第4話 平安朝にも美魔女はいるらしい

「お待ちください、死人の姫」

 宮中を出ようとしたわたしは、後ろから呼び止められた。うー、本当にその呼び方は止めて欲しいのだが。

「何ですか晴明さま」


 安倍晴明は相変わらず、優雅な佇まいのなかに冷たい表情を貼り付けている。

「もう一度、姫の周りに式神を放ちたいと思いますが、よろしいですね」

 そうか。また光源氏がわたしの所に現れた時には、それを晴明さまに知らせる式神が必要だ。さすが晴明さま、よく気が付く。

 でも、式神ってどんなのだろう。


「これです」

 そういって晴明さまは右手を差し出す。てのひらの上に、それは乗っていた。

「か、かわいい!」


 それは稚児装束のちいさな男の子だった。

「この大きさですから、小君こぎみと呼んでやってください」

 小君くん、か。

「よろしくね、小君くん」

 その子は顔をあげ、「にーっ」と笑った。本当にかわいいや。


「ちゃんと座っててね、落ちないように」

 肩にのせて、うちまで帰ることにした。

 その途中、何度か話しかけても返事はない。やはり式神だから無口なのだろう。


「ただいま帰りました」

 迎えに出て来た婆たちは、わたしを見て怪訝そうな顔をした。


「おや。お嬢さま、それは」

「その手のものはお嫌いだと思っておりましたが」

「変わった趣味でございますな」


「え、かわいいでしょ?」

 婆ぁたちは顔を突き合わせ何か話し込んでいたが、どうやら好きにさせることにしたらしい。この婆さんたち、わたしに関しては諦めが早い。先に屋敷の奥に入っていく。


「じーじ、じーじ」

 小君くんが指さしている。

「違うよ、小君くん。あれは、ばばぁだから」


「何でございますか、お嬢さま」

 三婆が一斉に振り向いた。

「いえ、何でもありません」

 あのお婆さんたち、意外と耳がいい。


 ☆


 自室に戻ったわたしは、部屋の隅に積んであった絵本を持ち出した。絵本というか、この時代だったら絵草紙というのだろうか。これが最近、唯一の楽しみなのだ。

「どう、小君くん。一緒に見る?」


「みーん」

 小君くんはそう言いながらも、肩から降りる様子はない。どうやらこの場所が気に入ったみたいだ。

「あっそ。じゃあ仕方ないかな」

「かな」


 わたしは一人でその草紙をめくっていく。きれいに彩色され、元は相当に高価なものだったろうと想像がついた。


「でも、これ竹取物語か……」

 先日の光景が頭をよぎる。と言うか顔の前をぶらぶらと横切る。

「うーむ」

 わたしは、それをそっと元の場所に戻した。読む気が失せてしまった。


 縁側に人の気配がした。小君くんは肩から飛び降り、とことこ、とそっちに向かって走っていった。

「あれ、晴明さま。どうされたんですか?」

 さっき別れたばかりの安倍晴明だった。


「ええ。あの後、末摘花さまはがお嫌いだったと思い出しましたので」

 晴明さまは申し訳なさそうに頭を下げた。呼び方も丁寧になっているし。

 でも、こういうもの? 別に式神とか平気だけど。わたしが苦手なものはセミとか昆虫の類だけで……。


「あの、ちょっと。晴明さま」

「はい」

 わたしの背中に冷たい汗が流れた。抑えようとしても頬が引きつる。


「じゃあ、はいったい何なんですか」

 さっきまで、わたしの肩に乗っていたものはっ。


 晴明は式神にかけたしゅを解いた。

「いやーーーっ!!」

 そこには、正体を現した手のひらサイズの巨大なセミの幼虫が床を這っていた。


 わたしは遠ざかる意識のなかで思った。

(それで、ミーンとかジージーとしか言わなかったのか……)

 

 これは、夏の終わりごろの出来事だ。最悪の夏の思い出になった。


 ☆


 ある日の深夜、庭先が騒がしくなった。誰かが走り回っているようだ。

「え、なにっ。まさか盗賊?」

 わたしは身体を起こした。


 いや。そんなはずはない。この間まで、勝手に庭で牛の放牧をされてた程の荒れ屋敷だ。金目のものが有るなんて誰も思わないだろう。


「おい。そこのブスで可愛い末摘花。入れてくれ、わたしだ」

 誰かが潜めた声でわたしを呼んだ。

「へ、誰ですか」

「わたしだ、わたしだよ!」


 どうやら特殊おれおれ詐欺だったらしい。こんな場合は無視するのが一番だ。わたしはまた夜着にくるまった。


「おのれ。入るぞ、末摘花」

 慌ただしく光源氏が部屋に上がってきた。まあ、最初から特有の芳しい薫りがしていたので分かっていたのだが。


「何ですか、こんな夜更けに」

「すまん、ちょっとかくまっておくれ」

 そういうと光源氏は奥の塗籠おしいれに駆け込んだ。中から錠を差す音がする。

「なによ、一体」


「ごめん下さいまし」

 また縁側から声がした。今度はとてつもなくエロい声だ。少しハスキーで、女のわたしでさえ変な気分になりそうだ。


「えーと。今度はどちらさまでしょうか」

 縁側に出てみると、すらりとした美女が立っていた。月明かりに照らされたその姿は神々しくさえあった。

 でもよく見ると、目じりに皺が。


「おい、そこの小娘。何かいま失礼な事を思わなかったか?」

 鋭いな、急に態度が変わったし。

「ま、まさかそんな事。で……あの、どなたでしょうか」

 

 ふん? とわたしの顔を覗き込んだおばさんの表情が変わった。

「おや。そなた、宮中で見かけたことがあるな。なにしろ、その不細工な顔は一度見たら忘れられぬからのう」

 どっちが失礼なのだ。でも、この方は宮女だったのか。


「わたしは 典侍ないしのすけ。こんな夜分に失礼する」

 おおっ。典侍って、宮中に仕える女官の中でいちばん偉い人だ。そりゃ、わたしたち下々の女官が会うような相手ではなさそうだ。


「さあ、大人しく光源氏を出すのだ。もし拒むのなら考えがあるぞ」

「いえ全く隠す気はありませんから。その塗籠の中です」

 どうぞ、お上がりください。 


「そこで何をしておられるのです、姉上」

 また別の声がした。

 なんだか今夜はお客さんが多い日だ。ああ、今度は安倍晴明さま。……って。


「はあっ、姉上?!」

 この源典侍さまって、晴明さまの姉さんなの?!


「おう晴明ではないか。なに、今宵こそ光源氏を喰らいつくそうと思うてのう」

 吊り上がった目を細めた源典侍は、長い舌で唇を舐めた。




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