四季と桃花の大学時代

電話越しの教授のありがたいお言葉に「本当にありがとうございます。一度くらいなら砂糖まみれのメニュー頼んでも奥さんに言わないでおきます」と鼻声で感謝の意味を込めて言えば、ケラケラ笑いながら「そこは五回分ぐらいでしょう、神園くんも甘い物大好きだから気持ちはわかるだろ」と返された。確かに僕は自他認める甘党だし、それぐらいの価値があるのも分かっているが、「教授には長生きしてほしいので」と心の底から願っていることを言うと、「とは言っても、私もいずれは死ぬからねー」と当たり前のことを明るい声色で述べられて僕はどこか少し悲しい気持ちになった。


「それにしても、サッカーやってて足首の捻挫、それに加えて風邪とか大変だね、君は意外と身体頑丈そうだけど」

「……実は風邪を引くのは生まれてこの方二回か三回あるかないかです」

「あはは、そんな感じする、とにかくゆっくり休んで、それじゃ」


ビジートーンを聞いてから僕も通話終了ボタンを押してベッドの上で溜め息を吐いた。すると、ガチャリとドアが開いて「お話は終わったのかな」と、トレーを持った桃花がサイドテーブルに朝食を並べた。今日は卵粥と海藻サラダとフルーツの盛り合わせで、赤い木製のお椀からは美味しそうな湯気が立ち上っていた。僕がマスクを顎にズラしてスプーンを持ち、お粥を掬って息を吹きかけ熱を冷ましていると、頬杖をついて幸せそうに灰色の瞳を細めた桃花が「なんかいいなぁ、これ」と言った。いつにも増して機嫌が良い。


「……車椅子さえあれば、今からでも僕は外に出られますよ」

「ふふ、そっかそっかぁ」

「あの、本気で言ってますからね、その気になれば僕はなんでも出来ますから」

「うんうん、わかってるよぉ、でも四季くんはここに居てくれるでしょ?だから嬉しくて」


僕の髪を手櫛で整える桃花は心底嬉しそうだが、対して僕の機嫌は急降下だ。犬や猫が食べてる時に頭を撫でられることを嫌がる理由がとても良く分かった。こんな感じで桃花は、今何かと僕が何もできない人間とばかりに色んな世話を焼いてくる。確かに歩くのは危険なのはわかる、風邪でいつもより意識がふらついていて立つこともままならない。しかし、いくらなんでも論文を読んで聞かせようとしてきた時は「馬鹿にしてるんですか!」と怒ったが、それでも彼女は「そんなことないよー」とか言いながら、にへにへとだらしない顔をしていた。


「ねえねえ、四季くん、あーんさせて欲しいな」

「は?いきなり何ですか、嫌ですよ、腕を怪我してるならともかく、飯くらい自分で食べれます」

「でも怪我人だし、病人でしょ?」

「ちょっと…!こら、邪魔しないでくださいよ、お粥が零れて火傷したらどうするんですか」

「私が洗濯してー、火傷の手当してー、新しい卵粥を作り直してから、ふーふーして、あーんする!」

「クソが!浮かれやがって!」


お粥に罪はないし、ひっくり返すのは嫌なので、大人しくお椀を渡すと、桃花は嬉しそうに唇を尖らせてスプーン一杯分のお粥を冷ましている。僕は口を掌で押さえながらコンコンと咳をする。ニーナくんがこの状況を見たら爆笑してくれるだろうか、いや、引くな。一方的ではあるが、僕なら親友のこんなバカップル空間は見たくない。残念なことだが、はしゃいだオーラを隠しもせずにいる桃花に根負けするのはいつも僕である。心底嫌だけれど、本当に心底嫌だけど。大人しく「はい、あーん」と差し出された卵粥を口にすると丁度良い温度で、味は良く分からなかったけれど、きっと美味しいのだろう。桃花は料理が上手い。せめて鼻詰まりは早く治って欲しいと考えていると、目の前の人を駄目にする悪魔は幸せそうに僕の頬を人差し指でつつきながら、ニコニコと無邪気に笑っていた。


▼ E N D

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