第10話 後朝、まさか三人で?

「みさきさま。そこのところを、もっと詳しく聞きたいのですが」

 宮中へ出仕したわたしは、目を輝かせた若紫ちゃんの質問攻めに遭っていた。

「みさきさまの所にあらわれた、二人の美青年についてです」


 ここ最近、うちに変な連中がやって来るんですよー、と話をしていたのだ。若紫ちゃんも以前、ストーカーに悩まされていたことがある。だからちょっとした相談のつもりだったのだが。


「えーとですね。まず匂宮におうみやくんというのは光源氏の孫にあたるそうなんです」

「なんと、わたしの知らないうちに孫までつくってたんですか、光源氏」

 作者である若紫ちゃんは感心したような、あきれ果てたようなため息をついた。


 最近でも若紫ちゃんは、「紫式部」として執筆を続けていらっしゃるが、なぜか完成したものを見せてはくれない。

彰子しょうしさまも今はお忙しいですし。そのうちにね、お目にかけますから」

 えへ、えへへ。とごまかすような笑いをうかべている。

 たしかに彰子さま、御子を出産されて大変な時期なのは間違いないのだが。


 どうやら若紫ちゃん。完全に、エロ小説に覚醒してしまったらしい。紫式部は世界初の長編物語作家として知られるが、このままでは世界初の官能小説家という称号も受けることになりそうだ。


「そんな事より、もうひと方いらっしゃるのでしょう」

「ああ、そうでした。問題は薫くんなんですよ」

 母親は女三の宮といわれる高貴な姫君で、彼女の夫は光源氏だというのだ。


「奥さんを何人も抱えたうえに、まだ飽き足らないとは。許すまじ、光源氏」

 そんな光源氏を作り出したのは、他ならぬあなたですけど。

「で、問題というのは何ですか、みさきさま」


「薫くん。自分の本当の父親は光源氏ではない、と思ってるんです」

「なるほど。自分は母親の配偶者である光源氏の子ではない。つまり不義の子だと、そうおっしゃってるんですね、薫さまは!」

 彼がどこか憂いを帯びているのは、そのせいだろう。


 腕組みをした若紫ちゃんの頬に、じわじわと笑みが浮かび上がった。

「ほおー、これは萌えてきました。いけますっ、訳あり美青年同士の恋物語っ!」

 叫ぶなり紙になにやらメモをとり始めた。

 紫式部先生の目が怖い。

 いかん。このままではみやびな平安朝にあるまじき物語ができあがってしまう。


「あ、あの。若紫さま。じつはその二人、浮舟という女性を狙ってましてですね……」

 これは源氏物語での話でもあるのだが。

 すると若紫ちゃんの目から妖しい光が消えた。

「なんだ。それではいわゆる、女性を間においた三角関係という訳なのですね」


 よかった、どうやら冷静さを取り戻してくれたようだ。

「そうでしたか。じゃあ、こっちの案は自家用に取っておいて、と」

 書きちらしたメモをいそいそと文箱にしまい込んでいる。


「若紫さま。なんですか、その自家用って?」

「いえ。なんでもありません。という事は、その浮舟という方は、みさきさまのお屋敷に住んでおられるのですか」

「うちに仕えているお婆さんの一人を、そうだと思い込んでいるらしいです」

 するとまた若紫ちゃんの目が、爛々と輝きはじめる。


「これは、崩れかけたあばら家に住む老婆と、貴公子の禁断の恋っ!」

 落ち着け若紫ちゃん。それにうちは、まだそこまでボロじゃないから。

「そしてその貴公子は、老婆のかつての教え子だったのだ。再び燃え上がる学生時代の熱き想い!」

「あの、ちょっと。若紫さま」


「先生、わたしは幼き日より先生のことが……いえ、だめよ。わたしはもうこんなお婆ちゃんになってしまいましたわ……そんな事関係ありません、だってここはまだ女のままじゃありませんか、……あーれー、それはなりませぬぅ!」

 あー、若紫ちゃん。完全に妄想にはまり込んでしまったようだ。

「帰って来て、若紫さまー」


「失礼しました。ひとり、もの思いに耽ってしまいました」

 上気した顔で若紫ちゃんは頭をさげた。

 紫式部先生、もの思いがダダ洩れでしたけど。


「ですがその浮舟さんって、結局このふたりのどちらも選ばないんですよ」

 わたしの憶えている源氏物語ではそうだった。

「最後は誘いを断って、部屋に引き籠って、それで終わりです」

「えっ、まさか。それで物語が成立するんですか?」

「まあそうなんですけど。でもそれをわたしに言われても」


 ふむ、と若紫ちゃんは考え込んだ。そしてひと言。

「やはり、飽きちゃったんですかね」

 たしかに『美青年は3日で飽きるが、ブ男は3日で慣れる』とも言うし。でも、もしそうだったら身も蓋もないな。


「違いますよ、にです」

 どこか達観した顔で若紫ちゃんは言った。


「あるいは誰にも読んでもらえなくなった、か」

「お、おおぅ」

 紫式部の口から出ると、こんなに怖い言葉はないぞ。わたしは周囲の温度が下がったような気がした。


 ☆


「ところで、一番聞きたいことなんですけど」

 若紫ちゃんはわたしの衣装の袖を捕まえた。まずい、これは訊き出すまで離さない構えだ。


「そのお二人とは、何もなかったんですか?」

 まさかそんな筈はないですよね。にんまりと笑う若紫ちゃん。

「は、はは。何といいましょうか、その……ですね」

 こ、これは困った。


「あ、おねえちゃん。いらっしゃいだわん」

 犬君ちゃんが背後から駆け寄り、抱きついてきた。

「うわっ。あ、犬君ちゃん、こんにちは。でも、あのちょっと、それは、あん♡」

 最近の犬君ちゃんは、ぺろぺろと顔を舐めてくれるのだ。


「あれ。おねえちゃん?」

 怪訝そうに、犬君ちゃんはわたしの顔と衣装を見比べる。

「な、な、何かな。犬君ちゃん」


「おねえちゃん、今朝はかしわ餅を食べたんだね。それにこれは、……光源氏の匂いも混じってるわんよ」

 まずい。犬君ちゃんは本物の犬並みに鼻が利くのだ。


「え、光源氏? さー、あれぇ、どうしたのかな。そ、そうだよきっとあれだよ、源氏巻きという和菓子の匂いだよ」

「それっておいしいんだわん?」

「おいしいよーぅ」

 源氏巻きとは、しっとりとしたカステラ風の薄い生地であんこを包んだ、石見いわみ国(島根県西部)津和野の名物なのだ。

 この時代にあるかどうかは分からないが。


「ねえねえ、おねえちゃん。朝からお菓子ばかり食べてると太るわんよ」

 犬君ちゃんに叱られた。

「そうだね、ごめんなさい。あは、あはは」


 えへん。と若紫ちゃんが咳払いした。

 だめか、やはりまったく誤魔化せていないようだ。


「では、まず。どちらの殿方と致されたのです?」

 物語作家とは思えない、どストレートな質問だ。


「すみません。実は、ふたり一緒にお相手を……」

 ひーっ、若紫ちゃんが悲鳴をあげた。


 あああ、待ってください、たぶんそれって誤解ですっ!













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