キャンプ
ぼくらのキャンプはかつて駅だった場所にあった。その駅は大きな駅で、何本もの路線が乗り入れていた。地下鉄も走っていた。が、今は地上に出たホームの大部分はかつてそこが駅だったと知らなければ、何があったのかも分からないほどの有様だった。高架から落下し、瓦礫に埋もれている折れ曲がったレールだけがかつてそこに電車が走っていたことを知る手がかりだった。地下鉄も大規模な崩落によって、その大部分は埋まってしまっていた。
ただし、まるっきり中に入れないわけではなかった。ホームまではいけないが、地下へと続く階段と改札までのわずかな通路は崩落を免れ、人が立ち入ることが出来た。それはぼくらが駅にキャンプを設けたことの大きな理由の一つだった。というのも食料が雨に濡れてダメになってしまうことを避けるために、地下鉄の構内に食料を備蓄することが可能なためだった。
また、大きな駅であったことから多くの食品店も駅の中に入っていたので、容易に食料の確保が可能となる側面もあった。当然、ほかの連中も同じように駅をキャンプにしようとしてきたのだが、他よりもわずかにぼくらの陣営の方が駅を自分たちのものとするのが早かったのだ。
それでキャンプの拠点を巡った争いが起きることも少なくはなかったのだが、それ以上にぼくらのキャンプの仲間に加えてほしいという申し出が圧倒的に多かった。ぼくらは可能な限りに彼らの要望を受け入れて、同じキャンプの仲間としていったのだが、それも人数が二千人を超えたあたりで食料に不安が生じて、それ以上の受け入れはしなくなった。
それでまたキャンプはほかのキャンプの陣営から食料を狙った攻撃を受けるようになったのだが、ほかのキャンプの数が百人から多くて数百人であるのに対して、こちらは二千人だった。その上、キャンプには数名の超能力者もいたので(当然相手陣営にも超能力を持った人間を入るのだが、それも数に押されては大した意味はなさなかった)、ぼくらが負ける理由は無いに等しかった。で、そのような経緯からキャンプの周囲には常に数名の見張りを立てることがキャンプ内の決まりになっていた。見張りが立ち、崩落した駅の周りを囲っている様はどこか砦を警護している兵隊のようにも見えた。
ぼくと暁昴がキャンプに帰り着いたのはすっかり日が沈み、延々と続く灰色の雲が蓋をされたようにどす黒く変わったころだった。本来なら上空に瞬いているのであろう星は一切見えなかった。それが、ぼくらの頭上を変わらず粉塵が覆い隠している証拠だった。
その代わり、地上でいくつもたかれている焚火の赤い炎が遠くからでもよく見て取ることが出来た。あの火の元ではキャンプの連中が暖を取りながら貴重な飯を食べているのだ。
「戻ってきたか」見張り役の男がぼくを認めて言った。「収穫はあったかい?」
「上々だよ。缶詰が少しと、小麦粉だ」ぼくは言った。果たして、この男の名前は何だっただろうか。
男は小麦粉という言葉を聞くと、大いに喜んだ。「これでしばらくは飯がうまくなるな」
「調理係の連中に聞かれたらはっ倒されるぞ」
「調理係の連中には黙っててくれよ」男は苦笑した。
「今日は何人帰ってこなかった?」ぼくは訊ねた。
「正確なところは知らないけどな。おれが把握している範囲じゃ八人だな。あ、いや、あんたは帰ってきたから七人か」
食糧調達に出かけたうちの何人かは出たまま帰ってこないことがある。それは先ほど遭遇した二人の超能力者のように食料の奪い合いをして殺されるか、何らかの事故によって死んでしまったせいだった。一日に少なくとも一人は戻ってこないのが常だった。しかし七人というのはいささか多かった。
「今日は多いな。なんかあったのか?」
「さあな。でもさっきまですぐそこでドンパチやってる超能力者がいるって話を聞いたから、もしかしたらそれに巻き込まれたのかもしれんな」
「それなら違うと思うぞ」ぼくは言った。
「なんで?」
「ついさっきまでぼくらはその超能力者同士の戦いを見物してたからな。あれはただの食料の奪い合い。それも一対一で、ほかに人影は見当たらなかった。一人くらい戦いの余波に巻き込まれてやられたって可能性はあるかもしれないけど、七人全員っていうのはさすがにないだろう」
