第15話 宿木(やどりぎ)
源典侍さまは犬君ちゃんを後ろから羽交い絞めにし、ふわふわの耳に頬ずりしている。
「おお、この感触がたまらん」
「きゃ、きゃうーん。やめろ、手を離すんだわん」
「むふふふ」
妖艶な含み笑いを浮かべ、犬君ちゃんのほっぺを掴み、にーっと伸ばしている。どうやら源典侍さまは犬好きだったらしい。
「どうじゃ、犬娘。今宵から
「おばちゃんと寝るのはいやだわん」
犬君ちゃん、恐れをしらないな。到底わたしには言えないぞ。
「なんだとぉ。うーん、でもそこがまた可愛いのう」
源典侍さまもメロメロになってるし。
「あの、ところで何のご用なんでしょうか」
見てはいけないものを目にした表情で、若紫ちゃんはおそるおそる問いかけた。
ちらりとそっちを見た源典侍さまは、また犬君ちゃんを撫で回している。
「ああ。それはもう、どうでもよい」
「良くはありませんよ。源典侍さま!」
光源氏復活を目論んでいる連中を阻止するんじゃなかったのか。
「末摘花よ、おぬし存外に真面目じゃな。よいではないか、この世界には
「と、言いますと」
それはもしかして、時空の安定とかに影響してくるような壮大な事情が絡んでいるのだろうか。安倍晴明さま以上の陰陽師だという源典侍さまだ。きっとわたしの知らない事情にも通じているに違いない。
源典侍さまはわたしの目を見据えた。めったに見ない真剣な表情だ。
「……よいか。想像してみるのだ、末摘花」
「はい」
「光源氏とこの犬娘を左右に侍らせ、一夜の恋を語り合う至福の時を!」
ぐふふ、とよだれを拭いている。
全部、源典侍さまの都合だった。
「だから光源氏は復活させねばならんのだっ!」
「だからじゃありません。駄目ですってば」
☆
こそこそと若紫ちゃんが局を抜け出そうとしている。
「おい、どこへ行く。紫式部」
源典侍さまに呼び止められ、若紫ちゃんはびくっと身体を震わせた。
「な、な、何でしょうか。わたし、ちょっと用を足しに行こうかと」
「ふむ。そなた」
若紫ちゃんの頭から足先まで、舐めるように観察する。すると若紫ちゃんは落ち着かない様子になって、目が泳ぎ始めた。
「わ、わたしは何も預かってなんかいませんから。本当なんですから」
まだ何も訊かれてないけれど。物語作家とは思えない分かりやすさだな、若紫ちゃん。
「そやつのふところを探ってみるがいい、末摘花」
そうですか。じゃあ、ちょっと。そういう命令なので。
「失礼しまーす」
「やめてー」
わたしは若紫ちゃんを押さえつけ、着物の胸元から手を差し入れる。
「こ、これは?」
「そこは違いますからっ!」
「ひどいですよぉー、若紫さま」
わたしは頬を押え文句をいう。若紫ちゃんに思い切り殴られた。
「それはこっちの言う事ですっ! もう、もう信じられません」
真っ赤な顔で襟元をなおす若紫ちゃん。すると着物の合わせ目から、何かがポロリと床に落ちた。
「わん」
反射的に犬君ちゃんが駆け寄り、それを拾い上げる。長さが5センチくらいで、緑色の細長いもの。
それは植物の枝だった。小さく細い緑色の葉と、白く丸い実がついている。
「ああっ、それは」
若紫ちゃんが手を伸ばすより先に、源典侍さまがそれを取り上げる。
「これが貌鳥だな、紫式部」
「……はい」
近くでよく見ると、本物の植物ではないのが分かった。艶やかで半透明な硬玉で造られたように見える。しかも、ぼんやりと光を放っている。
ちょっと分からないのは、なんでこれが貌鳥と呼ばれているかだが。
「とても鳥には見えないんですけど」
源典侍さまは頷き、若紫ちゃんに目をやった。
「説明してやれ、紫式部」
「貌鳥とは、これの別名です。そしてこれはヤドリギを模したものなのです」
ヤドリギ?
「この世界に寄生して、何度でも蘇り増殖する。光源氏にはぴったりの
匂宮、薫、夕霧といった、光源氏から分裂した男たちが探しているのはこれだったのか。
「だがやつら。どうも本来の目的を忘れ、女漁りに興じておるようだがな」
そこは、元が光源氏だからかもしれない。
☆
「でも、これどうやって手に入れたんですか」
光源氏はこの源典侍さまに文字通り吸い尽されて消滅したのだから、源典侍さまが持っていないのなら……。
「あるとすれば、うちの屋敷の中ですよね」
「あれを屋敷と呼ぶのは憚られるが。どうじゃ紫式部、そなた口走っておったな。これは誰から預かったものだ?」
もう観念したようだ。若紫ちゃんは素直に口を割った。
「みさきさまのお屋敷の女房で、浮舟と名乗る方からです。これは、わたしが最も欲しているものだろうから、と」
なんと、やはり婆3号だったのか。
「だが、なぜその女房は光源氏とそなたの繋がりを知っていたのだ」
源典侍さまは首を傾げた。
あ、そういえば。
「晴明さまは、婆3号はもうひとりのわたしだと仰ってました」
源典侍さまは大きく息をついた。
「なるほど。この最近、天体の運行が大きく乱れているのはそれが原因か。で、晴明は当然、その解決策もそなたに伝えたのであろうな」
「え、別にそんなことは……」
「ちっ、あの愚弟め」
安倍晴明さま、まさかの愚弟扱いだ。
「よいか」
源典侍さまはわたしの前に座りなおした。
「この問題を解決する方法はただひとつ。そなたか、浮舟という女房のどちらかが、この世から消えることだ」
源典侍さまの目が妖しい光を帯びた。
※源氏物語の第49帖「宿木」の別名が「貌鳥」というらしいです。植物のヤドリギと貌鳥(ホトトギス、あるいはカッコウ?)は直接の関係はありません。
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