最終話 夢の浮橋を超えて

 盛大に火がおこったところへ、婆3号は大きな鍋を持って来た。

  あぶりかと思ったら釜茹でにされるらしい。いやだな、わたしは冬生まれだから熱いのは苦手なんだけど。

 でも大鍋とはいえ、さすがにわたしがそのまま入るのは無理なようだが。


「何を言っているのです。これから晩ご飯の支度をするところです」

 婆1号と2号が、切った野菜を持って来る。

「せっかくの火ですから、使わないのはもったいない」

 ああ、そうなんだ。意外としっかりしているな、婆さんたち。


 ☆


「あの、晴明さま」

「なんでしょう」

 わたしが顔を覗き込んでも、そっぽを向いて目を合わせようとしない。

「ひとつ、訊いてもいいですか」

「どうぞ」

 なんだか急に距離ができたみたいで話しづらいのだが。


「今更なんですが、わたしが二人いるってどういう状況なんですか。例えば昨日に戻ればそこには昨日のわたしがいる、というのなら分かります」

 だがここは千年前だ。

「別にわたし、そんな前から生きてた訳じゃありませんし。なんで未来からきたわたしより、ここのわたしの方が年をとっているんでしょうか」


 晴明さまは、ちらりとわたしを見た。

「この世界はひとつの時の流れで成り立っているのではありません。いくつもの世界が並行して存在しているのです」

「並行宇宙、ですか?」

「末摘花さまと、あの浮舟さま。どちらも並行して流れる時間と空間を越え、偶然同じ時代に転生してしまったのです」

 はい、そろそろ分からなくなってきました。


「えーと。つまりわたしは、婆3号と決闘して倒せばいいんですね」

「そんな事は一言も言っていません」

 だったらわたしの理解力はここまでだ。


「物事には、早い者勝ちということがあります。つまりこの世界の占有権はあちらの浮舟さまにあると考えられます」

 そういうものか。いや、だからといって諦める訳にはいかないけど。

 その間にも、鍋からは野菜が煮えるいい匂いがしてきた。


「お嬢さまは味噌と塩味、どちらが好みです」

 婆1号が妙に優しい口調で訊く。

 おかしい。今までこんな事、きかれた事はなかったのに。


「まさか、わたしを!」

 この鍋の具材にするつもりなんだ。きっと次はお風呂に入って、全身に粉を付けろとか言われるに違いない。

 狼狽うろたえるわたしを見て、包丁を手にした婆2号がにやりと笑う。さりげなく、婆3号が退路を塞ぐようにわたしの後ろに移動した。


「いやーーーっ」

 わたしは婆3号の横をすり抜けて部屋の奥へ駆け込み、壊れたままの塗籠に立てこもった。これは以前、源典侍さまに破壊されて完全には閉まらないが、気休めにはなるだろう。



「どうしたのであろう、おかしなお嬢さまじゃ」

「いやいや、お嬢さまは以前から変な方ではあったぞ」

「なに。塗籠に火をかければ出て来るのではないかのう」

 おうそれは良い考えじゃ、くわっくわっ、と三人で笑っている。


 まずい。落ちぶれた貴族の屋敷かと思っていたら、本当に山姥やまんばの住処だったらしい。このままじゃ絶対に食われる。



 塗籠の中まで、いい匂いがしてきた。

「ああ、これは美味しいですね」

 晴明さまの声がする。いや、騙されるな。あれはきっと三婆の誰かが声色を真似ているんだ。これは罠に違いない。

 でも、そっと塗籠の扉をあける。まあ、もとから鍵は壊れているのだが。


「よし開いたぞ!」

「ええっ?!」

 使用人総がかりで扉を開けられてしまった。そのまま庭へ引きずり出される。


「お嬢さま」

 皺だらけの顔に笑みを貼りつけ、婆1号が歩み寄ってくる。

「た、食べないで下さいっ!」

「もちろんですとも。お嬢さまの分はしっかり残してあります。ですが早く召し上がらないと冷めてしまいますぞ」

「はい?」


 どうやら全くの勘違いだったらしい。


「くわっ、くわっ。お嬢さまを食するなど」

「食あたりしそうじゃわい」

「その痩せ方では、ろくなスープも取れそうにないぞ」


 うーむ。普段から粗食しか与えてもらってないからな。でもこれで急に食事が豪勢になったら、その時こそ気をつけよう。


 ☆


「では今度こそ、真面目なお話です」

 汁を飲み終わった安倍晴明は、わたしの両肩に手を置いた。だんだん顔が近づいてくる。

「お、お。あの……」

 晴明さまの冷徹な瞳を前にすると、それだけで緊張する。なんだろうこのシチュエーションは。これ、もしかして目を閉じなきゃいけない場面なのか?


「末摘花さま」

「は、はいっ」

 ごくっ、と喉が鳴る。


「どうか、わたしのものになって下さい」

 えーと。わたしは首を右に傾け、そして左に傾けた。ついには天を仰ぐ。あー、だめだ。

「すみません、おっしゃっている意味がわからないんですけど」


「わたしのものになれ、と言ったのです」

 はは、晴明さま。顔が赤いや。なにそれ、わたしのものになれって。それじゃ、まるで……まるで。


「はあっ、プロポーズ? わたしに?!」


 …………。

 ああ、危ない。もう少しで失神するところだった。

「なんですか晴明さま。ぬか喜びさせて、わたしをからかうつもりなんですね」

 だが晴明さまは真剣な表情だ。


「いえ冗談ではありません。わたしのもの、つまりわたしののです」

 ……すみません、今度こそ本当に意味がわかりませんが。


 ☆


「この世におなじ人間が二人いるという事は許されません。ですので、あなたを式神にすることで、この世のことわりから離れた場所に置くのです」

 人ではない、式神に。


「あの、晴明さま。式神になるということは、あれですよね」

 普段は赤と白のボールに閉じ込められていて、用事があるときはそこから呼び出され、他の式神と戦う事になるのだろう。

「わたし、戦闘力はほぼゼロですけど。いいんですか」


「何かを勘違いしておられるようだ。わたしは、あなたにそんな電気ネズミの仲間たち、みたいな活躍を期待してはおりません」


「では、おらおらおらおらぁ、とか」

「何ですか、末摘花さま。いきなり」

 これも違うのか。ではいったい式神って何をすればいいんだろう。


「そうか、きっと晴明さまの命令は何でも聞かなきゃならないんですね!」

 なるほど、それは考えられる。晴明さまも見た限りでは若い男性だから、あんなことやこんな事を要求してくるに違いない。むふ、これは困った。


「まさか。そんな強制力はありませんよ。今までと何ら変わりなく、ただ式神になったというだけで、普通に暮らしていただけます」

「はあ、そうなんですか」

 ちょっと残念。



「では、そろそろまいりましょう」

 晴明さまはわたしの身体を抱き寄せた。

「え、あの、ちょっと。まだ心の準備が!」


 晴明さまの唇が近づき、わたしの唇と触れ合った。

「ほわう」

 ああ、何かがわたしの中から流れ出していく。婆さんたちの歓声があがったような気がしたが、すぐに聞こえなくなった。


「はっ!」

 意識を失って倒れたわたしは、安倍晴明さまの腕のなかで目を覚ました。晴明さまの他に、三婆がわたしの顔を覗き込んでいる。

「もしかして、もう式神になったんですか、わたし」

「ええ」

 手や足は元通りのようだが。どこか変わったのだろうか。


「大丈夫ですよ、お嬢さま」

「何も変わっておりません」

「いつも通りのブスでございます」

 ならよかった。いや、決して良くはないけど。


 こうしてわたしの、式神としての新たな生活が始まったのだ。


 ☆


 でも。


「お嬢さま、部屋の隅に埃がたまっておりますぞ」


「おねえちゃんが書いた変な小説を読んで、若紫のお姉ちゃんがかんかんに怒っていたわんよ」


「やれやれ、あの三人を混ぜ合わせても光源氏にはならなかった。理想の男というものは、なかなかこの世にはおらぬものだな」


 といった感じで、別に何一つ変わりはしなかった。


 物語の浮舟は、男たちの求愛を断ち切る事で心のやすらぎを得たようだ。

 このわたしも、式神になることで平穏な生活を手にすることができるかと思ったのだけれど。


「末摘花さま、また内裏にぬえが出たようです。調査に付き合ってくださいませんか」

「はいはい。ご命令のままに、♡」

「何だかその言い方、気になりますが」

 へへへ。


 まあ、ほんの少し変わったといえば、いつもこうやって晴明さまが調査に誘ってくれるようになった事かもしれない。


 わたしはまだまだ、心落ち着かない日々が続きそうだ。




おわり


 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

末摘花は宇治十帖に恋をする 杉浦ヒナタ @gallia-3

現在ギフトを贈ることはできません

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