「あんまり危険なことに身を突っ込むと早死にするぜ。あんた。特に超能力者同士の戦いなんて、見たら一目散に逃げの一手だろ」
「そうしようと思ったんだけどな。彼女がそうさせてくれなかったんだよ」ぼくは暁昴を指示した。
「そうだ、この女性はどうした? キャンプの人間じゃないよな」男は言った。
「初めまして。暁昴よ」彼女は言った。「人探しをしていて、いろんなキャンプを渡り歩いているの」
「人探し……恋人か何かかな?」
「ぼくもそう思ったんだがね。どうも違うらしい」ぼくは言った。「そんなことはどうでもいいんだよ。それよりも、彼女を
慧というのはぼくらのキャンプを取り仕切っているリーダーの人物の名前だった。フルネームは
「あんたが連れて来たんだ。あんたが連れて行けばいいじゃないか」
「ぼくは食料を調理係の連中に渡さないといけないからさ」ぼくはリュックサックを揺らして見せた。
「ねえ、お嬢さん。ただ飯ぐらいを置いておけるほどこのキャンプには余裕がないんだ。あんたはこのキャンプのために何かできるのかい?」男は訊ねた。
「料理ならできるわ。前にいたキャンプでもみんな褒めてくれる程度には腕に自信があるわよ」
「あんたの探している知り合いっていうのは、このキャンプにいるのかい?」
「分からないわ」
「どういう関係だい?」
「昔の古い知り合いよ」
「どれくらいキャンプにいるつもりなんです?」
「数日間で結構よ」
暁昴の答えに、見張り番の男は満足したようだった。彼は近くで話をしていた男二人組のうちの一人を呼びつけて、暁昴を慧の下まで案内するように言った。呼びつけられた男は最初、面倒くさそうに表情をしかめたが、暁昴の容姿を見て、すぐに気が変わったようだった。呼びつけられた男は二つ返事で暁昴の案内を引き受けた。彼は暁昴を案内する際、執拗に彼女の手を握ったり、身体を寄せて肩を抱き寄せたりしていた。その様子を見て、見張り番の男が女ってのも大変だね、とひとりごちた。彼は案内役の男のあまりにも女に飢えているような仕草に、笑いをかみ殺すのが大変そうだった。ぼくはしばし、暁昴の後姿を眺めていたが、やがて大勢の人波の方へ歩き出した。人垣の奥では白い煙が濛々と立ち上っていた。そこでは炊き出しを行っているのだった。
炊き出しを受ける人々は四本の列になって並んでいた。列は長く続いていた。列の先頭には大きなアルミの寸胴鍋――多少の穴が開いていたり、へこみがあり形が歪だったりする――が四つ、ブロックをコの字に立てて作られた台の上に乗せられ、下から焚火の炎を受けていた。
それぞれの鍋に二人の調理係が就いていて、一人は鍋の中をかき混ぜ、食事をよそって配る役目を負っていた。もう一人は鍋の下で燃えている火の火力調整が仕事だった。火は強くなりすぎても、弱くなりすぎてもいけなかった。ガスコンロもガス管が無ければ使えず、このキャンプにガス管はもうなかった。そのため、火は木の枝と吹きかける空気の量によって調節しなければならず、不用意に火から目を離すことはできないのだった。もし、火力の調整を誤り、鍋の中身をダメにしてしまったらしばらくの間、ほかの連中から大いに誹りを受けることになるだろう(それでも食べるには食べるのだが)。
鍋の中身は米とわずかな缶詰を混ぜ込んだもので、見た目はあまりおいしそうではなかったが、米の少し焦げた香ばしいにおいを嗅ぐと、腹が鳴った。
炊き出しを受ける連中のあいだでは、小さな諍いが絶えなかった。列の順番を抜かしただとか飯の量が前の奴よりも少ないだとか、そういうくだらないものが原因だった。時にはそれで乱闘に発展することもあったのだが、だれも止めに入ったりすることはなかった。騒ぎを起こすのは――つまり、突っかかったり、問題の原因となったりするという意味だ――腹の空き過ぎか、はたまた何か別の理由で虫の居所の悪い連中だった。いずれにしてもそれは大半の人々には興味も関心もないことで、みな無関心を決め込むのだった。
ぼくは寸胴鍋の前で人々に食事を配っている一人の女性を見つけた。彼女は
「ただいま。今帰ったよ」
ぼくが言うと夕星は両腕を広げて近づいてきて、しっかりとぼくの身体を抱擁した。「おかえりなさい」と耳元で言った。「今日はあまりに帰りが遅いから、なにかあったんじゃないかって心配していたのよ」
