デート
動植物園を出た僕たちはあっという間に人の波に飲み込まれた。幼い子どもを連れ立って歩いている家族連れの人々がいれば、僕たちと同じように恋人とともにいる人々やシングルの人もいた。みながそれぞれの時間を過ごして楽しんでいた。
公園ではアイスクリームを作っていて、僕たちはそれを食べた。僕はバニラでアリエルはキャラメルだった。暑い日差しの下食べるアイスはからだの中から僕たちを冷やしてくれるようだった。途中まで食べたところで、アリエルが交換をしてほしいと言うので、交換した。バニラを食べた後でキャラメルを食べると、少しばかり甘みが強い気がしたが、彼女は満足している様子だった。
それから僕たちはショッピングをした。主にアリエルの服を見るためで、数店の店を回った。どの店にも少なからずいい品物がそろっていて、また、店ごとに特色が違っていた。彼女が手にもって物色する服はどれもアリエルにとても似合うだろうなと思った。彼女は服を選ぶとき、自分のアンテナに引っかからないものには一切目をくれなかった。それでいて確実に似合いそうな服を選んで見せた。中には少し奇抜な、攻めたデザインのものもあったのだが、それでも一切の迷いなく選んでみせる辺りから彼女のセンスの良さが窺えた。が、いずれの店でも彼女は僕にどれが似合うと思うか意見を求めてきた。僕は服に見識があるわけではなく、自分の服装にもそう頓着しないのだが、彼女に似合う服を選ぶことだけはすっかり慣れていて、彼女が物色していたいくつかの服の中から一つを選んだ。けれど一回でそれを買うことはせず、回る予定にしていた店をすべて回り終えた後で、最終的に彼女がどの店のどの服を買うのかを決めるのだった。そして大抵の場合、最初に訪れた店で僕が選んだ服を買うことが多かった。
そうして時間を過ごした後、二人のお気に入りのカフェへと立ち寄った。《オールド・カフェ》という名前のそこは、十九世紀イギリスのカフェをモチーフにしていて、内装は派手派手し過ぎることなく落ち着いた雰囲気を保っており、近代的な流線型の建築物が立ち並ぶ街並みの中では異彩を放っていた。そういった雰囲気が僕たちの琴線に触れたのだ。もちろん内装だけでなく、マスターの腕も確かでおいしい紅茶とコーヒーが味わえた。ウェイターの持ってきたアッサムティーを飲みながら、僕は街を行く人々を眺めたり、目の前でケーキを頬張るアリエルを見つめたりした。
「そういえば聞いたかい?」僕が言った。「エーギルの奴がイオちゃんといよいよ同棲をするらしいよ」
「えっ、本当に?」
「ああ。さっき話してたんだ」
「どっちから提案したのかしら」
「イオちゃんだよ。エーギルがそんな提案、できるわけがないもの。それでエーギルの奴はひどく参っていたな」
「どうして?」
「イオちゃんとずっと一緒にいるって考えたら緊張しまうからさ」
「ジェフスくんらしいわね」アリエルは笑った。「でもイオちゃんも随分と思い切ったわね」
「いいころ合いなんじゃないかな。あの二人はずいぶんと長いこと付き合っているわけだし」
「それで言ったら私たちだってもう十分長いでしょ?」
「そうだね」
「どうする? 私たちも同棲してみる?」
「したいのかい?」
「いつでも二人きりでいられるっていうのは魅力的よね」
「確かに。それなら忙しいきみとももう少し長く一緒にいられる時間が作れるね」僕は言った。「僕は構わないよ。同棲しても。でもするなら空いている物件があるか探さないといけないね」
「別に、今すぐにってわけじゃないのよ。あなたも今はいろいろと忙しいでしょうし。いずれね」
「じゃあ準備だけ進めておこうか」
「あら、ずいぶんと乗り気ね」
「そりゃ、僕としてもアリエルと二人で一緒の時間を過ごせるっていうのは魅力的だもの」
「じゃあ本当に私たちも同棲するの?」
「冗談だったのかい?」
「そうじゃないけど」アリエルは言った。「分かったわ。私も準備を進めておくわね。今度一度二人暮らし用の家がどんな具合なのか一緒に見に行きましょう」
「アイアイッサー!」僕はわざとらしく敬礼して見せた。
