ショッピングモールのライオン

 ショッピングモールへは十分と少しで到着した。僕たちの街は便宜上いくつかの区画に分けられていて、《エデン》は街の中心地である第一区画にあった。第一区画からショッピングモールにある第五区画へは、車を使えば通常どれほどスムーズに道が流れていたとしても十五分程度はかかってしまうのだが、僕たちは《エデン》の緊急車両に乗っていて、おまけにサイレンも鳴らしていた。サイレンを鳴らしていればほかの車両は自然と道を開けてくれるし、信号だって無視できる特権を得ることが出来たし、法定速度だって超えることが――AIが事故を起こさない範囲で見定めた最高速度を出す――許されるのだ。移動する間、僕たちはショッピングモールの見取り図と《エデン》の指揮室がモニターしているライオンの現在状況の確認を行っていた。ショッピングモールは楕円形の建物で、七階建てだった。円の中心は室内広場になっていて、子どもたちの遊び場や買い物につかれたお客たちが休めるようになっているのだが、今はそこにライオンがいるのだった。


 僕たちがショッピングモールに到着すると、人々は大いに喜んだ。僕たちはそれぞれ《エデン》に支給された実働部隊の制服を着ていて、一目でそれと分かる格好していた。制服はプロテクターの役割を備えているので、着用するとどんな人物でも身体がごつくなって見えた。ショッピングモールの職員の男性が僕たちの下にかけてきて、広場へと案内した。男性は終始、興奮した様子でライオンが現れた時の様子や、パニックになったお客たちの混乱具合、その中で自分がどのように対処したのかなどをまくしたてるように説明した。「ライオンは一頭だけなんですね?」と僕が訊ねても、男性は質問に答えることなく関係のないことをしゃべり続けていた。彼はすっかり恐慌状態に陥ってしまっていたのだ。


 広場には確かにライオンが一頭いた。たてがみの立派な雄のライオンで、その体躯は均整の取れた素晴らしいものだった。あれはきっと動植物園にいるライオンの群れの中ではボスだったに違いない、と僕は思った。僕の目はすっかりライオンに向いていて、気が付くのに遅れたのだが、エーギルが何かに気が付き「あっ!」と声を上げた。彼は広場の中央を指さした。


 そこでは一人の少女が腰を抜かして地べたに座り込んでしまっていた。目と鼻の先にはライオンがいる。ライオンが一歩、足を踏み出すたびに少女は肩を震わせた。フロアの二階部分には大勢の大人たちがいて、念動力でライオンの動きを止め、少女を救おうと超能力を行使していた。が、それではだめだった。超能力とは走ることと同じように誰でも行使することが出来たが、きちんとした走り方を学ぶ人が限られているように、超能力の特性について詳しく学んでいる人もまた限られていた。そして、彼らは同一の効果を有する能力同士は干渉し合い、まともに効力を発揮しないということを知らなかったのだ。念動力でライオンの動きを封じようとするのであれば、それを行うのは一人でなければならなかった。が、今はあらゆる人が、きわめて当たり前の道徳心に従って少女を救おうと行動していて、事態は混迷を極めているのだった。


「おい、周りの連中に超能力を止めさせろ!」ダフニスが近くにいた職員に叫んだ。命じられた職員は仲間とともに極めて迅速に動いた。そして、すぐに超能力の干渉が途切れた。それを見て、ダフニスは駆けだした。「役割は分かってるな!」


「おう!」エーギルが返事をした。


 ダフニスがライオンの目の前に滑り込み、少女を抱きかかえて救出するのとエーギルが念動力でライオンの歩みを見事に封じて見せたのはほぼ同時だった。念動力の強さは個人の特質によって左右される。マグカップ一つを持ち上げることで精一杯な人もいれば、鉄骨だって持ち上げられる人だっている。その中でエーギルはトラックを持ち上げられるほど、念動力が強かった。それは極めてすぐれた特質であり、ライオンの動きを封じることだってわけはなかったのだ。ライオンの動きが止まったことと少女が救い出されたのを見て、居合わせた観衆は大いに沸き立った。実働部隊には超能力に秀でたものしかいないという世間一般に語られている話を彼らは知っていて、僕らが名実ともにその話にふさわしい活躍をしたためだった。


「ステファノ!」エーギルが言った。


 僕は頷いて、ライオンに歩みよった。ダフニスは少女を助けてエーギルはライオンの動きを止めた。二人ともしっかりと役割を果たしたので、ライオンを鎮静化させるのは僕の仕事だった。僕が一歩、また一歩と近づくたびに、動きを封じられたライオンは瞳に怯えを湛えた。自分の力ではもうどうしようもない状況に、百獣の王はすっかり参ってしまっているようだった。


「心配しなくてもいい」と僕は言った。


 それからライオンの身体をひと撫でした。毛皮は柔らかく、心地がよいさわり心地だった。それで気が付いたのだが、ライオンは後ろ脚を怪我していて、大腿部から血を流していた。僕は傷口を検めてみた。


 背後で、念動力を維持することに疲れたエーギルが「そんなものは後でいいから早くしてくれ」と言っていたのだが、僕はそれを無視した。傷口にはガラス片が食い込んでいた。おそらく動植物園から脱走する際にガラスか何かを割ってしまって、その際にできた傷なのだろう。幸い傷は深くはなかったが、痛々しいことに変わりはなく、早く楽にしてあげたいと思った。刺さっているガラス片を抜くと、ライオンは低く呻いた。それでまた周りの空気が張り詰めたのだが、エーギルのおかげでライオンが暴れだすことはなかった。傷口の縫合は僕にはできなかったが、せめてもと思い制服のポケットに入っていた包帯(実働部隊の隊員全員に支給されている物だ)を傷口に巻き付けてやり、止血をした。振り返るとエーギルが額に大粒の汗を浮かべて、苦悶の表情をしていた。


「早く頼む……」エーギルが言った。


「悪かったよ」僕は言って、ライオンの前に回り込むと顔を撫でつけてやった。僕は《電気力》という《固有超能力》を有していて、それは僕にしか扱えない能力だった。《電気力》は電気にかかわる様々な現象を起こすことが出来、人体を流れる生体電気まで操ることも可能だった。《電気力》の力でライオンの生体電気に干渉する。安全にライオンの脳の活動を睡眠状態まで引き下げると、ライオンはついに眠りこけて全身の力を弛緩させた。


「まったく、今度はもう少し手早くやってくれると助かるんだがな」エーギルが肩を回しながら言った。


「お疲れ様。ごめんよ。無理をさせちゃったね」僕は言った。「でも、怪我人が出なくてよかったよ」


 視界の隅ではダフニスが抱えていた少女の母親が、最愛の娘のことをきつく抱擁しているのが映った。母親は何度もダフニスに頭を下げていた。別れ際、彼は少女から何かを渡されていた。


「何をもらったんだい?」


 僕が訊ねると彼は掌のものを見せた。星形のキーホルダーだった。


「お礼だとさ」ダフニスが言った。彼の口元はほころんでいた。


 そのキーホルダーは以降ダフニスの制服のジャケットで輝くことになる。

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