身につけてもらった光源氏は、落ち着かない様子でその狩衣を見回している。仮にも常陸宮と呼ばれた方の衣装だ。そこまでみすぼらしくは無いと思う。ただ古いのでカビ臭い匂いがするのと、あちこち虫食い孔が開いているのはご愛敬だ。
ついでに、秘蔵の毛皮のパーカーみたいなのも着せてやろうか。ネズミ男姿の光源氏というのも一興だ。
だがそれを見た光源氏は明らかに逃げ腰になっていた。
「これは、そなたの言う強制羞恥プレイというやつか」
「気づいたら、わたしは見知らぬ世界におったのだ。もしやあれが、末摘花がいたという世界かもしれないな」
な、なんと。
「だが、
「なんの事ですか、それ」
「ああ。それはな」
この世界は、仏界、菩薩界、縁覚界、声聞界、天界、人間界に加え、修羅、畜生、餓鬼、地獄に別れているというのが仏教の考えだという。
光源氏は首をかしげた。いかに仏教に造詣が深い光源氏でも、さすがに芸能界までは知らないだろう。
「どうやら、修羅に近い所だと聞いたことはありますけどね」
「ほう、そうなのか」
まあ、わたしも本当のところは知らないが。
「最初は車輪のついた靴を履かされたが、あれは無理であったな。とても『遊びをせんとや生まれけむ……』などと詠う気分にはなれなんだ」
辟易した表情で、光源氏はひらひらと手を振る。それって何だろう、ローラースケートのことだろうか。
「ならば、と、次は須磨の者たちと一緒に歌舞音曲をすることになったのだが」
「須磨の者って? 兵庫県出身者ユニットってこと?」
はて、と光源氏は眉をひそめた。
そうか、知る訳はないか。
「須磨の、木村とか中居とか言うておった。あと
ああ。なんとなく想像がついてきた。
「花には、それぞれの美しさがあるという。うむ、あれはよい歌であったのう。だからお主も決して悲観するではないぞ。人生、嵐のときばかりではない」
想い出して感動しているのだろう、光源氏はそっと涙を拭っている。
「別にわたしは、世を
嵐もけっして嫌いじゃないし。でも、そんな事より。
「一体どうやって、ここに帰って来れたんですか」
それが分かれば、わたしも現代に帰れるのではないだろうか。
「おお。それなら」
光源氏は服のあちこちを探りはじめた。
「おや、おかしいな。確かここら辺に入れておいたのだが」
入っているはずがないだろ。それはうちの服だ。あなた、裸だったじゃないか。
「惜しい事をした。ここまでの地図を持っていたのだが」
地図って。そんなものを見て行き来できる場所だったのか。
うう、残念。
「まあよい。また新しい地図をもらってくればいいではないか」
須磨から新しい地図をか。いや、待て。
「もらって来れるくらいなら、こんなに苦労しないですよ!」
「おっと、雑談はここまでだ」
そういうと光源氏は立ち上がった。縁側に出るとそこには豪華な牛車が待っていた。その横には、まったく表情がうかがえない従者が控えている。
「い、いつの間に?」
「では行くぞ、
従者はしずかに頭を下げた。
「どこへ行くんですか、光源氏さま」
わたしは目を瞠った。光源氏の衣装も古ぼけた狩衣から、絢爛たるものに変わっていた。ふわり、とあの妖しい香りが邸内に立ち込める。
やっと、わたしは気付いた。光源氏が完全復活したのだ。
☆
宵闇の庭に妖しい霧がただよう。
「六条院へ」
牛車はしずしずと動き始めた。それに寄り添うように、霧がゆっくりと流れていく。霧は次第に凝集していき、ひとりの男の姿になった。どこか光源氏にも似たその若い男は、音もなく進む牛車の後に、ひっそりと従っていった。
呆然とそれを見送ったわたしは、塀のかげに牛車が見えなくなると、ぺたんと縁側に座り込んだ。
「わたし、とんでもない事をしてしまったんじゃないだろうか」
「
「はえ?」
いきなり声をかけられた。しばらく呆然としていたようだ。人が近づいたのも気付いていなかった。
でも、こんな呼び方をするのはただ一人しかいない。
そこには、淡い色合いの爽やかな衣裳を纏った男が立っていた。
「晴明さま」
やはり陰陽寮の頭、安倍晴明だった。
「遅かったようですね。天体の動きが大きく乱れていたので、理由を探っていたのですが、まさかまた、あなたが原因だったとは」
うむ、一言もない。だけどこれには、やんごとなき理由があるのだ。
「だってわたしは、お金持ちになりたかっただけなんです!」
かぐや姫への貢ぎ物に目が眩んだともいえるが。
晴明さまの細い目がさらに鋭くなる。屋敷内を見渡し、ため息をついた。
「事情は分かりました。……いっさい同情はしませんが」
「おそらくあの男は、
眷属って、何?
「自分に従う者たちのことです。仏教でいえば十二神将などがそれにあたります」
それは格好いいけれど、状況として、かなりまずいのではないだろうか。
「かつて光源氏は、周囲に女性を集めておりました」
たしかに。六条御息所に、夕顔さん。空蝉さんに、若紫ちゃん。若紫ちゃん以外は、まあ、人とは言い難かったけれど。
「天体の運行からすると、今度はどうやら男を集めているようです」
なんと、男?!
「光源氏さまが、そういう性癖に目覚めたという事でしょうか、晴明さま?」
勢い込むわたしを見て、晴明さまはあからさまに不審な顔をした。
おっと。あぶない、あぶない。わたしの秘めた趣味が晴明さまにばれるところだった。
「……決して光源氏が男色に走っている、という意味ではありません。それを餌として、女性を誘き寄せるためでしょう。狡猾なことを思いついたものです」
ほう、いわば男性アイドルみたいなものかな……。ん、それって?
「なにか」
「い、いえ。ぜ、ぜんぜん心当たりなんて無いですよ、晴明さま」
光源氏に男性アイドルグループの存在を教えたのは、わたしじゃないですから。
そうか。今回は格好いい男子がいっぱい、なのか……な?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます