末摘花は宇治十帖に恋をする

杉浦ヒナタ

第1話 末摘花の憂鬱は終わらない

 わたしの住んでいるのは、ところどころ屋根が落ちた古ぼけた屋敷だ。

 でもこう見えて、じつは天皇家とも繋がりがあるという常陸宮ひたちのみやの邸宅なのだ。わたしは縁側に出てぼんやりと庭を眺めていた。

「なんだか、ひどいことになったな」


 見渡すかぎり雑草が生い茂っている。貧乏貴族のこの屋敷には、ろくに使用人もいないので、今ではこんな風に荒れ放題だ。


 この前、ここでうたた寝をしていたら、勝手に入ってきた牛に顔を舐められた。牛飼いの少年は、わたしをみて「うわ、化け物!」とか叫んで逃げて行くし。

 まったく。こんなところで放牧するな、色々と失礼なガキだ。


「光源氏が通って来ていた頃は、もう少し小綺麗になっていたのにな」

 そこまで考えて、わたしはその思いを振り払う。

 もう、あの男はいないのだ。


 ☆


 わたしは、この世界では末摘花すえつむはなと呼ばれている。

 元々わたしは普通の女子学生だったけれど、アルバイト先の会社でストーカー男に襲われ、窓から転落したら、平安時代と源氏物語が混在したこの世界に転生していたのだ。


「いつも暇そうですね、お嬢さま」

 いかにも性悪そうな、3人のお婆さんがやってきた。この家の女房なのだが、いまだに名前が分からないので、婆1号、婆2号、婆3号と呼んでいる。

 

「では草刈りでもしてはいかがですか」

 婆1号が作務衣と草刈り鎌を差し出す。

「確か、痩せたいとおっしゃっておりましたよなぁ」

「ここでは、ブスと働かざる者は、食うべからずでございますよ」

 三人から口々に責められた。相変わらずお嬢さま扱いはしてもらえないようだ。


 誤解の無いように言っておくと、現代の基準ではわたしは決してブスではないと思う。額がすこし広めで鼻はすらりと高く、時々ハーフに間違われるくらいだ。

 ただ、しもぶくれで平らな顔が美人の条件というこの世界では、わたしみたいな顔は結構なブスに見えるらしい。おまけに和歌なんて詠んだこともないし、平安貴族の男たちをあしらう術も知らないからな……。


 ということで、ブスで無職のわたしとしては、がんばって働かざるをえない。 


 さっそく着替えて草刈りを始める。

「ふむ、慣れてくると面白いな、これ」

 気持ちよく、サクサク切り進んでいく。


 手元ばかり見ていたせいだろう、鎌の刃先が固いものに当たって止まった。

「あれ。……うおう!」

 顔をあげたわたしは思わず変な声を出していた。

 青々とした竹が一面に生えている。


 裏庭の一角が、いつの間にか竹やぶになっていた。


「やった、タケノコがある」

 おばあちゃん子だったわたしは、タケノコの煮物が大好きなのだ。よし、いっぱい収穫して煮てもらおう。

 その中でひときわ立派なものに目が止まった。


「うん? 何だか……光ってないか?」

 タケノコの中ほどが、ぼんやりと光を放っている。食べられるのか、これ。

「いやいや。これって、もしかして」

 中から女の子が出て来るという、あれではないだろうか。


 たしか物語の結末は、彼女目当ての貴族が貢物を持って来て、お祖父さんとお婆さんはお金持ちになったような気がする。

「ふっふっふ」

 わたしは悪い顔で笑った。



「また、お嬢さまは。何でも見境なく持って帰って、……こんな筍は固くて食べられませんぞ」

「あ、そうなんですか」

 婆1号に怒られた。いや、別に食べるつもりではなかったのだが。


「違います。見て下さい。このタケノコ、光ってます!」

 わたしはその部分を指差した。


「おおっ、本当じゃ」

「なんとこれは不思議じゃのう」

「これはLEDが入っておるのではないか」

 婆3号、……まあ、今はそれどころではない。


 細心の注意で竹を割った途端、部屋中が光につつまれた。

「わ、眩しい」

 わたしたちは目を細め、竹の中を覗き込んだ。

 

「やっぱり、赤ちゃんだ」

 思った通りだった。それにすごく可愛い。身体を丸め、すやすやと眠っている。

「きっとかぐや姫ですよ」

 得意顔で、わたしは赤ちゃんを抱き上げた。


 これで貧乏生活ともおさらばだ。だが、婆たちの反応は意外にうすい。

「え、何で?」


「お嬢さま、よくご覧ください。その赤子は、にございます」

 う、うう。わたしは呻いた。

 だからさっきから、見ないようにしていたのに。


 その子は、赤ちゃんにしては立派すぎるモノを持っていた。


「おや。でもこれは」

 わたしは気付いた。この子のモノの先端に、なにか噛み痕があるような。

 誓ってもいい。本当に、まったく、イヤらしい気持ちなど、微塵も無かったのだ。わたしはそのモノを指で突っついた。

 それはピクリと跳ねた。


「おおう。大きくなった!」

 いや。モノが、ではない。赤ちゃんが急速に成長をはじめたのだ。

 わたしは慌ててその赤ちゃんを床に置いた。


 ☆


 ほどなく、赤ちゃんは完全に成人男性の姿になった。片膝をつき、蹲っている。

「だ、誰?」

 その男は、ゆっくりとわたしを振り向いて、爽やかに笑った。やはり忘れもしない、この男。


「そのブサイクな顔は末摘花か。久しぶりだね」

 やはり光源氏だった。

 でも、すっ裸でうずくまるその姿は、まさか。

「わたしを暗殺するために、人型ロボットになって戻ってきたのっ?」


 かつて、わたしは藤原道長、安倍晴明さま、小野篁さまと協力して光源氏をこの世界から追放したのだった。モノの先端にある傷は、若紫ちゃんこと紫式部に噛まれた時のものだろう。

 光源氏がわたし達に恨みを持っていても不思議じゃない。


「いや。勘違いするな末摘花。別にお前たちに含むところはない。あんな事は日常茶飯事だからな」

 光源氏はわたしの前に立ちはだかった。腰に手をあてて高らかに笑う。

「さすが大貴族、といいたいんですけど。あの……、それ」

「何かね、末摘花?」

 光源氏が笑うたびにわたしの顔の前で揺れるものが、気になってしょうがない。


「何でもいいから、服を着ろっ!」

 まったくもう、この男は。もしかして、わざと見せびらかしているのか。

 婆さんたちも、まじまじと見てるんじゃないからっ。


「ほほ。これは、われらとしたことが」

「じゃが、目の保養でございますなぁ」

「等身大の抱き枕が欲しいものじゃのう」

 婆さんたちは、名残惜し気に衣裳をとりに屋敷の奥に消えた。


「では、またよろしく頼むぞ。末摘花よ」

 紅い唇の端から長い犬歯を覗かせ、光源氏は妖艶に笑った。

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