由祈はバイトしてるよ
海の外の温もりを私は知らない。死んでしまったものを生き返らせる方法は未だこの世界には存在してないのだ。
カウンターで注文された商品を用意しているとヘッドホン型のワイヤレストランシーバーがピッと鳴って、私は素早く受信ボタンを押した。
「いらっしゃいませ、ありがとうございます、ご注文お伺いします」
ファストフードチェーンストアでアルバイトを始めてから数ヶ月が経った。今では仕事内容にも慣れたものだ。夕方の店員が少ない日、最近ではドライブスルーとカウンターを同時進行でやることも多い。時にはポテトも作るという三刀流だってやってしまうんだぜ。カウンターのお客様に商品をお渡しした私は店内に複数あるレジのうち、一番左側にあるドライブスルー用のレジに素早く移動して、上部モニターの確認をした。
バイトが終わるといつも通り私とは違う制服の女子高生が緩やかな歩調で距離を詰めてくる。彼女の名前は山下さん。山下さんはいかにも軽そうな風貌で喋り方も歩き方は元気ハツラツ。私とは住む世界どころかきっと肉体を構成する物質すら違うタイプの人だ。彼女は私の正面に直立し、腕を上げ人差し指をおでこにコツンとくっつけて敬礼のポーズをした。
「お疲れ様ーっス、由祈さん聞いてくださいよ~、さっきオッサンがあたしのレジが遅いって怒鳴ってきたんスよ」
「クレーマーかぁ、それは大変だったね」
「ホントっスよ、『俺は客だぞ、もっと敬え!』ってマジ何様だっつーの!心の中でお客様は疫病神様ですーってカンジ!ハゲろ!」
お客様は神様です、なんて言うけれど神様は神様でも疫病神なのか。なるほど。頷いて納得していると山下さんは足をもつれ気味にして私の右隣に並ぶ。アルバイトから始まり私生活や親の行動に関する不満を話し出す山下さん。その勢いはマシンガントークを通り越して、まるで1000本ノックだ。私は笑みを作り、彼女の愚痴にひたすら相槌をうつ。夕焼けが反射するコンクリートの上。暴力的な暑さが私達をストーカーした。どうして私は夏場なのに長袖のワイシャツを着ているのだろう。せめてスカートの下はジャージじゃなくてタイツにすれば良かった。しかしお子様の教育に宜しくないので脱ぐことは出来ない。残念なことにエロティック的な意味ではなくてグロテスクホラー的な意味で。
六年前に起きた誘拐事件。その被害者の片割れである私の身体には様々な傷がある。爛れた火傷や切り傷、青白い肌に残る沢山の線。全てあの男との生活の時につけられたモノだ。年が経つにつれて幾らかはマシになったものの、普通なら好んで見たいとは思えない醜さである。だからプールの授業などは親から学校側に事情を話していつだって見学だった。そもそも、私は自分から好んで水に入りたいとは思わないけど。
頭が痛い。まるで思考を過去から今へ引き戻すようにズキズキと繰り返される自己主張が激しくなる。私が痛みを振り払う様に辺りを見回すと静かに佇むビルのような病院のようなものが見えた。さらに遠くにはここからでもハッキリと判別できる大きさの観覧車が我が物顔で陣取っている。最後に遊園地に行ったのはいつだろうか。あの時の両親の顔はもう思い出すことすら出来ない。扉が開くのを恐れた私は胸いっぱいに酸素を吸い込む権利を放棄した。膝を抱えて震えながら冷たく暗い海に沈むことを選んだのだ。
昔読んだ本によれば、白化した珊瑚礁は死んでしまっているんだという。ならば私の心はとうの昔に白化してしまって呼吸をしていないのかもしれない。腕の皮膚を炙られて死んだ私の感情が薄墨の部屋に白い煙となってのぼったあの日から。ずっと粉々になった自身の硝子を踏みつけて、気丈なふりをしていた。さも気にしていないかのような素振りで日常を取り繕っていた。そんなことを繰り返してなんになると言う、人間たちの声から耳を塞いで。
▼ E N D
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