「まあ、何もなかったわけじゃないけど」
「危ないことは何もなかったのよね?」
「こんな世界じゃ危なくないことなんて、生きている限り何もないだろ」ぼくは言った。リュックサックの中から缶詰を数個と小麦粉の入った袋を取り出し、彼女に渡した。「それが今日の戦果だよ」
「すごい! 小麦粉があったのね!」彼女は微笑んで言った。「これでまた少しはみんなに変わったものを食べさせてあげることが出来るわね」
彼女は今の今まで焚火の火の管理をしていて、すっかり顔を煤だらけにしてしまっている相方の女性に缶詰と小麦粉を手渡すと、地下鉄へと続く通路に設けてある食糧庫に保管してくるようにと命じた。女性は一つ頷いて、地下へと続く階段を下りて行った。
「ねえ、今帰ってきたのならあなたも食事はまだでしょう? ご一緒しない?」夕星が言った。
「もちろん構わないよ」ぼくは言った。「もう、腹ペコだよ」
「じゃあわたしもいっしょに食べたいな!」そう言って話に割り込んできたのは暁昴だった。走ってきたのか息を切らしていた。周囲を見回してみて、先ほどまで彼女と一緒にいた男の姿はどこにも見当たらなかった。
「慧さんとの話は済んだのか?」
「ええ。調理係の仕事を手伝うんだったら滞在してもいいって。彼、いい人ね。優しそうだし、わたし気に入ったわ」
「ねえ宙太くん。そちらの方は?」夕星が訊ねた。
「暁昴です! 今日から三日間、このキャンプでお世話になりまーす!」彼女はひどく明るい口調で言った。ぼくとともにいた時も明るかったが、それよりさらに明るく、賑々しかった。キャンプに入ることが出来て、少し気が抜けたせいなのだろうと思った。どれだけ明るく、物事に対して警戒心が無いように見えてもやはりよりどころのない生活というのは不安が伴い、常に気を張り詰めていなければならないのだろう。
「ぼくが帰るのが遅れた理由だよ。頼まれてキャンプまで案内していたんだけど、彼女の道草に付き合わされてね」ぼくは言った。「それにしても、よくぼくがここにいるってわかったな」
「慧さんに炊き出しの場所を教えてもらったかね。きっといるだろうなーと思っただけよ」
「まあそういうことなら了解よ。えっと、昴さん? ぜひ三人でご一緒しましょう」夕星が言った。
「ありがとうございます!」暁昴は心の底から嬉しそうな声を上げた。
夕星が食器にぼくらの分の食事をよそってくれた。周囲には多くの焚火があったが、みなすでに人が座っていて埋まっていた。どこか空いている場所がいないかと探していると、ちょうど食事を終えた連中が立ち上がって焚火の周りからいなくなった。ぼくらはその焚火の周りに腰を下ろした。火の勢いがだいぶ弱まっていたので、枝を少し足した。火は持ち直した。いざ、食べ始めようとすると、こんなところにいたのか、と声が降ってきた。振り返ると先ほど暁昴を慧の下まで案内する役を務めた男が、暁昴の背後に立って彼女の顔を上から覗き込むようにしていた。暁昴はバツが悪そうに少し身じろぎをして、それから苦笑を浮かべた。
「どうも」
「ひどいな」男は言った。「急にいなくなったと思ったらこんな連中の食事なんかしてるの? おれもきみと一緒に食事がしたかったのに」
「ごめんなさい。でも、この人たちと約束があったから」彼女はうそを言った。慧の下まで案内をするというごくごく短い時間の間に、彼女は相当男に対して嫌気がさしたのだろう。どうにか男を追っ払おうと苦心しているのが見て取れた。そこで僕はなぜ先ほど彼女が息を切らしていたのか得心がいった。おそらく男を撒くために走って逃げ出してきたのだ。
「こんな連中と一緒に食べるより、おれと二人で話でもしないか? 絶対、その方が有意義で楽しいと思うんだけどな。どう?」
「ねえ、ちょっとあなた」夕星が言った。「彼女が迷惑がっているのが分からないの? 彼女は今、私たちと食事をしているのよ。関係ない人は消えてくれるかしら」
「迷惑? そんなバカな」男はまるで言っている意味が分からないという風に夕星をあざ笑った。「俺はさっきまで彼女と一緒にいたんだぜ? で彼女は実に楽しそうにおれの話に耳を傾けてくれていたんだから、迷惑なはずがないさ。それに、迷惑なら彼女の口からはっきりそう言われているはずだろ? でも言われてない。つまりそういうことさ。なんなら、あんたも一緒に来てもかまわないぜ」
