第16話 末摘花、護摩壇の灰となる

 わたしか婆3号のどちらかが、この世界から消滅すること。それが世界の安定のために必要なのだ。

  典侍ないしのすけさまはそう言った。


 わたしの屋敷にはその源典侍さま、安倍晴明さま、それに横川の恵心僧都さまが集まっていた。


「やれやれ。こんなあばら家に連れ込まれて、一体どんな目に遭わされるのかと思ったが。まさか人が住んでおったとはな」

 かっかっ、と笑う恵心僧都。


「おや。この屋敷はよくご存じのはずでは?」

 わたしの横にちょこんと座る婆3号が嫌味たっぷりに言う。

「かつてわたし目当てに、しょっちゅうおいでになっていたではありませんか」

 視線が恵心僧都に集中する。

「お、いや。そうだったかの」

 わざとらしく咳払いしている。本当なら、失礼な上にとんでもない破戒坊主だ。


「で、どうするのだ晴明。説明しろ」

 源典侍さまは安倍晴明さまに向けて顎をしゃくる。

「どうやって、こいつらを消すつもりだ」


 消すって、源典侍さま視線が剣呑すぎます。あ、だけど、これは訊いておかねば。

「わたしたち二人ともが、消える必要はないんですよね」


「はい。どちらかお一人で結構です。まずは、どちらが消えるかをお二方で……どちらもご自身ですが、決めて下さいますか」

 わたしはまじまじと婆3号を見詰めた。


 私自身だといわれれば、確かにそうかもしれない。どこか元の世界のお婆ちゃんに似ている気もするし。

 こんなにじっくりと見たことが無かったから、今まで気付かなかったのか。


「だけど、そんなこと決められませんよ」

 わたしは思わず声をあげた。それは、年齢の順でいけば婆3号に消えてもらうべきだとは思うけれど。


 婆3号はわたしの方を振り向いた。皺だらけの顔からは感情は伺えない。静かに口を開いた。

「そういう事であれば、わたしが消えるとしましょう」

「えっ」


 優しく、婆3号は微笑んだ。

「みさきさん、あなたは強くお生きなさい。おばあちゃんはいつでも、遠くから見守っていますから」


 わたしは混乱した。その口調はおばあちゃんそのままだったからだ。それなのにわたしは、先に消えろとか思ってしまった。なんて恥ずかしい。わたしのバカ。


「では、こっちの婆で決まりだな」

 源典侍さまが立ち上がる。


「だ、駄目ですっ!」

 わたしは叫んでいた。

「消すなら……消すなら、わたしを消して下さい!」


「ではどう致しますか」

 晴明さまがため息混じりに言った。


 ふむ、と婆3号は顔をあげた。

「仕方ありません。そこまで仰るなら、お嬢さまにお譲りしましょう」


「はい?」

 どうやら、婆3号に嵌められたらしい。


 ☆


「くっそー、年の功には勝てないのか」

 わたしは太い縄でぐるぐる巻きにされていた。ところどころ白い紙が下がっているのを見ると、これはしめ縄のようだ。


「お嬢さま、言葉使いが汚いですぞ。わたしはまだ屋敷の仕事がありますから、これで失礼しますぞ」

 そう言うと部屋を出て行ってしまった。だけど、この家の主人はわたしのはずなのに。

 それに、あれがわたしの将来の姿だとすると、もっと腹立たしい。


「さすがに建物の中では危険だからな」

 恵心僧都は庭に祭壇を造り、火を燃やし始めた。護摩壇というやつだろうか。

「おぬしはそこに座るがいい」

 縛られたままのわたしは、祭壇よこの敷物のうえに座らされた。


「では法力をもって、そなたを消して進ぜよう。忿怒、悪霊退散!」

「あの、わたし別に悪霊じゃないと思うんですけど」

 恵心僧都はまったく聞く耳を持たず、一心に読経を続けている。時折なにかを火の中に放り込んでいる。そのたびに独特の匂いがする白煙があがった。


「け、煙いです。匂いが染みつきます!」

 風向きがこっちに変わって、わたしはむせた。止めてくれ、この着物は一張羅なんだから。髪の毛に付いた匂いも簡単には落ちないんだぞ。


「おお、これは。恵心どのの読経によって悪霊が苦しんでおるのだな、さすが恵心どのだのう」

 いやよく見ろ源典侍さま。苦しんでいるのはわたし自身だから。……いや、あの顔は全部わかって言っているに違いない。そういう人だった、源典侍さまって。



「あははは、これは見事なブスの燻製ができあがったな」

 小一時間に亘って燻されたわたしを見て、源典侍さまは愉し気に笑った。やはり最初からこうなる事は分かっていたらしい。


「そうか。やはりこれは仏の守備範囲ではなかったか。残念じゃ」

 ひとつも残念そうな顔を見せず、恵心僧都は帰って行く。

「恵心どの、忘れ物だぞ」

 源典侍さまはわたしの後ろに置いた箱の中から、それを取り出した。恵心僧都は揉み手をしながら戻って来た。


「おう、そうそう。酒の肴にはこれがぴったりなのだ。うん、ちょうどいい加減にいぶされておるではないか」

 確かに、いい色になった魚の切り身が皿に載っていたけれど。

「本当に燻製を作ってたのかっ」


「この燻し加減が難しくてのう。今日は上出来だぞ、源典侍どのよ」

「では恵心どの。後で酒を持って伺うぞ」

 こいつら、最初からこっちが目的だったんじゃないかという気がしてきた。まさに文字通りの生臭坊主だ。


 ☆


「実は、あのような祈祷で姫を消滅させることは、到底不可能だと思っておりました」

 恵心僧都が帰ったあと、冷静な顔で晴明さまは言った。

「だったらすぐに止めて下さい」

 燻製にされ損ではないか。


「ですが、私としてもだけは行いたくなかったのです」

 晴明さまは呟くように言うと、唇をかんだ。その白皙にほんのり血の色が浮かんで、凄艶な雰囲気をまとっている。

「な、なんですか、その方法って」


「ついに実力行使だな、晴明」

 愉し気な表情を変えず、源典侍さまが言う。何だ、実力行使って。

 わたしはやっと気付いた。そうか、それで護摩壇には火が燃え盛っているのだ。


「魔女として私を焚殺するつもりなんですね!」

 やめて。火焙りなんて、絶対受けたくない処刑方法じゃないか。


「すまない。姫よ」

 安倍晴明は一歩足を踏み出した。そっとわたしの肩に手をかける。

「やめてくださいーっ!」



「待てっ、そんな事はさせないぞ!」

「そのひとから手を離せ!」

 庭の向こうから格好いい声がした。おや、これって懐かしの特撮ヒーローが登場するときの台詞みたいだけど。誰がわたしを救いに来てくれたんだ?


「待たせたね、わたしの姫よ」

「え"」

 それは匂宮、薫、夕霧たち源氏の分身どもだった。

 なんでこいつらが。


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