カフェを出て清流沿いを並んで歩いていると、川の方から僕たちを呼ぶ声が聞こえた。見てみると船着き場に泊まっている遊覧船の船頭が手を振っていた。「お二人さん。一緒にいかがですかい?」と彼は言った。
「どうする? 乗ってみるかい?」僕が訊ねた。
「そうね。せっかく声を掛けてもらったんだもの。乗りましょうよ」アリエルが言った。
船着き場まで下りて行って、最初に僕がボートに乗り込んで、アリエルの手を引いて彼女を乗せてやった。船頭がボートを固定していたロープを外すと、ボートは運河の流れに乗って動き出した。
「この船はどこを回るんだい?」
「どこへだってお連れしますよ」船頭が答えた。彼は船尾で舵を取っていた。「お客さんのご希望が無いんでしたら、自分のおすすめのコースをご案内しますがね」
「どこか行きたいところがあるかい?」
「そうね。ねえ、船頭さん。今は何時かしら」アリエルが訊ねた。船頭は片手で舵をコントロールしたまま、腕時計を確認した。三時だった。「それなら船上のツリートンネルに連れて行ってもらえないかしら。この時間なら確か一番きれいなはずだから」
「お嬢さん、詳しいなぁ」船頭が言った。「かしこまりました! じゃあまずはそっちに向かいますぜ」
「それから湖上の教会の周りをぐるっと一周してくれるかしら」
「承知」
ボートはゆったりと、そして静かに進んだ。運河から見上げる街並みは、普段から見慣れているもののはずなのにひどく別物のように感じた。ボートは安定していて、ほとんど揺れることはなかったのだが、たまに流れに逆らって登ってくるボートとすれ違う時、かすかに揺れた。
僕たちはずっと手をつないでいた。船頭に、なぜ船頭をしているのか尋ねた。彼はボートから見るこの街並みが好きなのだと言った。それは分からないことではなかった。
ボートがいくつかの橋の下を通過したころに、「見えてきましたぜ」と船頭が言った。彼が指し示す方向には、運河を囲う両側の壁から木が川に覆いかぶさるようにしていて、木のトンネルを作っていた。壁にはツタが這っていて、紫色のきれいな花を咲かせていた。《船上のツリートンネル》の中に入るにはこうしてボートに乗るしかなかった。が、僕はこれまでにこの手のボートに乗ったことが無く、ツリートンネルを訪れるのも初めてだった。
「きみは以前にもここに来たことがあるのかい?」アリエルに訪ねると、彼女は被りを振った。
「いいえ、初めてよ」
「それにしてはずいぶんと詳しかったね。なんだか時間にもこだわっていたじゃないか」
「たまたま知っていただけよ。それよりもほら、上を見て」彼女に促されて上を見上げてみると、ボートは今まさにツリートンネルに入らんとしているところだった。ツリートンネルの中は思ったよりも暗くはなかった。それどころか、日差しがピンポイントに差し込んでいるためか、緑色の葉を通過した木漏れ日が僕たちの乗るボートを幻想的に照らし出していた。「この時期、この時間はちょうど太陽の光が何にもさえぎられることなくここまで届くのよ。だからこんなにきれいに見えるの」
「なるほど。これは、いいね」水面を見てみると、太陽の残滓を反射してキラキラと輝いていた。なんとも素晴らしい場所だった。ボートは出来る限りゆっくりと進んだのだが、ツリートンネルの中に留まれたのはわずか数分で、再び元の世界へ戻ってきてしまった。
それからボートはアリエルの要望通りに《湖上の教会》へと向かった。湖上と名がついてはいるが、実際に湖であるわけではなく、教会のある島の周りを運河が取り囲んでいて、一見すれば湖のように見えるというだけのものだった。そのためにきちんと外へとつながる水路が幾本も流れていて、僕たちのボートもそのうちの一つから島を取り囲む水流へと合流を果たした。見えるのは本当に小さな島で、あるものは螺旋状に天へと続く純白の外観をした教会だけだった。そのほかには木の一本もなかった。つなぎ目一つない滑らかな外壁は太陽の光はまぶしく反射していた。頂点でアーチを作っている鐘楼には数羽の小鳥が羽を休めていた。
船頭が「上陸しますかい?」と言った。僕はアリエルにどうしたいか訊ねた。彼女はしばらく迷った後で「今日はやめておくわ」と言った。