「あきれた。世界がおかしくなって、頭までおかしくなったのかしら」
「どうとでも言え」男はまるで応えた様子が無く、そもそも自身の行動を暁昴がどれほど迷惑がっているのかということには心底興味がないのだった。そのため、彼女の嫌がっている素振りや遠回しな抵抗が――彼女はあくまで男が不快な気を持たないように直接やめてくれと訴えるということはなかった――目についていなかったのだ。男の眼には暁昴はただ、己の欲望を満たすための対象でしかなく、ポルノ女優やAVなどに向ける感情と何ら違いはなかった。「さ、向こうに行こうぜ」男は暁昴の手首を掴んで無理やりに引っ張り上げた。
「ねえ、宙太くん! あなたからもなんとか言ってやってよ」夕星がぼくに耳打ちした。
ぼくはため息を一つ吐いた。持っていたスプーンで男の手を押しとどめた。男はあからさまに不機嫌なまなざしを向けてきた。
「なんだよ」
「こういうのも何なんだけどさ。あんまり調子に乗るのはよした方がいいと思うぜ」
「てめえには関係ねーだろ」
「正直、ぼくはあんたが彼女にどこで何をしようととやかく言うつもりはないんだけどさ。あまりキャンプ内で問題を起こすのは、あんたの身のためにならないと思うんだよ。ぼくやほかの連中はともかく、このキャンプのリーダーはそういう問題には厳格な性格だからね。ただでさえ、今はキャンプ内が二分されているっていうのに、くだらない騒ぎを起こしてさらに秩序を乱したりしたら、あんたキャンプから追放されるぜ。――慧さんは確かに優しいし滅多なことではぼくたちに命令をしたりしないけど、キャンプの維持に不穏な影を落とす奴には容赦しない人だからな」
「これはおれと彼女との間の合意の上での行為だぜ。どう問題になるってんだ」男は本気でそう思い込んでいるようだった。ぼくはほとほと面倒な気分になった。こんなことになるのならだれかに頼むのではなく、最初から自分で暁昴を慧の下に連れて行くのだったと思った。が、いまさらそんな後悔をしたところでもうどうにも遅かった。「さあ、行こうぜ」男がさらに暁昴の腕を引っ張った。
「ごめんなさい」暁昴はその場から腰を浮かすことなく、男の腕を振りほどくと先ほどまでのバツの悪そうな態度とは打って変わって毅然とした表情で、男を見据えた。「わたしはこの人たちと一緒に食事をしたいの。あなたとはいっしょに行けないわ」
その言葉を聞いて男は激しく気を悪くした。歯ぎしりをして、暁昴を力いっぱいに殴りつけて、無理矢理に言うことを利かせたいとそんな衝動に駆られていることは目に見えた。が、そんなことをすれば男は秩序を乱したとしてキャンプから追放されてしまうだろう。それは男にとっても避けねばならない事態だった。
「合意が、なんだって?」ぼくは止めとばかりに訊ねた。
男は沈黙して、うつむいた。肩が女に誘いを断られたみじめさと自分の顔に泥を塗られた怒りとによって震えていた。「覚えてろよ、てめえら。おれに歯向かったことを絶対に後悔させてやるからな」男は言って、立ち去った。
ようやく騒ぎが落ち着いて、ぼくは肩の力を抜いた。
「なんなのよ! あの男」夕星は男がいなくなってからも腹の虫がおさまらないようで、しばらくの間男が立ち去った方をにらみつけて文句を言った。それから肩を落としている暁昴を励ました。「大丈夫だった? 心配しなくていいからね。もう二度とあの男をあなたに近づけたりしないように私が守ってあげるから」
「二人とも、ごめんね。わたしのせいで」暁昴が言った。
「あなたのせいなんかじゃないわよ。あなたは何も悪くないもの。悪いのは全部あの男なんだから」
「ありがとう」暁昴は微笑んだ。それからぼくに向かってあらためて礼を言った。「あなたもありがとうね。庇ってくれて」
「別に。大したことじゃない」
「できれば、もう少し紳士的に助けてもらいたかったけど」
彼女はすっかり調子を取り戻したようだった。ぼくは何も言わずに、スプーンでご飯を救って一口食べた。すっかり冷めてしまっていたが、空腹の腹の舌には十分おいしく感じられた。
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