第9話 薫の君と匂宮
「ところで、誰なんですか。あなた」
わたしは捕獲した男を地面に降ろし問い詰めた。もちろん、その前に縄でしっかりと縛っておくのは忘れない。
近くでみると、どこか憂いを帯びた美青年といっていいだろう。
「私を知らぬとは、やはり末法の世だな。そなたこそ、いったいどこの田舎ものだ」
聞くところによると、わたし一応、常陸宮の娘なのだそうだが。
「ほう、ミカドにつらなる家の姫であったか。そういえばどことなく気品が、……うーぬ、ないではないかっ!」
勝手に逆切れしている。やはりこいつも失礼極まりない奴のようだ。
「しかし、この私の薫りが判からぬようでは、宮女とは言えないな」
なんだか得意げに反り返っている。この男ならではの薫りなのだろうか。
ならば、わたしとて宮女の端くれ。みごと嗅ぎ分けてやろうではないか。
でも罠じゃないだろうな。わたしは警戒しつつ、その男の衣装に鼻を寄せた。
「なるほど、確かに爽やかな匂いがします」
もちろん、わたしの服のように、焼いた目刺しの匂いが染みついているような事はなかった。
やはりそこは平安貴族だ、高価そうな香を焚きしめている。でも残念ながら香の名前までは分からない。
もちろん、答えを教えてもらっても分からないだろうけれど。
そこで男の顔色が変わり怒り出した。
「に、に、匂いではないぞ。薫りといえ!!」
なんだろう、何か気にさわる事でも言ったかな。
「あれ、でもなんだろう…これ」
ずっと昔に嗅いだことがある気がする。それも、なにか食べ物の記憶と結びついているのだけれど。
たしか、初夏の頃おばあちゃんが作ってくれたものだ。
「ああ。分かった、かしわ餅だ。その柏の葉っぱの匂いだ」
「なんと、やはり柏なのか……」
その男は縛られたまま、床に突っ伏した。それって、そんなショックなことか? 別に悪い匂いじゃないけども。
「い、いや待て。もっとよく匂ってみろ。私の身体からはあの光源氏と同じ薫りがしているはずだ。だって私は光源氏の息子なのだから!」
縛られたまま、イモムシのようにわたしに擦り寄ってくる。
「ちょっと、やめて下さい。かしわ餅の匂いが移ります」
男の迫力に、思わずわたしは後ずさる。
「ぬおお、私はもうだめだ。やはり、だめな男なのだーっ」
あーあ、とうとう泣き出してしまった。
なんだろう。この男、かしわ餅にトラウマでもあるのだろうか。
「やはりわたしの父は、柏木の
あ。それって、この前の猫コスプレをした男かな。うん。たしかにあれが父親というのは、少し考えさせられるものがある。
その時、ふと覚えのある香りが鼻をくすぐった。
「あれ、光源氏のにおいがする」
ちょっと薄いけど、これは間違いない。やつだ。
男も顔をあげた。
☆
「何をやっているんだい、薫の君」
その声は庭先から聞こえた。匂いはその方から漂ってくるようだ。
見ると、これまた美青年が縁側から上がって来るところだった。どちらかと言えば、こちらの男の方に光源氏っぽさが多く残っている気がする。
「
薫は途端に気取った口調になった。
しかし、ひとの家を平気であばら家とか言うな。
「ふふっ。僕もきみと同じさ。この屋敷の姫をひと目見ようと思ってね」
「なんだそうだったのか。だがこの女は違うぞ。どう見ても庶民の小娘だ。しかもこんな有り得ないほどの醜女だからな」
返す返すも余計なお世話だ。
「ふうん」
匂宮は興味深そうにわたしの顔を覗き込んだ。
そして、くすくすと笑いだす。
「なんですか、あなたまで」
わたしは口をとがらせた。いや、たしかにこんな扱いには慣れているのだけど。
「いや、すまない。薫。君、いったい何を見ているんだい。醜いだって?」
匂宮はわたしと薫を見比べ、肩をすくめた。
「君の感性を疑うね。こんなに美しい女性、僕は初めて見たよ」
わたしは自分の耳を疑いましたけど。
おお、ついにわたしの時代が来たのか。
いやそうではないだろう。やっと時代がわたしに追いついたのだ。
「でしょ、でしょ。わたし、よく言われてたんですよ」
勢い込んで匂宮に訴える。
「嘘をつけ」
薫は薄笑いを浮かべ、そっぽを向いた。
「この匂宮は、女なら誰にでもそんな事を言ってるからな」
ちっ。やはりこの薫って嫌い。
そうか。こいつらの目的は、この屋敷のお婆さんたちだった。
「うーん。だけどね、こんな夜中はあのお婆さんたち、絶対に目を覚まさないですよ。もう、本当になにをしても」
だって以前、嘘か本当か、夜這いされても気付かなかったみたいだし。
「いやそんな婆さんに会いたいのではない。ここには三人の美少女がいるのであろう?」
薫のなかの妄想が、どんどん実態と乖離していくが。
やはりこれって、どこかで修正しておいたほうがいいのだろうか。
「誤解するな。私は決して好色な気持ちで言っているのではないのだぞ。そんな邪な気持ちなど私はいちども持ったことはない。常に仏に帰依することのみを思い、日々を暮らしているのだからな」
その割には、さっき美少女目当てだと言っていたが。
「ふふっ、相変わらず薫は美少女好きだね。妬けるよ」
匂宮はすっと薫の手をとる。
薫の頬が、ぽっと赤らんだ。
「なんだよ誤解するな。そんな訳ないだろ。それは君が一番よく知って、い、る、だ、ろ♡」
あー、あれは恋人つなぎというやつだな。
美青年ふたりが指を絡ませ、見つめ合っている図は、それはまあ、美しいと言えば美しい。こういうの、わたしも決して嫌いではないし。
だけど。
「そんな事は、よそでやれ!」
お前らに恥じらいという言葉はないのか。
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