「いいの?」僕が言った。
「うん。こうして外から眺めるだけでも十分きれいだし、雰囲気も味わえたもの。もう満足よ。それに、もうそろそろ戻らないと」
「《エデン》に?」
「うん。本当はもっとあなたと一緒にいたいんだけど」
「やっぱり早く二人で住めるように準備を進めておくよ」
「ええ」
ボートは教会の周りを周回した後、適当な水路へと入っていった。アリエルは船頭に手近な船着き場で降ろしてくれと言った。運河にはこのような遊覧船のための船着き場がいくつも設けられていて、空いてさえいればいつでも停留することが出来た。船頭は頷いた。すぐに船着き場が見えてきた。船頭はこれまでで最も慎重な舵さばきでボートを横付けした。そして慣れた手つきで、橋にロープを巻き付けてボートを固定した。
「はいどうも」と言って船頭は僕たちを丁寧に船から降ろした。降りる時、ボートがぐらついてバランスを崩したアリエルが僕にのしかかってきた。その時彼女の胸が僕に押し付けられる形になった。それで僕たちは一瞬の間――体感としてずいぶんと長いことそうしていたように思えるが――見つめ合っていた。船頭の注意がそれていることを確認して僕たちはごく短くキスを交わした。それで今度こそボートを降りた。
船頭と別れて再び街中に戻ると、
――『やっと見つけた』
と頭の中に何の前触れもなく声が響き渡った。それはレイの声だった。レイは《エデン》でアリエルの副官を務めている女性で、頭の中に彼女の声が聞こえているのは彼女の持つ《固有超能力》であるテレパシーの力によるものだった。彼女は対象を認識することが出来れば、相手と音声伝達を用いることなく会話をすることが出来た。
――『アリエル、そんなところで何をしているんですか?』
「あはは、レイが出てきちゃったかー」アリエルが言った。「テレパシーが届いてるっていうことは私の姿が見えてるってことよね」彼女は周囲をぐるりと見まわして、一つの監視カメラを発見した。彼女が手を振ると、
――『遊んでいないで早く戻ってきてください!』
レイの叱咤の声が脳内に響いた。
――『あなたの今日の仕事はまだ終わっていないんですよ』
「安心して大丈夫よ。今から戻ろうとしていたところだから」
――『そういう問題ではなく。突然いなくなられるとびっくりするんですよ。探すわたしたちの身にもなってください』
「別に探さなくてもいいのに」
――『そういうわけにいきますか! あなたは、《エデン》の総長なんですよ、もっと自覚を持ってくださいよ』
「いいレイ。人には生き抜きって大切なのよ。とっても大切」
――『スティーヴ。あなたもあなたです』
「僕?」話の矛先を向けられて、僕はとぼけて見せた。
――『アリエルはこんな感じですから、あなたにもっとしっかりしてもらわないと』
「まあそう言わないでよ。実際、今はアリエルがいなくても問題がない感じなんでしょ?」
――『それがそうでもないのよ』
レイは深刻さを増した声音で言った。
――『アリエル。少し問題が起きています。《エデン》の総長として、早急にお戻りください』
それでアリエルも遊んでいる場合ではないということが察せられたらしく、これまでの楽しげな表情から《エデン》の総長としての表情にすぐさま切り替わった。
「分かったわ。すぐに向かいます」アリエルは言った。「そういうわけだからスティーヴ。私、もう行かないと」
「ああ。行ってらっしゃい。頑張ってね」
「ええ。それじゃ」
最後に僕たちは抱擁を交わして、別れた。アリエルはすぐに車を拾って、その車体もすぐに見えなくなった。さてと、と僕は空を見上げた。日はまだ高かった。レイが言っていた問題というのがどのようなものなのかは分からなかったが、僕にできることは何もなかった。すべてはアリエルがうまくやってくれるはずなのだ。差し当たっては今日の僕に与えられた役割をきちんと完了することにした。研究所に戻って植物の成長比率の謎をグレイプに報告するのだ。
楽園 金魚姫 @kingyohime1998
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